2020年10月31日

人が自分と同じルールで生きていると思わない

他の人たちが私たちと同じルールを学んだとは限りません。私たちにとって正しいと思えることでも、彼らにとっては間違っていると思えるかもしれないし、その逆もありえます。

「誰もが同じルールに従って生きている」と想定すると、重大な問題に直面する恐れがあります。

あなたにとっては受け入れられない行動でも、相手にとっては普通のことかもしれません。自分なら絶対にしないからといって、「他の人たちも同じように感じるはずだ」と思ってはいけません。

他の人たちはあなたの期待どおりに行動するとはかぎりません。心を開いて予想外のことに備えることです。あなたの行動規範は他の人たちには何の意味もありません。彼らは自分なりの行動規範に従って行動するだけなのです。
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2020年10月30日

人に好かれるには

人に好かれるには、聞き上手であり謙虚であることです。

お先にどうぞと道を譲れることが大切です。

この二つの条件さえあれば世の中、怖くありません。

だから、年を重ねた人の成長度を見定めるのは、後から来る若い人の仕事を認める度量があるかどうかです。
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2020年10月29日

最上のしあわせとは

「日本の陽明学の祖」と言われる中江藤樹は「鏡草」の序文で人生の最上のしあわせはなによりも心身が安楽であり、子や孫が繁栄することであると説いています。

そのつぎに長寿であること。地位が高くなり、富むことはその下にくると。

世間一般が考えるしあわせは「位たかく富める」ことにありますが、それは誠のしあわせとはいえません。

そして、最上のしあわせが得られる種は、すべての人間に具有している「明徳仏性」でこの種をまいてしあわせをつくる田地は、日常生活の営みの中にあるといいます。
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2020年10月28日

腹を立てず穏やかに暮らす

相手が悪いからといって、「悪い思い」を起こしたり、「悪い言葉」を出してはいけません。

「自分は正しいから腹が立つのは当たりまえだ」と思う人があるかもしれませんけれども、自分はどんなに正しくとも、相手がどんなに悪くても、腹を立てる心を起こしますと、腹を立て、怒るという心は、相手をやっつけたい心で破壊的な心の波ですから、破壊的な波長をもったものが自分に集まって来て、自然、不幸な出来事を自分に引き寄せることになるのです。

こちらが破壊的な想いの種を蒔いたら「破壊的なもの」を収穫(とりい)れることになるということです。

平安な心の者は、平安な世界に暮らし、生涯、平安に過ごせます。

穏やかな心の者は、穏やかな世界に暮らし、生涯、穏やかに過ごせます。
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2020年10月27日

この二つを

少食であれ

これは健康のもと

少欲であれ

これは幸福のもと


この二つのものをしっかりと身につけよう

この世を悔いなく終わるため

この世を楽しく生きるため

以上、坂村真民の詩

少食と少欲、老いて益々快適に過ごすためには本当に大切なことです。
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2020年10月26日

信 仰

本当の幸福というものは小さな出来事の一つ一つを感謝の心を持って受けることによって得られます。朝、太陽の昇るのを見る喜び、空気を吸う喜び、透き通った水で顔を洗う喜び、ご飯をいただく時の喜び、家族の顔を見る喜び、こうした喜びが始終つづいているのが本当の幸せなのです。

そうした本当の幸福を受けないでいて、幸福は何処か遠いところに物凄く大きな恰好をして聳え立っていると思っているから、本当の幸福が常に得られないのです。

信仰とは、日に日に来る小さな喜びを、神のたまものとして素直に受け取ることであるとも言えます。
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2020年10月25日

大往生の条件


一日の予定を完了しないで、明日に残して寝るということは、畢竟人生の最後においても、多くの思いを残して死ぬということです。

つまりそういうことを一生続けていたんでは、真の大往生はできないということになります。
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2020年10月24日

たとえ親切心からでも

ヒマにあかせて、他人の生活に口出ししたり、その行動の善悪を断定したり、変えさせたり試みてはいけません。

親切だからいいのだ、ということはありません。

親切から発しても、悪い結果を生むことも多いものです。

善意の押し売りは、悪意よりも始末に悪いことがあります。

幼児性から、そのまま老年性になだれ込んで、壮年の厳しさを一度も経験しなかった、しあわせな老人は、とくに注意しなければなりません。
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2020年10月23日

死は悲劇ではない

肉体にはいずれ死が訪れます。死によって霊魂が肉体から解放されるのです。

その死を人は悲劇とみますが、それは少しも悲しむべきことではありません。

死は自由解放への扉を開いてくれる恩人です。煩わしい地上の悩み事から解放してくれるのです。

特殊な例外を除いて、死は罰ではなく、報酬です。ですから、死というものを、何としても食い止めねばならない悲劇と見ないで、魂が本来の自我を見い出すために仕組まれた、大自然の生命活動の一環と見るべきです。
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2020年10月22日

老人であることを失敗の言い訳に使わないこと

社会とごく普通の関係(人間的、経済的、政治的、学問的)を保っている老人で、失敗があると、急に、「私は老人だから」とか「老人に向かって何ということを言うか」とか言い出す人がいます。

老人であることを認めるならば、はじめから普通の社会的な契約にもとづくような関係を持たないことです。賃金や報酬も低くあるのが当然だし、社会的に責任のある地位につくことも遠慮しなければなりません。

地位についたからには、失敗があった時、「私は老人なのだから」と言い逃れすることは許されません。これが辛ければ、食べ物を自ら、腹八分目にとどめておくように、仕事も半分くらいに重さを減らしておかなければなりません。
posted by 田村 季山 at 03:02| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする