2016年08月31日

ボケないための習慣

(1)散歩をしましょう。

毎日の散歩は、ボケから身を守ると言われます。それは軽度の運動をすることで脳に血液がたくさん流れ。血圧も正常化し、脳の代謝がスムーズに行われるようになるからです。

ところで、散歩は三十分ぐらいが目安です。三十分たったら疲れてなくても休みましょう。

荷物はなるべく持たず、ちょっと早足くらいがいいそうです。雨の日は、無理せず休みましょう。

(2)新聞や本を読みましょう。

特に声をだして読むと、色々な神経が一度に目を覚まし脳に血液がたくさん流れるそうです。

(3)日記を書きましょう。

「今日が何月何日で何曜日なのか」わからなくなるのは、毎日のけじめがはっきりしていないからです。毎日、日記を書くことを習慣にすればけじめができ、翌日への生きがいも生まれてきます。

また、書くことで右脳と左脳の両方が一度に働くので、脳が活性化されボケ防止につながるのです。

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2016年08月30日

自分自身の持つ治癒力を信じる

医師というのは自分が患者を救ったように錯覚してしまうことがあり、患者もまた、医師によって救われたと信じていることが多いものです。

けれど、医師の力だけで救うことはできません。医師はたまたまその場に関与したにすぎません。

患者が医療においてまったく受身であれば、病からの癒えを実現するのは困難です。早く治って元気になりたいと望むことも含め、痛みや治療に耐えたり、明日に希望を持ち続けたりといった、病む人の前向きな行動や気持ちが、病からくる不安をなだめ、病いそのものを癒す力を強くしているのです。

癒しの力は、その人自身が内に持っているということです。

進行したガン患者に音楽療法が癒しの力を発揮することがあるのも、その人の持つ治癒力が音楽によって支えられるからです。

医師はどんな患者にも本来備わっているその力をうまく利用して、あるいは眠っているその力がふたたび働き出すよう、専門的な立場から支援をしているに過ぎないのです。

悲しみや困難を乗り越えていく力は、誰もが自分のなかに持っています。そのことを強く信じることが大事です。
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2016年08月29日

体にいいことしてますか?

生活習慣病やメタボリックシンドロームに関心が高まり、お腹周りを気にする人が増えてきました。

空腹感がないのについ食べてしまうという場合が一番問題です。

食べすぎ、運動不足、ストレスなどは、ちょっとしたことでも度重なると体に大きな負担を与えます。ちょっとずつでも改善できれば、体は元気になっていきます。

全てにおいて完全主義は自分の気持ちを追い込んでしまってよくありませんが、いつもの自分より少しだけがんばる方法をみつけることが大切です。

いつまでも、若く元気であるために、体にいいことをはじめましょう。

家の掃除をする。草取りをする。ガーデニング。車を洗う。散歩などなど、簡単なことでいいんです。
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2016年08月28日

少しのいい思い出のために生きている

昨今は「生きがい」とか「人生計画」という言葉が流行し、人生に何か目標や目的を持って生きることが正しい生き方のようにいう人も多いものです。

しかし、生きること自体が目的というのでも十分ではないでしょうか。

新聞やテレビで話題になる著名人は、人と違うことをやって目立ったから話題になったのであって、誰もがそんな生き方ができるわけではありません。

みんな誰でも、生きていることが目的で、少しのいい思い出があればいいと一生懸命生きています。

平凡かもしれませんが、それは素晴らしいことなのです。

あなたの周囲にいる人たちだけではありません、電車の中で隣に座っている人たち、向かいに座っている人たちもみんなそうやって生きてるんです。

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2016年08月27日

モノに囚われないこと

臨済宗の高僧、仙涯和尚は無欲の人と知られていました。八十八歳で臨終を迎え、弟子たちに最期の言葉を求められると、「死にとうない」と言ったそうです。

この話を聞いて、「なあんだ、無欲の人といっても、やっぱり死ぬのはイヤなんだ。我々凡人と変わらないじゃないか」という人がいます。つまり、無欲の人というのはウソで、死ぬまで「生きたい」という欲を捨て切れずにいたのだろうというわけです。

もしそうだとしても、それはそれで人間らしいし、我々凡人に近く、かえって親しみが持てます。

だいたい、僧侶だから「死にたくない」と思ってはいけないとか、高僧だから立派な言葉を残さなければいけないということが、モノにとらわれている証拠なのです。

肩書や地位などモノにとらわれなければ、人から何といわれようと平気でいられます。だから、死に臨んでも、高僧だから何か立派な言葉を残さなければいけないということもなく、心のままに「死にたくない」と言ってもなんら恥ずかしいとも思いません。

仙涯和尚は、モノにとらわれない真に無欲の人だからこそ「死にとうない」と言えたのです。

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2016年08月26日

今あるもので満足

本当の料理上手というのは、手元にある食材、たとえば冷蔵庫のなかにある「残りもの」だけで、おいしいものを作れる人のことです。応用問題なので、頭がよくないとできません。

最近はテレビの料理番組で芸能人がよく登場します。贅沢な食材を使った料理を得意げにつくる芸能人より、安い食材でアイデア料理をつくる「一ヶ月一万円生活」に登場する、お笑いタレントのほうが共感をもてます。

料理に限らず「あるもの出しの気がねなし」で、手元にあるもので満足して、それを上手に利用しながら生活をエンジョイできる人は幸せです。

今あるもので満足し、あるがままを受け入れて喜ぶという気持ちがほんとうは大事なのではないでしょうか。
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2016年08月25日

「じっくり考えさせて・・・」の落とし穴

確かに、定年退職は人生の大きな句読点です。何十年と働いてきて「ここらでひと休み」と思っても不思議な話ではありません。

定年退職した人に「これから何をやりますか」と尋ねると「しばらくのんびりして、これからの人生をじっくり考えてみたい」と多くの人がそう言います。しかし、そう言った人に限って、その後、何か始めたと言う話は聞きません。

じっくり考えるのも結構ですが、体のほうは時間をおくとなまってしまうのです。

一度なまってしまうと、年齢からくる回復力の衰えは否めず、次第にやる気を失っていくものです。

じっくり考えるのも良し悪しということです。
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2016年08月24日

病気がもたらす益

病気は、今日、多くの忙し過ぎる人々に、その人たちが非常に必要としている閑暇、完全なる安息、過去や未来を静かに考えるチャンス、そして人生で本当の宝とは何であるかを正しく認識すること、それから、良い思想とはどういうものであるのか、また、自分が既に持っているあらゆる恵みに対して感謝するなど、健康である時には、善良な人でさえもしばしば見失いがちなものを与えてくれます。

病気は人生の大きな喜びの一つを与えてくれるのです。それは、回復の快感と、新たになった生活感の愉快さです。

健康になったら、正しく生活をして、働こうというだけでは充分ではありません。まず病気の時の反省の期間に、霊的な方面で正しい道を見い出すことが重要であって、単に身体だけを治療するということ、そして、その治療が成功することは、逆に言えば、精神的に害になることもあると言うことです。

健康は自然的なものではなくて、神の賜物であり、神の戒めに従って生活しなければ健康は長続きしないものであるという確信を新たに固めることが肝要なのです。


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2016年08月23日

よく捨てること

人間の細胞もそうですが、古いものは、新しいものに変わるべきなのです。

ことに人間が美的に整然と活動的であるには、まず単純な生活から始めなければなりません。

だらしのない人間の部屋は、決して何もない、という感じにはなっていません。

あらゆる不用なものが、生活の空間を占領していて、もっと積極的に使えるはずの場所をふさいでいます。

人間は捨てることのほうに勇気がいるのです。

物を捨てると、新しい空気の量が家の中に多くなります。それが人間を若返らせます。

一般に、年をとるにつれ、品物は一つ買ったら一つ捨てることが、理想的です。

一つとっておいたら、古いものを捨てねばなりません。それが、限られた面積に住む庶民生活の道理です。
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2016年08月22日

雪と欲は積もるほどに・・・

最近の例を見るまでもなく不祥事を起こす企業の多くは大企業であり、世間から見れば立派な会社です。そこで働く社員も一流大学を卒業した優秀な人たちです。社会常識も道徳観念も備えているはずです。そんな立派と思われる人が、なぜ人の道をはずした不祥事に手を染めてしまうのでしょうか。

その問いの答えは、「欲」にあるのではないでしょうか。いい人とか真面目で立派と思われている人も、ひとたび仕事モードに入ると、目に見える形で評価を得たい、という欲のために道を忘れてしまうのです。

もっと売上げを上げたい、業績を伸ばしたい、業界トップになりたい、という会社の欲と、それに応えて営業成績を伸ばしたい、評価を得たい、出世したい、という社員の欲が積もり積もった結果、人の道が見えなくなってしまうのです。

雪国には「雪と欲は積もるほど道を忘れる」ということわざがあるそうです。

少し仕事モードに入りすぎているなと思ったら、俗世の欲をちょっと
抑えてみることです。
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2016年08月21日

きっとなんとかなる・・・そうなっている(大丈夫ってこと)

景気が回復したといっても、中小、零細企業では、給料カットどころかリストラや倒産の憂き目にあった人も多いでしょが、絶望的な気持ちのときは、まわりが何を言っても効き目はありません。

気持ちが落ち着くのを待って、本人が、「人生 こんなもんだ」と現実を受け入れるしかありません。

つらいことや苦しいことも、その人に降りかかってくる問題は、どんな問題であれ、必ずその人自身が解決できます。

自分で解決できない問題は降りかかってこないのだと信じることです。

あるがままを受けとめて、それから解決策を探していきましょう。
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2016年08月20日

死ぬまで働けることは幸せです

「働きたくもあり、怠けたくもあり」というのが、壮年でも老年でも人間には多いのではないでしょうか。一般的に言って、少しでも働く場所があり、働く機能をいささかでも持っていたら、働けることに感謝すべきです。

世間では、老人を働かすのは体裁が悪いというだけの理由で無理に社会から引退させる家族がありますが、それは残酷です。

もっとも、年をとるにつれて、社会的に大きな責任を持つようなポストからは、老人自らが引く心構えを持つことが望ましくはあります。

肉体の労働とともに、頭脳の労働も実に大切です。家庭の主婦は、まとまった本を読まなくなり、研究心に欠け、がんばりがきかなくなり、たやすく他人の噂を信じて、それを話題にするようになったりします。

頭を鍛える最上の方法は、たえず抵抗のある状況に自分を置くことです。つまり、いやな思いをすることです。

家庭は、この面では防波堤の中にあるので、むしろ悪環境であるかもしれません。

人からいやな目にあわされて腹が立ったら、むしろ感謝すべきなのです。これくらい心身の賦活に役立つものはありません。
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2016年08月19日

卑しくない生き方

書家の井上有一さんが「貧困はいけないが、貧しさは尊い」と言われたそうです。

たしかに貧しいことは清く尊く、決して恥ずかしいことではありません。

ランチに何を食べようと、どんな服を着ようが、人に迷惑をかけない限り、本人が満足していればそれでいいのです。

しかし、貧しさを売りにして人の同情を集め、それでお金を蓄えることなどは、人間として一番いやしいことです。

貧しいけれど、決していやしくない、そんな生き方がいいのです。
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2016年08月18日

ほどよいくらいに使い切る

アメリカ人は、四十八歳ぐらいで総資産のピークを迎え、イタリア人は五十〜五十五歳頃にピークを迎え、死ぬときは見事に貯蓄をゼロにするそうです。

ところで、日本人の総資産が最も高くなるのは死ぬ時で、平均すると三千五百万円の金融資産を残したままあの世へと旅立つそうです。

お金とともに残るのは後悔です。「もっとこんなことをしてみればよかった」「あんなこともやってみたかった」と、悔やみながら死んでいきます。

あくせくと働いて必死に貯めたお金、それを使わないまま人生を終える・・・・こんなつまらない生き方はありません。

お金は貯め込むものではなく、使うものです。人生の最後の瞬間に「自分の人生はよかった」と思えるためにも、お金を効率よく使い、死ぬ瞬間に後悔しないですむような生き方ができるといいですね。
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2016年08月17日

モノに執着しない(離欲)

