2016年06月30日

死の直前まで健康でいるために・・・

できるだけ早い時期から、自分の健康管理に役立つ本を読んで、70代、80代、90代になっても、人の(周りの)世話にならないように、死の直前までなんとか自分の身体を自分で健康に保っていけるようにしましょう。

世界の名著、ベスト25に選ばれた、「フィット・フォー・ライフ」(グスコー出版)や
「少食が健康の原点」(甲田光雄著)
また、「常識破りの超健康革命」松田麻美子著などをお勧めします。
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2016年06月29日

考えない、思い出さない

お釈迦様は、大きな欲望を持つ人は必ず大きな苦しみにあう、欲望を減らす者は苦しみも少ないと説かれました。
達磨大師も「求むるところあるは皆苦なり」と言われました。

このような苦しみから逃れ、心豊かに生きるにはどのようにしたらよいのかということになります。

お釈迦様は、苦しまないようにするには考えないことが大事だ、思い出さないことが重要だと説かれました。

中国禅宗の高僧、慧能も、仏教の教えで最も大事なことは「不思善、不思悪」(良いことも、悪いことも考えないこと)だと言われました。
臨済宗中興の祖と仰がれた白隠禅師の法の上の祖父にあたる至道無難禅師は「もの思わざるは仏の稽古なり」と言われました。
私たちが本来持っている清らかな心を自覚する修行は「考えないこと」だというのです。

思い出すということは、心の病気の現われだといいます。妄想が出るというのが病気なのです。そして、それを治療するためには念を発展させないこと、そこで止めるということが大切です。私たちは本来の自分の心を知り、その心に従って生きることが大切です。それにはまず、考えない、思い出さないという工夫が最も大事で、心の本質を理解する目的もそこにあります。
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2016年06月28日

人生は自分の欲求の反映です

あなたの人生はあなたの欲求の反映で、何が実現できるかという信念の反映です。
望みが実現すると信じていなければ、与えられません。

宇宙はあなたの考えに反したことはしません。そんなことはできません。

何かを得られないと信じることは、望まないのと同じ結果を生みます。

「でも、地球上では、望むものをすべて手にいれることはできません」 と考えている人がほとんどです。

だから、そのとおりになっているのです。
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2016年06月27日

捨てれば追い風が吹く

人生の折り返し地点(前半生)までは、努力して頑張ることが追い風になってくれます。

ところが、折り返し地点を過ぎると(後半生)、努力して求めれば求めるほど、同じ風が今度は向かい風になります。

逆に、捨てていくことが追い風になってくれるのです。この「捨てる」というのは、物ではなくて「こころ」の話。

自我、欲望、要望、欲求、執着など、そういうものを捨てれば捨てるほど、後半生が楽に穏かに生きられます。
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2016年06月24日

これまでしてきたことは、これからすることに比べれば重要ではない

多くの人は過去をもとに自分の価値を決めますが、優れた人は未来をもとにあなたの価値を決めます。

未来、未来、つねに未来です。

人生、生命は未来にあるのであって、過去にはありません。
未来にこそ真実があるのであって、過去にはありません。

これまでしてきたことは、これからすることに比べれば重要ではありません。
これまで犯してきた過ちは、これから創造するものにくらべ何の意味もないのです。

あなたには価値があります。誰にでも価値があります。

あなたの過ちを赦しましょう。すべての過ちを赦しましょう。
あなたの間違った情熱も赦しましょう。
すべてを赦しましょう。
間違った意見も、見当違いの理解も、有害な行動も、自分勝手な決定も赦しましょう。
他の人は赦してくれなくても、宇宙(神)は赦します。

私たちも常に未来をみて赦してあげましょう。
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2016年06月23日

人生を完結させようとしなくていい

何かしていないと落ち着かない。何もしないで、ぶらぶらと時を過ごしていると、罪悪感のようなものを覚える。前もってスケジュールを決めておかないと気がすまない。スケジュール通り取り運んでいる最中に、予期しない人が来るとか、何か邪魔が入るとイライラする。
どのくらい時間が経ったか、今、何時何分かが気になる。チラチラと視線が時計に行く。いつでも腕時計がはなせないし、腕時計をしていないと不安になる。

無駄な時間を空費してしまうと、そのあと、翌日とかには格別に頑張って、無駄の埋め合わせをしておかないと気がすまない。几帳面で、責任感が強い・・。

いかがでしょう。あなたの周りに、こういうタイプの人はいませんか。

ひょっとしてあなたご自身に、あてはまるところはないでしょうか。
もし該当するなら、どうしたらいいのでしょうか。

それは、人生というものは未完成の作業、仕事、出来事から成り立っているという真実を認識し、それを受容することなのです。

そうなのです。人生とは元来、未完成のもの、未完成のまま閉じるものなのです。
物事、特に時間の迅速さに動揺しないで、平然として、泰然自若さ、のどかさを心に養っていきましょう。
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2016年06月22日

「老感」を持つから「老人」になる

「老感を持つ」とは、読んで字のごとく「自分が老いた」という感覚、感情を持つことです。

人は無意識のうちに「六十代とはこんなもの」「七十を越えてまで、こんなことをすべきでない」と考えてしまうものです。

「スイスへ旅行したいけれど、この歳で飛行機の長旅は厳しいか・・・」 「周囲に迷惑をかけたらどうしよう・・・」などと勝手に思い込んでしまうものです。

ですがその発想こそが一番ダメなのです。そんな「老感」を持っているから、どんどん「本物の老人」になっていってしまうのです。

歳を重ねたから老人になるのではなく、「老感」を持つから「老人」になるのです。

歳だからと理由をつけて、何もしないことが人を老人にさせてしまうのです。
「老感」なんて今すぐ捨てて、十代のような気持ちで何でも挑戦を続けるべきです。

以上のようなことを、2012年、今年8月に106歳の誕生日を迎えられ、今年も世界8カ国の32日間の講演旅行に出かけられた昇地三郎先生が仰っていました。
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2016年06月21日

歳を重ねても、何かすることがなければいけない

人間は歳を重ねても、何かすることがなければいけません。

ある一定の歳を迎えたからといって、すべての活動を引退し、漫然と余生を過ごすなんてとんでもないことです。私たちは生きている限り、何か価値があること、社会に貢献できることをするべきです。

どんな人にも、その人なりの「社会への役立ち方」が必ずあります。
五十代の人には五十代なりに、六十代なら六十代なりに重ねてきた経験と知恵があります。

是非とも、あなたの経験と能力をフル活用して「世間の役に立つこと」をいくつになっても続けてください。

七十歳や八十歳になったからといって、人生は終わりではありません。まして、それより若い人たちには持て余すほどの時間が残っています。

「自分の人生はまだまだ続く」ということを本気で理解すれば、気持ちも前向きになり、新しいことへの挑戦意欲も湧いてきます。

いま、あなたがやるべきことは何なのか。

そのことを真剣に考え、ぜひとも一歩踏み出してください。
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2016年06月17日

無智と悟り

「私」と「私のもの」・・・この考えを無智といいます。

私の名誉。私の財産。私の家族。・・・・これが迷妄です。

家も財産も家族も友人も、すべては神(宇宙)のもの。

私のものは一つもありません。・・・・これが悟りです。

これを肝に銘記して暮らすと、イライラしたり腹を立てたりしないで穏かに平安に暮らせます。

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2016年06月16日

進歩は「積極的な忍耐」から

忍耐とは、何も対策をうたないで手をこまねいてガマンするのではなく、私たちの前に立ちはだかる困難を見極めて、それに対する手立てを考え、積極的に行動することをいとわない根気である。

忍耐以外によって進歩することはできません。
知っていることを日々に適用するという忍耐なしに、私たちは進歩することはできません。
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2016年06月15日

長寿への道は、少食と野菜食にあり

他の動物の肉は、それぞれの業(心の記憶)を持っており、その業(悲しみの思い)を自分の体に移入することを覚悟して、口にしましょう。

美味しいというだけで食べてはいけません。珍しくて高級だからといって食べてはいけません。

食べる行為は、「聖なる行為」と知って野菜を多くし肉・魚類は手を合わせつつ、少なく、少なくいただく方がいいでしょう。可能ならば極力食べないほうがいいでしょう。
食べるたびにカルマを増やすからです。

粗食(少食)と菜食は「長寿組織」にスイッチを入れます。

野菜・果物をたくさんとる食事、ベジタリアンライフに切り替えてみましょう。そうすることで健康と長寿とを得ると約束できます。

ただし、野菜も果物も熱を加えるとせっかくの良い成分が破壊されてしまうのでそのままでいただきましょう。

長寿への道は、少食と野菜・果物食にあり。脂物、肉物と加工されたもの、添加物を少なくすることが一番の近道です。今ある病も治るでしょう。
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2016年06月14日

「健康感」を持って生きる

最近は検査の機械が精密になってきて、健康体にもどこかしら不具合があることが見つけられてしまいます。もっと言えば、百人いたら百人が、遺伝子レベルでは病気の因子をもっているのです。皮肉なことに、医学が進歩すればするほど、病人が増えてしまう、という見方もできます。

検査の結果がどうであれ、そんなに落ち込むことはありません。まして、病気を敵と見なして戦う決意をする必要はありません。病は人間の属性ですから、健康に百点満点を求めることはしょせん無理な話なんです。検査して「アラ探ししたら病気が出てきた」くらいに受け止めましょう。そして、「さて、これから病気とどう上手につき合って、生きていこうか」というふうに考えましょう。

たとえば、高血圧の人は降圧剤で血圧をコントロールしながら、元気に働くことが出来ます。糖尿病の人だって、食事療法や運動療法を取り入れて、何も差し障りなく健康に暮らしていけます。
それに、八十、九十という老人と呼ばれる年齢になれば、脳に多少の梗塞(血管の閉塞」があるものです。「四肢が麻痺するかも」とか「認知症のような症状が出るかも」といったことを、必要以上に心配する必要はありません。いたって健康な人でも小さな血栓ぐらいあります。

病気を「あって当たり前」と受け入れれば、健康人として生きていく道が開かれるでしょう。つまり、病気になっても、病人にはならず、「健康感」を持って生きることが大事なのです。

病気はないにこしたことはありませんが、いちいち気に病んでいると心が休まりません。いつもビクビク、オドオドしていたのでは、生きる喜びも半減してしまいます。病気と共に上手に生きる・・・「有病息災」を目指すことこそが、健やかに生きることにつながります。多少健康に問題があると指摘されても、「健康感」を持って生きることを心がけましょう。
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2016年06月13日

与える側に立つ

「受けるより与えるほうが幸いである」と聖書の言葉にあります。

与える側に立つと、ほんの少しでも楽しくなるし、相手が喜べば、さらに満たされます。与える方が、満足感がずっとあります。

大人になれば、与える側にまわらなければいけません。子供は、おっぱいをもらって、おむつを替えてもらって、ランドセルを買ってもらって、と全部してもらう。受けているだけでは、子供と同じです。したいことだけをするというのも幼児性でしょう。

どんな老人であろうと、体力に応じて働くべきだと思います。仕事でなくても、それこそ料理をしたり掃除をしたりして、誰かのお役に立つ。

与える側にいれば、死ぬまで壮年です。体が動かなくなっても、お茶を入れていただいた時に「ありがとう。おいしかったよ」と言えたら、喜びを与えられます。老い方や死に様を見せてあげるなど、いくらでもしてあげることはあります。
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2016年06月10日

少食は健康の原点

一粒の米、一枚の菜っ葉といえども、天から与えられた大切な命として、感謝合掌していただき、決してこれを無駄にしないという考えで食事をすることが、健康法の最も大切な基本で、これが「少食」の思想ですが、要するに、「できるだけ殺生をしない」という愛と慈悲の具体的表現です。

しかも、愛と慈悲の行為である少食は、実はまた健康法の秘訣となってくるところに、神の配慮を感じ取ることができます。

少食が守られず、過食を続けている限り、他にどのような健康法を実行し、一時的に健康になるように見えても、結局は病に倒れ、長寿を全うすることができないということです。

「いのち」を無駄にするような人間本意の横暴は、天が絶対に許し給わぬということになるのでしょう。

愛と慈悲の行為である少食を実行する者のみに真の幸せが与えられるというわけです。
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2016年06月09日

老後を楽しむ人生にするには

老後を人と楽しむ人生にするには、健康に注意すること。特に、心の健康を心がけること。そして、明るい人柄になることです。

心の健康というのは、不足や腹立ちをしないことです。そのためには、人の言うことをいちいち気にしないことです。不足に思ったり、腹を立てたりすると、自分が損をします。

不足や腹立ちは小さく、喜びは大きくしていくことです。多少オーバーに喜ぶのです。

それから、何ごとも苦にしないで、あっけらかんと暮らすことです。

次に、明るい人柄になるためには、どうすればいいかというと、笑顔を忘れず愛想のいい人になることです。そして、人の陰口は言わないで、人に不足や腹立ちをさせないように気をつけることです。

心の健康を心がけること、明るい人柄になること、この二つが、人と楽しむ毎日の生き方ではないでしょうか。
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2016年06月08日

癌になる前に・・・、たとえガンになったとしてもなんとかなります。安心してください。

癌の原因、予防、診断、治療に対する研究が、あらゆる医療機関において行われています。

環境や生活習慣がガンと密接な関係を持っていることはよく知られています。
私の肉親も何人かがガンで亡くなりましたが、人はガンになると急に食事を見直します。

病気は今までの生活習慣の表れですから、深刻な病気になって初めて菜食を考える人が多いようです。
肉食によるガンの典型的な例は、肺ガン、乳ガン、大腸ガン、膵臓ガン、
甲状腺ガン、胆のうガン、腎臓ガン、膀胱ガン、骨ガン、リンパのガンなどがあります。

これらは肉食傾向のある欧米人に多い病気でした。
日本では、菜食傾向のある昔は少なかったですが、肉食中心の食事をするようになって、
現在は日本でも肉食ガンが増加しています。

肉食(肉・卵・牛乳を含む)は、ガンの増殖を抑える免疫力を破壊し、
ガン細胞を増殖させます。肉食はガンの「増殖要因」です。

これらの肉食ガンのほとんどは肉食を避けることで大幅に防ぐことができます。

肉食をすると人間の体内にある種の毒素が溜まります。
動物は屠殺の時に細胞が秒単位でガン化していきます。
人間でも恐怖や極度のストレスを体験すると数日で白髪になったりガンになります。
放牧で育てた牛でも屠殺のやり方は同じですので毒素が溜まるのは同じです。

ガンにかからないためには、極力肉食は控えましょう。

ガンになってからでも、多くの場合、肉食を完全にやめてしまえば、それ以上ガンが増殖することはありませんので、安心していいようです。
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2016年06月07日

病人になっても明るく振る舞うこと

病人は、老人と同じように「労わってもらって当たり前」という精神構造に陥りやすいので、自己中心になりがちです。体が辛い時はやはり不機嫌にもなるし、「なんで自分の辛さがわからないんだ」と腹も立つでしょう。それは仕方ないことだと思います。

しかし、当然だからといって、そのまま、そのような顔をしていていいということはありません。
長く生きてきた者としての強みがあれば、そこで少しばかり、周囲の人達が不愉快にならないように、内心はどうあろうと、明るく振る舞うという配慮をしなければなりません。

たとえガンなどの死病になっても、できる限り明るく振舞いたいものです。たとえ心は不安でいっぱいであろうと、うなだれずに背筋を伸ばして歩き、見知らぬ人に会えば微笑する。そういう風にできればいいですね。
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2016年06月06日

雨奇晴好(うきせいこう)

これは、中国北宋の詩人の蘇東坡 (そとうば)の言葉です。

この言葉が述べているのは、「物事の悪い面をとらえないで、いい面をとらえることが大切だ」ということです。

物事のいい面をとらえて、前向きな明るい気持ちで生きていくのがいいということです。

物事の残念な面やマイナス部分に意識がとらわれると、欲求不満が生まれます。それが高じるとイライラになり、怒りになってしまいます。そういった感情が心を乱す原因になります。

物事の喜ばしい面やプラス部分を常に見つけ出すようにし、それを習慣にすれば、人生に起こるさまざまな出来事に心が動じることなく、いつでも明るい気持ちで生きていけるようになります。

たいていの出来事は、プラス面を見つけ出す奇になれば、いくらでも見つかります。たとえ苦しい出来事でも、プラス面は必ず見つかります。
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2016年06月03日

共感する人に聞いてもらう

人は他人の話を聞くときに、「共感」することよりも、「解決」することに重きをおきがちです。

「会社の上司が厳しくてつらい」と相手がグチをこぼしたとき、
「そんな上司こそ、自分を成長させてくれるありがたい存在だと思って、前向きにがんばるしかないよ」とつい説教っぽくなってしまいます。

しかし、それでは、言われた方の心はスッキリしません。

こういうときは、その問題を解決しようとしないで、相手の気持ちに寄り添ってあげることを意識しましょう。励ますことより、

「それは大変だったね」
と一緒に苦労を分ち合ってあげる方が、相手を癒す効果があります。

実は、相手を癒すことで自分も癒されるのです。
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2016年06月02日

加齢とともに老ける、という思い込みを捨てる

意識の持ち方で老化のプロセスは大きく変わります。比較的高度な生物はすべて老いますが、人間だけは自分の身に起きることを意識でき、それを利用して老化のプロセスそのものを変えられます。

老いてゆくことに絶望すれば早く老け込みますが、ゆとりをもって老いを受け入れれば、精神的にも肉体的にも、数々の惨めな兆候を遠ざけることができます。

「人の年は自分が何歳と思っているかで決まる」ということわざには深い意味があったのです。

人間のライフサイクルは不変ではありません。私たちの意識をとおして、体内に生起するすべての反応に影響をおよぼせます。

老化に対する恐怖が、老化のプロセスそのものを加速させます。この牢獄から逃げ出すには、恐怖にいろどられた思い込みを打ち崩さねばなりません。

加齢にともなって体は衰弱するという思い込みを捨て、自分の体は刻一刻と新しく生まれ変わるという信念をはぐくみましょう。
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