2016年07月29日

自分の与えるものが受け取るものです

すべての状況、すべてのものは、基本的には「中立」です。どんな状況もその中に決まった意味を持っていません。どんな状況も自然に最初から否定的だとか肯定的だとか決まっていないのです。

人生に入ってくるすべてのものの中に、最初から否定的だとか肯定的だとかという意味を持っているものはありません。すべての状況は中立でやってきます。そして、私たちがそれに自動的に意味を与えてしまいます。

私たちがそれに否定的な意味を与えたとすると、そこから否定的なものしか受け取ることはありません。逆に、肯定的なものを見ると選択できれば、そこから肯定的な結果を得ることができます。

他人が意図的に私たちに否定的なものを与えたとしても、私たちがそこに肯定的なものを見ようとすれば、私たちは肯定的なものしか受け取ることがありません。

表面に見えるものはシンボルです。

今までこれはこう見るのだと教えられてきたものがそこに見えるだけなのです。本当は、それをどう見るか、自分で選択できます。

どんなことが起きても、どんな状況でも、自分がその中に見たいものを見てください。

自分の与えるものが、自分の受け取るものです。

この現実世界、物理的な世界は、自分がそれにどういう定義づけを与えるかによって変わってきます。それを反映しているだけなのです。
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2016年07月28日

そのまま受けて愉しむものは常に幸福です

そのままそこに幸福を見い出すということはとても、とても大切なことです。
そのままそこに幸福を生きる時、そこに常に幸福が見い出されるのです。

汝は幸福である、この小さき石よ
道ばたに静かに横たわりて
哲人の如くにものを考う。

という誰かの詩があります。
あなたはこの小さき石よりも偉大なるものです。この事実に目覚めねばなりません。
この小さき石ころは、どうして幸福なのでしょうか。
それはそのままそこに与えられた生命をたのしんでいるからです。

そのまま受けて愉しむものは常に幸福なのです。

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2016年07月27日

捨てれば追い風が吹く

人生の折り返し地点(前半生)までは、努力して頑張ることが追い風になってくれます。

ところが、折り返し地点を過ぎると(後半生)、努力して求めれば求めるほど、同じ風が今度は向かい風になります。

逆に、捨てていくことが追い風になってくれるのです。この「捨てる」というのは、物ではなくて「こころ」の話。

自我、欲望、要望、欲求、執着など、そういうものを捨てれば捨てるほど、後半生が楽に穏かに生きられます。
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2016年07月26日

どうでもいいことに過剰反応しない

日常のどうでもいいことにいちいち惑わされて、心の波動を下げたり、心の平安を乱さないようにしましょう。

今の人生で人間としての時間は一応限られているのですから、余計なことでイライラしている暇はありません。もっと、あなたが楽しいと思えることや考えてワクワクする夢に時間を使ってください。

思わずイライラしそうになったときは、一拍おいて、「これが自分の人生に影響あるかな?」と考えてみてください。自分の人生がひっくり返されそうなことだけに反応すればいいのです。「こういうときこそ平常心、どうでもいいことだ」と思い、一瞬はムッとしても、「アッ、今のはナシ」と思えばいいのです。

強運の人は小さなことには動じません。いつも意識を明るい方へ集中させています。
大きな開運アクションをするよりも、日々の小さなイライラをなくすほうが流れはずっと良くなります。
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2016年07月25日

物事を勝手に決め付けるから苦しむ

ものごとを勝手に決めつけるから、苦しむのです。
決めつけるのをやめれば、苦痛はなくなります。

決めつけるのはそれまでの経験のせいです。ものごとに対する考えは、過去の考えから生まれます。
過去の考えはさらにその前の考えの結果です。そしてその考えはさらにその前の考えの結果です。

すべては神が人生を通して行う創造の行為であると認識し、すべてを祝福しましょう。
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2016年07月22日

すべては天からの「借り物」と感謝する

お金も、家も、恋人も、子どもも、この世には、「自分のもの」と言えるようなものは、何一つありません。

お金をどれだけ貯め込んでも、死ぬときはすべて置いていくことになります。あなたの肉体でさえ、天からの借り物、「自分のもの」とは言えません。

ましてや恋人や子どもを、自分の所有物のように扱ってはいけません。彼らには彼らの意思があり、立場があり、考え方があります。

夫だから、妻だから、子供だからといって相手を束縛することも、自分の思い通りに動かすこともできません。
恋人や子どもに対しては、自主性を尊重してあげたいものです。

「子供なら、恋人なら、こうしてくれて当然」などと、相手の意思や時間を奪わないことです。逆に、自分が相手のためにできることはないかと考えることで、おもしろいことが起りはじめます。

人は、「自分のもの」と信じ込んでいたものを失ったときに、大きなショックを受けます。「自分のもの」という思い込み、執着こそが、苦しみを生むのです。

所有欲や執着から解放されれば、いつも穏かな心でいられます。
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2016年07月21日

足し算の幸福を

私たちは、生まれてきた時は皆ゼロです。それを考えたら、わずかなものでもあれば有難いと思う。あぁ〜こんなこともしていただいた、あんなこともしていただいたという足し算で考えれば不満の持ちようがありません。

こてとは逆に、あって当然、もらって当然と思っていると、わずかでも手に入らなければマイナスに感じて、不服や不満を言い始めます。これを、引き算の不幸と言います。

今の日本は皆の意識が「引き算型」になっているようです。豊かさであれ、安全であれ、すべて世の中が与えてくれるのが当たり前、と百点満点を基準にして望むものですから、不満ばかりが募って、どんどん不幸になっていくわけです。

老人にも大きく分けて二つの生き方があるように思えます。

得られなかったものや失ったものだけを数えて落ち込んでいる人と、幸いにももらったものを大切に数え上げている人です。さまざまなものを失っていく晩年こそ、自分の既に得ているもので幸福を創り出す才覚が必要だと思います。
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2016年07月20日

生を充実させましょう

「死は敗北である」と考えるお医者さんもいますが、どれだけ長く生きるかということではなく、どれだけ深く生きるかが大切です。たとえ延命できなくとも、人生のクオリティを高める手伝いができれば、医学は使命を果たした、と言えるのではないでしょうか。

今でも「人気の高い吉田松陰や坂本竜馬は、短命に終わったことを惜しまれますが、短かったとはいえ、彼らの生涯の充実度は生き残った明治の元勲たちに劣っていると考える人はいないでしょう。

「もっとも多く生きる人とは、最も長生きをした人ではなく、生をもっとも多く感じた人である」とルソーはその著書「エミール」の中で言っています。

一方、二十世紀最高の哲学者のハイデッカーは、「死とは人間の存在の最高の山脈である」と言ってます。

人間の生命は有限ですが、死や老いに対して成熟することがあるのではないかと思います。生きるということは、成熟に向かって努力することであり、死によって平安な永遠の眠りを与えられるのではないでしょうか。
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2016年07月19日

人生が充実していれば恐ることなく最期の瞬間を迎えられる

人を愛し、人に対して思いやりの気持ちを持ち、自らさまざまなことを学び、知識を増やし、信じることができるように努力し、さらに、折々に心を見直しながら反省していくことを繰り返すことによって、明るく生きていくこと。そうして知り得た知識なり経験を、後半生には惜しみなく若い人々に伝え、社会に還元していことく。

これこそが、充実した素晴らしい毎日、満ち足りた素晴らしい人生につながる秘訣ではないでしょうか。

そして、充実した素晴らしい毎日を送ることによって、最期の時を迎えても必要以上に死を怖れることもなくなり、微笑みながらその瞬間を受け入れることができるようになるのです。
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2016年07月15日

人生が充実していれば、怖れることなく最期の瞬間を迎えられる

人を愛し、人に対して思いやりの気持ちを持ち、自らさまざまなことを学び、知識を増やし、信じることができるように努力し、さらに、折々に心を見直しながら反省していくことを繰り返すことによって、明るく生きていくこと。そうして知り得た知識なり経験を、後半生には惜しみなく若い人々に伝え、社会に還元していく。

これこそが、充実した素晴らしい毎日、満ち足りた素晴らしい人生につながる秘訣ではないでしょうか。

そして、充実した素晴らしい毎日を送ることによって、最期の時を迎えても必要以上に死を怖れることもなくなり、微笑みながらその瞬間を受け入れることができるようになるのです。

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2016年07月14日

年を取ったら節食を心がける

摂取エネルギーを控えると寿命が長くなることは、アメリカのハーバード大学でのマウスやアカゲザルを使った実験により科学的にも証明されています。

長生きをしたいと考えている人は、歳をとったら節食を心がけましょう。できることならなるべく腹六分目を心がけたいものです。
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2016年07月13日

一日のトータルが人の一生

人の一生は、今日一日のトータルです。

今日一日が生涯、密度の濃い一日を送りたいものです。

汗をかき、最善を尽くす。そうすれば、たとえ失敗しても腐らないで済みます。

多くの不満や反省は、全力を尽くさなかったから、だともいえます。

「思いわずらうのは、最善を尽くさないからだ」と、元京大総長の平沢興先生が言われました。

今日の一日、この瞬間、瞬間を密度の濃いものにしていければいいですね。
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2016年07月12日

「やってもらえる」とは考えない

老人といえども、強く生きなければなりません。歯を食い縛っても、自分のことは自分ですることが原則です。

それは別に特に虐待されていることでもなければ、惨めなことでもありません。

それは人間誰にも与えられた共通の運命です。

自分で自分のことをするようにしなさい、というのは、当然すぎるほど当然なことでしょう。
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2016年07月11日

困った経験を定年後の人生に活かす

困った人の役に立ったときは、とても生き甲斐を感じるものです。
立ち直るヒントになるちょっとした言葉をかけたり、慰めの手紙を書いたり、気の晴れる場所へ誘いだしたりしてあげると、相手の表情にみるみる生気がよみがえってきます。そんな表情をみると、役に立ててよかったと心底嬉しくなります。

そういうことが出来るのは、自分にも困った経験があるおかげだ、という見方もできます。人の気持ちが思いやれるようになるからです。それで、定年後は困った経験を糧に、ボランティア活動をしてみてはいかがでしょうか。現役のうちにみなさん、たくさんの困った経験を積んでいるものです。その分、どうすれば困った状況を打開できるか、あるいは困ったことにならないようにするためにはどうすればいいかを学んでいるはずです。そうして得た「生きる知恵」を、さまざまな問題で困っている若い世代に伝えてあげましょう。

定年後にやることがなくて困っているシニア世代が多く見受けられます。「もはや食べるために働く必要がなく、何かボランティアをしてみたい」という人も多いでしょう。ただ、何をしたらいいのかわからない、という人は、どうか、自分の困った経験や、長い人生の中で学んだ知恵などを若い世代に教えてあげてください。そうすればきっと、「困っただけの甲斐はあった」と実感できる人生が開けるでしょう。
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2016年07月08日

陰徳は耳鳴りの如し

仏教では私たちの思うこと、言うこと、行うことのすべては業(ごう)という貯金通帳に蓄えられることになっています。
特に、人に知られずに行う良いことは、大きな利子がついて、その貯金が多くなり、その結果もたらされる幸せの程度も大きくなるといいます。
「陰徳は耳鳴りのごとし」とは、まさにそれを表す言葉で、「耳鳴り」とは自分だけがわかり、人にはわからないという意味です。

年をとってくると徳を積む、徳を失わないということが心の安定、幸せにどんなにか大事かは、いくら述べても述べすぎることはないくらいです。
もし、幸せになりたいなら、心が楽になりたいなら、今からでも遅くはありません。他人に親切にし、他人の心を傷つけないようにすること、それも誰にも自慢せずにやる、という生き方に切り替えてください。

山岡鉄舟は、「この世は人のためなどということはありませんぜ」と言いました。他人のためにやれば、業の貯金が積まれ、結局自分のためになるということです。よいことをするということは、結局は自分のためなのです。

ところで、良いことをしたから今後何かよいことがあると執拗に見返り(報酬)を期待してはなりません。
よいことをした時点で報酬は既に与えられていると、考えましょう。なぜなら、あなたにはよいことができる高貴な精神性と優しさが与えられたからです。
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2016年07月07日

達者でポックリ

「達者でポックリ」いくためには二つ大事な要素がある、と帯津三敬病院の帯津良一先生は言われます。
ひとつは常日頃からの心構えを持ち、自分の死のタイミングを見極める精神性を持つこと。
そしてもう一つ大事なのは、日頃からの「養生」だそうです。

日々、「生命」のエネルギーを高め、最期を迎えるまで自立して過ごすことが達者でポックリのために欠かせない条件です。

その日を迎えるまで、健やかで充実した「生」を送り、その日が来たら迷わず向こう側の世界に飛び込んで行く、それが最高の「達者でポックリ」だそうです。

「人間には死に時があり、それを逃し、下手に長生きをするとろくなことはない」と医師で作家の久坂部羊さんは「日本人の死に時」という著書の中で仰っています。
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2016年07月06日

恩は順送り

受けた親切(恩)をその人に返せないことはしばしばあります。

そんなときは、別の人に返してもいいのです。

やさしさや真心は循環しています。
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2016年07月05日

貴老の人

「貴老」とは、老人を敬っていう言葉です。
年齢とともに何に対しても興味が薄れ、学ばなくなっては、愚老になるばかりです。

愚老とは老いて愚かになることで、これは老のマイナス面です。

老には長年経験を積んで、そのことに熟練するという「老練」「老熟」という側面があります。

「老人に対して貴老と呼ぶ。好い言葉である。老人はいつまでも愚老になってはいけない」と、安岡正篤氏は語っています。

老のプラス面を深めてゆく人生でありたいものです。
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2016年07月04日

信頼される人

「徳は孤ならず、必ず隣あり」といいますが、徳がある人とは、なにも賢者や碩学でなければならない、ということはありません。
普通の人でも、人より少しだけ思いやりが深い人、そう考えればいいのです。

大事なのは「信義を守る」「嘘をつかない」「親切を施す」というモラルでしょう。この三つを守る人には、人は信頼を寄せるものです。
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2016年07月01日

人のために長生きしてください

日本人の寿命はずいぶん延びました。ここ五十年で十年以上も延びました。寿命は時間です。その延びた時間を、たとえば寝てばかりで過ごすのと、たくさんの人に会ったり、いろんなところへ行ったりして過ごすのとでは、まったく違います。

大事なことは、自分の使える時間に何をするか、なんです。若いうちは、ほとんどの時間を自分のために使っています。
大人になれば家族や誰かのために使う時間が増えてきます。が、それは素晴らしいことです。いのちが輝きます。

私たちは八十、九十歳と長生きでき元気だったら、人のために使う時間をたくさん持てます。自分のためにではなく、人のために長生きして下さい。
posted by 田村 季山 at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする