2015年10月30日

自分に甘い分、人にも甘く

自分が相手を嫌いなら、相手も自分をうとましく思っているでしょう。けれど、自分から親しくなろうと努力すれば、相手も心を開いてくれるでしょう。そうすると、思ってもみなかった世界が開けるかもしれません。だから、目の前の人を喜ばせると、徳につながります。

人に良いことをすること自体が幸福であり、幸福がめぐりめぐって自分に返ってくると考えるといいでしょう。
人の心を動かすにはその人を認めることが第一です。相手のことを考えていれば、必ず他人は力を貸してくれるものです。

人を喜ばせることは、相手を尊重すること。「私にとってこの人は特別」と考えれば、それが態度に表れますから人間関係は発展します。自分に甘くてもいいけど、その分、相手にも甘く接すること。それが人間関係の基本になります。
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2015年10月29日

いい「場」に身を置くことがとても大事

私たちはいろいろな「場」に住んでいます。
学校、会社、地域、家庭、趣味の集い、習い事、友人との会食など、すべて「場」であり、そこにいる一人ひとりの状態が「場」のエネルギーを作り出しています。
病気を治すうえでも、健康に生きるためにも、いい「場」に身を置くことがとても大事です。

常にいい「場」に身を置き、生命場を高める努力を続けていれば、私たちの体が持つ自然治癒力がフルに発揮され、恒常性(ホメオスタシス)が保たれます。
その結果、健康で元気いっぱい生きることができます。

マイナスのエネルギーを持った「場」にはできるだけ近づかないようにしましょう。
たとえば、不平不満、悪口、愚痴、文句、批判ばかりしている人とか、いくら観光地でも不幸のあった場所などです。
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2015年10月28日

自慢しない

自慢を喜んでくれるのは、自分の親だけだということを肝に銘じておきましょう。

絶対に他人には自慢しないこと、たとえ夫婦でも、自慢話は禁物です。

また、他人の短所を探したり、非難するのもやめましょう。たとえ自分の子供であってもです。
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2015年10月27日

良い言葉に出会う

「よい言葉に出会うことは、よい友人に出会ったのと同じである」

「出会いは人の心を広げてくれる、別れは人の心を深くしてくれる」

「出会いはありがたいが、別れがいけないものである」というような価値観を、私たちは教え込まれました。

離婚がいけないこととか、親子の別れが悲しいとか、そういうふうに教え込まれてしまったのですが、「別れは人の心を深くしてくれる」と考えると、それはそれでまたよしということになるではありませんか。その一言で、別れというものが決して悪いものではないと思えるわけです。

短い言葉によって、人は救われることがあるのです。よい一言、よい言葉は、良い友人を一人得たのと同じくらいの重さと深みを持っています。

お釈迦様は、「自分の口から発せられる言葉は、つねに温かい言葉、仏の言葉である、ということを、考えなさい」と言っていたそうです。

言葉は素晴らしい力を持っています。言葉をバカにしないこと。荒っぽい言葉を使わないこと。そういうことの積み重ねとして、私たちはとても穏かで幸せな日々を迎えることができるのです。
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2015年10月26日

執着、愛着の重さが人生の苦しみとなる

軽やかに、すがすがしく生きたいのなら、執着、愛着のいっさいを捨てることです。

微塵でも残したりすれば、その分だけあなたはまだ重い。

若い時にはその重さに耐えられるでしょうが、いずれはその重さが人生の苦しみになるでしょう。

棄てなさい! 愛着を。 執着を。
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2015年10月23日

時間は私たちの味方です

どうしようもないときは、何もせずに時の流れに身を任せる、と決めるという方法もあります。

例えば、何か大切なものを失ってしまったときなどは、なかなか気持ちの切り替えがしにくいものです。

そんなときは、「必ず時間が解決してくれるから、大丈夫」と自分に声をかけてあげましょう。

あまりにも心の傷が深いときは、大急ぎで治そうとすると、かえってこじれることがあります。

そういう場合には、無理に自分を励ましたりしてプラスのエネルギーを心に注ぐことよりも、まずはマイナスのエネルギーが増えないように、そっと心をいたわってあげることが大切です。

心の傷は時間というクスリが治してくれます。

先週の失恋で泣いている人はいても、十年前の失恋で泣いている人は滅多にいないでしょう。

つまり、時間は私たちの味方だということです。

「どうしてもこの悲しみは消えそうにない」と思うときは、あせらずに、「時間クスリ」を信じてみるのもひとつの方法です。
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2015年10月22日

あとから来る者のために

あとから来る者のために
田畑を耕し タネを用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ

坂村真民の詩

四十代後半にもなれば、自分が受け取ることばかり考えるのではなく、あとから来る者の為を考えて何か自分にできることを少しずつでも残しておきたいものです。
それを思うだけでなく、実行していきましょう。
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2015年10月21日

すべては天からの「借り物」と感謝する

お金も、家も、恋人も、子どもも、この世には、「自分のもの」と言えるようなものは、何一つありません。

お金をどれだけ貯め込んでも、死ぬときはすべて置いていくことになります。あなたの肉体でさえ、天からの借り物、「自分のもの」とは言えません。

ましてや恋人や子どもを、自分の所有物のように扱ってはいけません。彼らには彼らの意思があり、立場があり、考え方があります。

夫だから、妻だから、子供だからといって相手を束縛することも、自分の思い通りに動かすこともできません。
恋人や子どもに対しては、自主性を尊重してあげたいものです。

「子供なら、恋人なら、こうしてくれて当然」などと、相手の意思や時間を奪わないことです。逆に、自分が相手のためにできることはないかと考えることで、おもしろいことが起りはじめます。

人は、「自分のもの」と信じ込んでいたものを失ったときに、大きなショックを受けます。「自分のもの」という思い込み、執着こそが、苦しみを生むのです。

所有欲や執着から解放されれば、いつも穏かな心でいられます。
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2015年10月20日

してもらおうと思わないこと

ほんとうは、定年後は自由人になれるはずです。勤めに出る必要もない。気の合わない上役の心理を斟酌する必要もありません。

しかし現実には、自由人どころか不自由人になっている人も多い。自分のしたいことがわからない。本も読まない。生活に必要な仕事の内容や手順も知らない。自分に必要な身の回りの家事一切ができない。
心がけ一つなんです。おもしろがれば、すべて出来ます。すべて自分が主体となり、その分だけ自由になれます。
人が自分にしてくれることを期待せず、自分が人に尽くしてやることが、大人の人間の目的だったのではないでしょうか。

老人でも壮年でも、その原則はいささかの変化もないはずです。
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2015年10月19日

少欲知足

「小欲知足」の精神は、欲望を抑えろということではなく、そのありがたさを知ることなのです。欲をなくしてしまえとはいいません。少しだけ減らせばいい、「ほどほど」に物事を考えて、それを繰り返していくうちに、やがて「これでもう充分だな」と思えるようになってくるんです。

「足るを知ること」は、己を知ることでもあります。人は案外、自分という人間がどういうものか、わかっていないものですから、自分がどんな個性の持ち主で、どんな性格なのかがはっきりわかれば、自分にとって、何があれば充分で、何が足りないかを知ることができるのです。

物質的な富は決して、人に満足を与えません。心の充実だけが満足の源になるのです。
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2015年10月16日

心次第

ほんのわずかな注意が、健康をよくし、病気を未然にふせぎ、寿命を長くし、いつまでも若く元気に保たせることになります。
その健康をよくする道は、心にちょっとした注意をして、正しい生活の法則を守ることです。

心で考えることは、それが形の世界に現われるもとになるものです。
心の中に病的想念を忍びこませてはいけません。暗いことを語ってはいけません。

明るい言葉、楽しい語調、晴れやかな表情は、楽しい感情を呼び起こし、全身の血行をよくし、心臓の運動を軽快にします。
同じ言葉を使っても明るい調子でハキハキと歯切れいい語調で語ることです。

ほんのちょっと心の持ち方やしゃべり方に注意するだけで周りに現われて来る状況まで違ってくるものです。
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2015年10月15日

食事の内容も少し気にかける・・・(老廃物は溜めないようにきちんと出しておく)

病気にはそれぞれ異なった名前がつけられていて、何千もの病気があるような錯覚をしてしまいますが、ほとんどの病気の原因は一つしかなく、根源は同じ毒血症です。

毒血症とは、「蓄積された不要な老廃物や、誤った食習慣のために体内で形成される有害物質、および加工食品に含まれる添加物などの毒素が、血液に入って生ずる全身的な中毒症状」のことです。

ところで、人間の体には浄化力、治癒力、機能維持力というものが、生まれたときから誰にでも備わっています。からだは常に有害な老廃物を浄化し、健康体になるべく努力を欠かすことはありません。

ですが、私たちのからだは悪い物ばかりを体内に入れ放っておいては、やがて機能に支障がでてきます。

「歳を重ねれば誰でも病気になるのは当たり前」なんて妙に納得することなく、気づいたときから血を汚すようなものは出来るだけ体に取り込まないように注意しましょう。

既にかなりの量の悪いものを取り込んでいたとしても、毎日、毎日、新鮮な熱処理しない野菜と新鮮な果物を積極的に摂るようにすれば数ヶ月で体が浄化され必ず体調は改善されます。

何よりも、何をやるにも、まず健康であることが大切です。
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2015年10月13日

苦痛はなぜ現われるか

人は苦痛を敵と見なします。けれども、決して苦痛は敵ではありません。苦痛は自己の生命が当たり前の道を歩まないで正道を踏みはずして間違った道を歩んでいることを知らせてくれる信号です。

それは私たちの忠実な信号手であり、自分が人たるの道を再び歩むように警告してくれる天の使いです。私たちが正道(神)を忘れて、自分の勝手次第のことをやっているときに再び自己を反省させて正道(神)の方へ心を振り向けさせてくれるのが苦痛なのです。

無常のものを常住のものと思い、朽ち果つべきものを永遠のものと思い、ただの幻に過ぎないものを実在だと思って、それらに執着していた心を一変させ、無常を無常とし、幻を幻とし、朽ち果つべきものを朽ち果つべきものと悟らせて、本当に常住なもの、金剛不壊(こんごうふえ)なものに心を振り向けさせてくれるのが苦痛なのです。
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2015年10月09日

食べ物が運に大きく影響している

おもしろいもので、怒ったり焦ったりすると、心は体に悪い食べ物を欲しがるようになります。怒りの中での食事はエサを食べているようなものです。

楽しく和気あいあいで食べてこそ食事と言えるのです。食べるということはとても「神聖な行為」なのです。どんな物を、どんな食べ方でどんな心で食べるか。それは人生の後半の運に大きく影響してきます。
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2015年10月08日

本来の自分自身であれば苦しむことはない

人生が痛みや苦しみ疲れによって満たされているとき、それは本来の自分自身以外の人間に一生懸命なろうとするところからやってきています。

自然な自分にならないように抵抗するとき、すべての苦しみ、痛みがやってくるのです。メンタルな、意識的な理知的な痛み、精神的な痛み、感情的な痛み、肉体的な痛み、すべての痛みはそこからやってきます。
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2015年10月07日

習慣

どんな人間の美徳でも、それが習慣にならないかぎりはあまり当てになりません。
一回一回良いことをするたびにもの凄い努力をしているようでは、いつやめるかわからないわけです。

朝、早く起きて朝飯前に少し努力すると、二時間ほど勉強(用事)ができます。二時間早く起きるかどうかというのは、一にも二にも習慣だけの問題です。

朝、3時に起きるのも、4時に起きるのも、6時に起きるのも、慣れてくると同じ感じになってきます。したがって、まず、良い習慣をつくることが重要です。

睡眠時間は世間の常識に振り回されないことです。
短眠は食事の量を減らし、穀物菜食を基本にすると容易にできます。

自分の使命がハッキリわかった人は良い習慣を自然に身につけているものです。
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2015年10月06日

変化なくして、人は進化できない

かたくなに「変われない」とか「できない」と言っているのは、その考えや状況に、特に本気で困っていないか、変えたくないし、このままでいたいということなのです。

ところで、この世で最も悲しいことは、貧乏することでも、人並み以下の暮らしをしていることでもありません。

「心の持ち方で人生を変えられる」ということを知らないことです。

間違った呪文(思い込み)によって、自分の人生を不本意に決めてしまって、変えようとすることもしなくなることです。
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2015年10月05日

自分も人も許す

西郷隆盛の「南洲翁遺訓」の中に、「男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思えよ」という言葉があります。人を許してやるのはよいが、人から許されるような人間になってはいけない、ということです。

ところで、人を許す、許さないという問題以前に「自分自身」を許せていない・・・つまり自己肯定感のない人がいま非常に多くなっています。

その結果、自分を責めてばかりか、その裏返しで、人を責めてばかりいるかの、どちらかに偏る人が増えています。まず自分自身を許せなければ、人を許すことはできません。自分自身を許し、その結果、まわりの人も許してあげることができる人になります。
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2015年10月02日

心のレベルにふさわしい「果」をいただける

この世はすべて因果関係で動いておりますが、その人の心のレベルにふさわしい「果実」をいただいております。

心のできていない者が同じことをされたとしても、心の出来ている人と同じ「果」をいただくことはできません。
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2015年10月01日

与えるものが受け取るものです

すべての状況、すべてのものは、基本的には「中立」です。どんな状況もその中に決まった意味を持っていません。どんな状況も自然に最初から否定的だとか肯定的だとか決まっていないのです。

人生に入ってくるすべてのものの中に、最初から否定的だとか肯定的だとかという意味を持っているものはありません。すべての状況は中立でやってきます。そして、私たちがそれに自動的に意味を与えてしまいます。

私たちがそれに否定的な意味を与えたとすると、そこから否定的なものしか受け取ることはありません。逆に、肯定的なものを見ると選択できれば、そこから肯定的な結果を得ることができます。

他人が意図的に私たちに否定的なものを与えたとしても、私たちがそこに肯定的なものを見ようとすれば、私たちは肯定的なものしか受け取ることがありません。

表面に見えるものはシンボルです。

今までこれはこう見るのだと教えられてきたものがそこに見えるだけなのです。本当は、それをどう見るか、自分で選択できます。

どんなことが起きても、どんな状況でも、自分がその中に見たいものを見てください。

自分の与えるものが、自分の受け取るものです。

この現実世界、物理的な世界は、自分がそれにどういう定義づけを与えるかによって変わってきます。それを反映しているだけなのです。
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