古代ローマの思想家セネカという人が、「貧しいのは、少ししかもたない人ではなく、もっと欲しがる人のことだ」と言ったそうです。

貪欲は人を豊かにはしません。年を取るにしたがってモノへの執着は徐々になくして行った方がいいでしょう。

モノに限らず地位や肩書き、名声、見栄なども捨てて、身も心も軽くしていくのも一つの生き方です。

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2016年08月16日

日々、頭をつかっていましょう

水は常に流れていると、きれいです。淀んだりためたりすると、いつかは腐ります。

人間も同じで、若いときどれほど輝かしい実績を築いた人でも、あるいは、定年後の人生設計を完璧にして悠々自適な生活を送っている人でも、変化のない生活をしていると、いずれその輝きは失せていきます。

「智はなお水のごとし、流れざるときはすなわち腐る」と中国・宋代の張詠という人が言ったそうです。

つまり、頭は常に使っていなければ、バカになってしまうと。

頭をサビつかせないためには、ちょっとしたことにも関心を持ったり、日々刺激を求めて自分を変化させていくといいのです。そうすれば、頭も人も腐らないはずです。
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2016年08月15日

できることはたくさんあります

耳が聞こえないことは、決してその人の知性が劣って来たことではありません。

しかし、会議とか、交渉とか、細かい音声が聞こえないとすばやく反応できない場には向かなくなったのです。

だから、そのような任務にいつまでもしがみつくべきではありません。

しかし、耳が遠いということは、その人が思考したり、書いたり、手作業したりすることには全く差し支えはないでしょう。

だから、自分にとって得手の分野で働き活動をすることを楽しみとすべきです。

その人に適った道というものはいつでもどこでも残されているのです。

補聴器やめがねは、乏しい予算でも、無理をしてもお金を出すべきです。

子供たちも、お菓子や座布団を贈るより、これらのものに心を配るとよろしいかと思います。
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2016年08月14日

老人の敵?・・・車いす?

人間はできる限り、自分で立って歩いて、自分の用を足すべきです。

それには時間もかかるし、看護人はじれったくなって、車椅子を持って来たくなります。

しかし、それに逆らっても、ほんとうはできる限り自分で歩かねばなりません。

老人のほうにも楽をさせてもらえば嬉しい人がいます。

そういう人は「年寄りを歩かせるのは、看護人に優しさがないからだ、車椅子に乗せて押してくれてもいいのに」という考えに傾きます。

そう思いたい人はそれでいいのでしょうが、歯を食いしばっても歩きたい人は、はっきりと自分で歩きたいと、希望を伝えるべきでしょう。

手厚い看護風に見える車椅子も、普通の生活ができなくなることや歩行困難等を助長してますます老いを加速させる可能性があります。
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2016年08月12日

老いをプラスに考える

古代ギリシャのメナンドロスという人が「老いは悪くない。老いぼれることがよくない」と言ったそうです。

老いを恥じることはありません。老いぼれることなく、何かまた新しいことを始めたり、好きなことだけしていればいいんです。

時間が若いときより多くとれるでしょうから、のんびり、ゆっくり自分のペースでやればいいんです。

身体が悪く自分で動けなくなっても、やれることがあります。

それは、お世話してくれる人、まわりにいる人の幸せを祈ってあげることです。

「祈り」というものはみなさんが考えている以上の力、効果があります。
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2016年08月11日

生きているだけで丸儲け

「生きているだけで丸儲け」一度死にかけた人の心境というものは、そういうものです。

生きていればいつ幸運が訪れるかもしれません。今こうして何事もなく生きていられることが、既に大変な幸福なのです。

自分の足で歩けること、手が動かせること、自分でトイレに行けること。三度の食事が食べられること。

これがどれほど幸せで有難いものなのか、人は病気になったり、ケガをしたりしないとなかなかわかりません。

介護しなければならない人がまわりにいないだけでも、どれほど恵まれて幸せなのかわかりません。

「あれが欲しい。これが欲しい。」とないものばかり要求したり、不平不満ばかり言ったりしています。

今日、何事ごともなく普通に過ごせていたら、幸せそのものなんです。

それは、事件や事故に巻き込まれないように神様があなたを守っていてくれたということなのです。



posted by 田村 季山 at 03:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする