2016年01月29日

善き友、善き書物、善き情報と交わる

見る姿・形は一種の暗示となって私たちの魂の中に投げ込まれます。友達または知人の悪しき範例を見ていると、その悪しき姿が自分の潜在意識内のレコードとなり、縁を得ればその通りの悪しき姿が自分の行為(おこない)に現われてきます。

反対に、善き友と交わり、善き友の行為(おこない)を見、善き友の言葉を聞くことは、目に見えない無限の宝を内に積むことになるのです。
潜在意識の中にある善き観念は、無限のよき宝であるというのは、そこから無限の善きものが湧き出るからです。

すべて心に入ってくる物はやがて形になって顕れてきます。
いつも、いつも善き友、善きものと交わっていましょう。
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2016年01月28日

他の人の幸福を考える

自分が悩み苦しいとき、スランプのときは、自分のことばかり考えすぎて、他の人のことを忘れている場合が多いものです。努力して自分の意識を転換し、他の人々のことを考えてみましょう。「他の人がどうすれば喜ぶか」ということを考えてみましょう。

「スランプ克服の、いちばんの方法は、他の多くの人々を喜ばせるなかにある」と言っても過言ではありません。

自分が苦しいからといって、その苦しみを他の人に振りまこうとしてはいけません。それでは、さらなる苦しみとなって、自分に返ってくるでしょう。

自分が苦しいからこそ、他の人々を喜ばせるような生き方をしてみようではありませんか。
自分の心のうちが苦渋に満ちているからこそ、他の人々に笑顔を与えようではありませんか。

他の人々を喜ばせて歩くなかに、スランプは必ず克服されていくものです。
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2016年01月27日

できる限り欲を離れること

名誉や利得には関心を持たず、仕事や行為の結果に執着しない。結果を期待しない。

ただ自分の義務を一生懸命に淡々と果たしてゆく。

これが出来る人は離欲者だとギータはいいます。

離欲できない者は死後、その生前の行為による快、不快、またはその混合の報いを受ける。

しかし、離欲の生活を送った者は、そのような悲喜の報果は受けない、とギータはいいます。

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2016年01月26日

今できる目の前のことをテキパキと実行する

「遠くにあるぼんやりしたものを見るのではなく、目の前にはっきり見えるものを実行に移すことである」
これはイギリスの歴史家カーライルの言葉です。

判断に迷うようなことがあるとき、この言葉を思い出して行動の指針とすればいいでしょう。
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2016年01月22日

考えない、思い出さない

お釈迦様は、大きな欲望を持つ人は必ず大きな苦しみにあう、欲望を減らす者は苦しみも少ないと説かれました。
達磨大師も「求むるところあるは皆苦なり」と言われました。

このような苦しみから逃れ、心豊かに生きるにはどのようにしたらよいのかということになります。

お釈迦様は、苦しまないようにするには考えないことが大事だ、思い出さないことが重要だと説かれました。

中国禅宗の高僧、慧能も、仏教の教えで最も大事なことは「不思善、不思悪」(良いことも、悪いことも考えないこと)だと言われました。
臨済宗中興の祖と仰がれた白隠禅師の法の上の祖父にあたる至道無難禅師は「もの思わざるは仏の稽古なり」と言われました。
私たちが本来持っている清らかな心を自覚する修行は「考えないこと」だというのです。

思い出すということは、心の病気の現われだといいます。妄想が出るというのが病気なのです。そして、それを治療するためには念を発展させないこと、そこで止めるということが大切です。私たちは本来の自分の心を知り、その心に従って生きることが大切です。それにはまず、考えない、思い出さないという工夫が最も大事で、心の本質を理解する目的もそこにあります。
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2016年01月21日

私の責任と捉える

「こんな目にあう」のは何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできません。

「私の責任だ」と言ったときはじめて、それを変えられます。

自分がしていることを変えるほうが、他者がしていることを変えるよりずっと容易です。

なにごとであれ、それを変える第一歩は、選んだのは自分であると認め、受け入れることです。個人として責任があると思えなければ、私たちはすべて一体であるという理解を通して認めましょう。

それから、間違っているからではなく、本当の自分にふさわしくないからという理由で、変化させる努力をしましょう。
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2016年01月20日

キリストの最も偉大な教えとは・・・

キリストの最も偉大な教えは。私たちが永遠の命を得られるだろうということではなく、私たちには永遠の命があるということ。

私たちは神のもとで兄弟となるだろうということではなく、私たちは兄弟だということ。

私たちが求めたものを与えられるだろうということではなく、私たちはすでに与えられているということです。

必要なのは、それを知ることだけです。私たちは自分の現実の創造者です。そして人生は私たちが予想するようにしか、展開しません。

考えることは、現実になります。これが創造の第一歩。父なる神とは「考え」です。私たちの「考え」は、すべてのものごとを誕生させる親です。
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2016年01月19日

そのままに観る

世間のものごとに触れても、心が動揺しないこと。

憂いがなく、汚れがなく、安らかであること。
これが最上の吉祥です。


人も勉強をし、経験を重ねると何が起こっても動揺しないで平安でいられるようになります。

すべては見方、とらえ方次第。

すべてのことは良い方に肯定的に解釈すれば、すべてよい方へ向かいます。

あらゆることに、正邪、善悪、上下、大小、優劣、勝敗はありません。
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2016年01月18日

いつも「健康に恵まれてることに感謝します」と言おう

年をとったらむやみに年齢のことは言わないほうがいいでしょう。年齢を告げると、相手はあなたの中にその年齢を思い浮かべ、健康や活力の衰えを想像するからです。

老齢を意識することは心配を生み、それによって活力を失うことにもなります。

ですから、年をとったら年齢のことはできるだけ口にしないようにして、ときどき神さまにこうささやきましょう、「私は健康に恵まれていることに感謝します」と。
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2016年01月15日

加齢とともに老ける、という思い込みを捨てる

意識の持ち方で老化のプロセスは大きく変わります。比較的高度な生物はすべて老いますが、人間だけは自分の身に起きることを意識でき、それを利用して老化のプロセスそのものを変えられます。

老いてゆくことに絶望すれば早く老け込みますが、ゆとりをもって老いを受け入れれば、精神的にも肉体的にも、数々の惨めな兆候を遠ざけることができます。

「人の年は自分が何歳と思っているかで決まる」ということわざには深い意味があったのです。

人間のライフサイクルは不変ではありません。私たちの意識をとおして、体内に生起するすべての反応に影響をおよぼせます。

老化に対する恐怖が、老化のプロセスそのものを加速させます。この牢獄から逃げ出すには、恐怖にいろどられた思い込みを打ち崩さねばなりません。

加齢にともなって体は衰弱するという思い込みを捨て、自分の体は刻一刻と新しく生まれ変わるという信念をはぐくみましょう。
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2016年01月14日

陰徳を積めば陽報あり

定年後にやることがないと嘆き、暇をもてあます人が多くいます。その一因は自分の今までの生き方にもあったのです。
自分の成功のみを追い、自分だけが目立とうとする生き方、陰徳を忘れた生活の仕方が、晩年になって結果として出てきているのです。

このように考えると、目立たないで人に尽くすということは、現代的な意味も持っていることになります。目立とう目立とうという生活は徳を損ない、業の借金を増やしてしまいます。

その結果、自分の意図するところとは別の人生を送らなくてはならなくなるのです。
目立つことのみを図って生きてきた人が、仲間もなく、家族にも恵まれず、孤独に人生を送ることが多いのはこのためです。

隠れて何か良いことをするというのは、決して無意味な行為ではなく、最後には自分と子孫のためになる行為だということを理解すべきでしょう。まさに、「陰徳積めば陽報あり」なのです。
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2016年01月13日

今できる目の前のことをテキパキと実行する

「遠くにあるぼんやりしたものを見るのではなく、目の前にはっきり見えるものを実行に移すことである」
これはイギリスの歴史家カーライルの言葉です。

判断に迷うようなことがあるとき、この言葉を思い出して行動の指針とすればいいでしょう。
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2016年01月12日

私の責任と捉える

「こんな目にあう」のは何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできません。

「私の責任だ」と言ったときはじめて、それを変えられます。

自分がしていることを変えるほうが、他者がしていることを変えるよりずっと容易です。

なにごとであれ、それを変える第一歩は、選んだのは自分であると認め、受け入れることです。個人として責任があると思えなければ、私たちはすべて一体であるという理解を通して認めましょう。

それから、間違っているからではなく、本当の自分にふさわしくないからという理由で、変化させる努力をしましょう。
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2016年01月08日

時節因縁(じせついんねん)

事が成るには時節因縁といって、その時期が熟さないと可能になりません。ですから、一生懸命にやっているのに、よい仕事ができないということをもって努力が足りないとか才能がないなどと思ってはいけません。

一生懸命にやっているということが、徳を積む、つまり業(ごう)の貯金通帳に預金するということになるので、その結果が実人生に現われるには時間がかかるのです。
しかし、時節因縁が熟せば、必ず結果は成ります。

いつ時節が熟すかは誰にもわからないのですから、とにかく目の前の仕事に打ち込み、結果を期待するという邪念が入らないくらいに夢中になれば、必ず目的は達せられます。
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2016年01月07日

「節食」は健康の基本

飽食の時代を迎え、食べすぎは良くないと、多くの人が理解しています。
江戸時代、日本一の観相家といわれた水野南北は、節食開運説なるものを唱え、食べ過ぎなければ運は開けると説きました。

「三食のうちの一食くらいは、天に奉ずる気持ちが大事」と南北は言いました。空腹を我慢しろというのではなく、おいしいご飯が食べられることを一日一度はご先祖様に感謝する習慣を持ちなさい、ということです。

病気のほとんどは食習慣を改善すればなんとかなります。粗食少食を心がければ長生きができますが、太く豪快に生きたい、好きな物を好きなだけ食べて人生短くても構わないという人もいますので、人それぞれ強制はできませんね。
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2016年01月06日

智慧ある老人になりましょう

髪の毛が白くなったからといって、彼(彼女)は智慧ある老人とは限りません。
ただ歳を重ねただけの、むなしく老いぼれた人は世に多いものです。

あなたが歳をとるのならば、そのときには誠実で、人格があり、愛に溢れ、何をしても他人をそこなうことなく、また慎み深く、身と心がいつも整った、そういう人になるようにしてください。
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2016年01月05日

与えたものがあなたに還って来ます

幸せになろうと思うなら、人を幸せにしてやりなさい。
豊かであろうとするなら、人を豊かにしてやりなさい。
もっと愛が欲しいなら、人を愛しなさい。

それも、真剣にすること。自分の利益のためではなく、ほんとうに人のためになろうと思うことです。
そうすれば、すべてはあなたに返ってきます。
posted by 田村 季山 at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする