2016年12月31日

人の世に貢献しようという切なる想いを

誰でも肉体の臨終にのぞんで、自分の一生涯を振り返って感じることは、自分はこの世に、また人に、何の貢献もしなかったという嘆きだと思われます。

そのような悔いのない充分な生き方をしておかなければなりません。

「自分は人の世に貢献するような能力もなければ地位もない、ただ碌々(ろくろく)として会社の仕事をさせられているだけだ」と考える人がいるかも知れません。

しかし、碌々とした単調な仕事をなしながらでも、その人がその仕事を通して人の世に貢献しようという切なる想いを持って、祈りながらその仕事を遂行するならば、そこには偉大なる業績が積まれつつあるのです。
posted by 田村 季山 at 03:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

すべての過去が明日への力に

今を懸命に生きることは、未来を生きる力につながっています。来し方を振り返って、「なかなか私もよくやってきたじゃないか」と、過去の自分を懐かしく思い返せたならば、そうして、「もう少し力を出してみるか」と、いまの気持ちを立て直すきっかけをつかめたのならば、なんと素晴らしいことでしょう。

心を打ちのめされている渦中で、自分の奥深くにある愉しく明るい過去の一瞬を拾い出してこられる能力。そんなたくましい想像力も、生きていくうえで是非とも携帯したいと思います。

自分の生きた過去はすべて、明日を生きていくための力になるにちがいありません。
posted by 田村 季山 at 03:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

生活習慣を正しましょう

風邪などはかかっては治るということを何度も繰り返しますが、これは風邪を治す薬のおかげで治るわけではありません。放っておけば自然に治っていく過程を少しでも楽に過ごせるよう、熱や頭痛などの症状を緩和する薬を処方しているにすぎません。

風邪を治しているのは、薬ではなく、その人がもともと持っている自己治癒力や免疫力なのです。

このように、医学の力を借りて病が治ったように見えても、それはたいてい一時的なもので、もとの健康な状態にまで回復できるケースはそう多くはありません。

医学ができることといえば、せいぜい痛みを止めたり、吐き気を抑えたり、一時的に熱を下げたりといった程度のことです。それはつまり、今あらわれている症状を緩和したり、悪化のスピードを遅らせたり、少しでも長くいのちをひきのばしたりといった対処療法にすぎません。

現代の日本人の大部分が、癌や心臓病、脳卒中といった生活習慣病で亡くなっていますが、この長年かけて自分で作り出してしまった病を根本から治す医学は、残念ながらまだどこにもありません。

生活習慣を正しましょう。

どんなに誠実で、やさしい思いやりのある素晴らしい人でも、生活習慣がよくないと病気にかかってしまうのです。
posted by 田村 季山 at 03:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月28日

喜びの感度が高い人・・・悪いところに焦点を当てない

生きていくことには、悲しみはついてまわります。

けれども、悲しみの数よりもはるかに多くの喜びが人生には用意されております。

人には喜びを敏感に感じ取る能力というものが与えられております。

死の病に冒され苦痛にあえぎながらも、さわやかな季節の風を感じて感謝する人、ほんのひとくちでも家族とともに同じ食事を味わえることに満足の笑みを浮かべる人、そうした人に出会うたびに、この人はなんと喜びの感度が高いことだろうと感嘆します。

進行した癌を患いながらも、病を縁にして医師や看護師とのよい出会いに恵まれた、家族や旧知の友と新たに深い出会いができたといい、「私はいつだって運がいいのです」と、笑顔で語ってくれた人もいました。

苦しみのさなかに喜びを見い出す力を私たちは持っているのです。
posted by 田村 季山 at 03:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

今与えられているどんな小事にも感謝する

与えられるためには今すでに与えられているものをよく消化して吸収するということが必要です。

今与えられていてもそれを消化吸収することができなかったならば、不消化病にかかった胃袋みたいなものでいかに与えられても入らない、受けられないのです。

だから今与えられているものに対して本当に感謝しなさい。今与えられているものがどんなに小さいものであっても、それをしみじみ噛みしめて消化吸収するとき、次に与えられることになるのです。

あなたは既に日光を与えられているではありませんか、あなたは既に太陽の光線を与えられているではありませんか、あなたは既に空気を与えられているではありませんか、あなたは既に水を与えられているではありませんか、衣服を与えられているではありまさえんか、食物を与えられているではありませんか、数え上げれば無数に色々なものを与えられているではありませんか。

posted by 田村 季山 at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

介護と向き合う時に大切なこと

1、他人の助けがないと人は生きていけないので、家族を中心とした人と人とのつながりを大切にしておく。

2、無理して家族で全部しようとせず、社会的なサービスを活用する。

3、心が喜ぶと、介護を受けている人も、している人も劇的に変わるので、生活・人生・魂の質を高める。

4、物事の視点を変えて見てみると、状況が好転することがある。

5、すべての人を価値ある存在としてとらえ、対等な立場で共感・尊敬し合うよう心がける。

と、諏訪中央病院の鎌田實先生が話されてました。

posted by 田村 季山 at 03:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月25日

ないものは知恵で補う

足腰の衰えという老化を、すぐさま目の前に立ちはだかる巨大な壁のようにとらえてしまえば、その先に一歩も進めなくなります。

ほんの少し視野を広げて見れば、その壁が思っていたほど高くないことも、壁の周囲には何本もの脇道が通っていることも見えてきます。もっと頭をやわらかくして受けとめてみてはどうでしょうか。

老人はからだの機能は衰えていきますが、知恵は若いときよりも豊富です。知恵はしまっておかずに大いに使うべきです。

老化という重荷を負って岐路に立つたびに、いくつもの選択肢がぱっと頭に浮かんでくるようでありたいものです。
posted by 田村 季山 at 03:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

食事を楽しくいただく

あなたが食事を摂るときは、その食物に感謝して楽しい気持ちでおあがりなさい。その時には、口の中に非常に消化力の強い唾液が出て、そのためにたべる食物が口の中で消化して、甘くなるから美味しく感じられるのです。

すなわち楽しい思いをもって食べれば、食事は一層楽しくなり、「楽しさ」は一層楽しさを呼び出して来るのです。

これに反して楽しくない心で食べれば、口の中に出てくる唾液は消化力の弱いものとなりますから、どの食べ物もおいしさがなくなって、ますます楽しさがなくなってまいります。

楽しくない心を起こせば一層楽しくないことを引き寄せることになるのです。

「食事の時には楽しく召し上がれ」

posted by 田村 季山 at 03:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

人間的な死にざまを、自然に見せてやる

老人になって最後に子供、あるいは若い世代に見せてやるのは、人間がいかに死ぬか、というその姿です。

立派に端然として死ぬのは最高です。それは、人間にしかやれぬ勇気のある行動だし、それは生き残って、未来に死を迎える人々に勇気を与えてくれます。

それにまた、当人にとっても、立派に死のうということが、かえって恐怖や苦しみから、自らを救う力にもなっているかもしれません。

どんな死に方でもいいのです。一生懸命に死ぬこと。それを見せてやることが、老人に残された、唯一の、そして誰にもできる最後の仕事です。
posted by 田村 季山 at 03:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月22日

与えられた仕事に誇りと感謝を

人間の心持ちというものは、ラジオの周波数のように、その波長と同じようなものを自分に引き寄せるようになっいますから、仕事をする時に、面白くない、楽しくない、不愉快な気持ちをしていますと、楽しくない、面白くない、不愉快なものばかりを自分の周りに引き寄せてきて、遂に自分の職業や商売がダメになってしまうものです。

それで私たちが仕事をする時には、その仕事に感謝し、この仕事を通して私は誰かのためになっているのであると考え、誰かのためになることは尊いことであり、それをするのは名誉であると考えて楽しくなって仕事をすることが大切です。

そういう心の波長で仕事をすれば、自分の心の波長によく似た善き人ばかりが自分の周りにも集まって来て、自分のためにもなり、自分の職業が栄えて来るようにもなります。


posted by 田村 季山 at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

若いうちから、よく脚(あし)を鍛えておくこと

歩くということは、ただ単に、一つの地点から一つの地点へ移動できるという能力以上に重大な意味を持っています。

歩くということは、第一に健康にいいのだが、それ以上に歩けるということは、人並みだということの最低の保証であります。

歩くことによって人間は、自分が入って行ける世界を拡大することができます。新しいものが見られ、珍しい体験ができ、知らない人と親しくなれます。これが続くかぎり、人間は孤立することがありません。

何か事あるときには、身一つでどこまでも時間をかけて歩いて行けばいいのだ、と思える人は、この世に恐怖感を持つことが少ないでしょう。恐怖感を持たないですむということは、心理的に防衛一辺倒のエゴイズムに陥らずにすみます。ここが大事なところです。

若いうちからタクシーばかり乗りたがる人がいますが、老後のことを思えば、それは不養生をしていることになります。また既に老年にさしかかっている人は、今からでも脚(あし)を鍛え始めなければなりません。

posted by 田村 季山 at 03:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月20日

自分は丈夫であると考えなさい

あなたは「自分は若々しい」と考えることも自由であり、また「自分は年寄りくさい」と考えることも自由です。そして、あなたはその思い通りになるのです。

あなたは自分の体を丈夫だと考えることもできます。そうすると体が自然に丈夫になります。

あなたは自分の体が弱いと考えることもできます。もしそう考えれば、自分の体が弱くなります。

あなたは若々しくありたいですか。それなら、「私は若々しい」と常に考えるようにしなさい。

あなたは体を丈夫にしたいですか。それならいつでも「私の体は丈夫だ」と考えるようにしなさい。

心に思う力ほど強い力は他にはありません。

自分を体の弱い、力のないつまらないものだと考えれば、その通りになります。自分を体の丈夫な、頭の良い、立派な人間だと思えば、その通りになるのです。

あなたが心で思った通りのものが、あなたの姿になるのですから、これからは必ず善い事ばかりを心の中で考えるようにしましょう。
posted by 田村 季山 at 03:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

「想い」が形の世界に実現する

あなたが心に考えることは、それが形の世界に実現する素(もと)になります。あなたが心に考えたことは、大小となくことごとくあなたの肉体の形の上にあらわれてきます。

だから同じ成分の食事を摂りながら、自分を「老人」だと思っている人は、頭に白髪を造り出し、顔に皺(しわ)だらけの皮膚を造り出すのですが、「自分は、まだまだ若い」と信じている人は、年のわりに老いず、七十歳を越えてからでも「人生は七十から」と、若々しい相貌をしていられます。

心の中に、病的な思想、想念、感情を持っていると、あなたの喜びを奪い、楽しさを奪い、健康を奪い、若さを奪い、命さえも奪って行くのです。

あなたが健康や、若さを大切に思われるならあなたの心の中に「病い」の想念、「心配」の想念を、利己的な想念を、憎しみの感情を、争いの感情を、嫉妬の感情を、忍び込ませないようにしなければなりません。

明るい言葉、楽しい語調、晴れやかな表情は、楽しい感情を呼び起こし、全身の血行をよくし、心臓の運動を軽快にいたします。
posted by 田村 季山 at 03:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月18日

よき種を蒔く

この地上に生を受けた者として果たしていくべきことは、よき種をまいていくこと。

決して憎しみとか、悲しみの種をまいてはならないということです。

生かしていただいていることに感謝できる人生を築いていくこと。

少しでも人様のお役に立つことをなして喜びの種をまかせていただきましょう。

「喜べば喜びが、喜びながら喜び事を集めて喜びにくる。

悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみ事を集めて悲しみにくる。」

どこかで読んだ言葉です。喜びの種をまく人生を送りたいものです。
posted by 田村 季山 at 03:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月17日

喜びの種を蒔く

寝たきりで、すべて人の手を借りる暮らしをしていたおばあさんがおりました。自分が不甲斐ないのか、世話を受けながらいつも不機嫌でした。

ある時、一人のお坊さんから、お金、財産がなくても誰でも七つの施しができるという「無財の七施」という話を聞きましたが、「でも、私はこんな体で人に与えられるものなんかありません」と言いました。

お坊さんは、「あなたにも与えられるものがあります。人にしてもらったら、手を合わせて、ありがとうと言えばいい。言われた人はきっと喜びますよ。感謝のひと言で喜びの種をまくことができます」と言いました。

おばあさんは、涙を流して喜んだといいます。人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、花を咲かせることができます。
posted by 田村 季山 at 03:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月16日

感謝して見送る

人にもよりますが、友人の死に対しては、意外とショックを受けてないように見えるお年寄りも多い。

若い者から見ると、友人が死ぬということは、心の流露を受けとめる相手がなくなることで、どんなにか辛いだろう、と思うのですが、年を取るということは、その淋しさをもあまり感じなくてすむようにしてくれるのかもしれません。

友人に先立たれる場合のことは、夫あるいは妻に先立たれることと同様に、常に事前に、繰り返し繰り返し予想することが大切です。

そうすると、やって来た運命に対して、心構えができています。いよいよ別れるのだ、と嘆くよりも、何十年か楽しく付き合ってもらって、ありがたかった、と感謝すればいいのです。
posted by 田村 季山 at 03:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

あとは、自分の知ったことではない

老人の間で常に問題になるのは、自分の持っているお金をどのようなテンポで使っていったらいいか、ということです。

早く死ぬつもりが、長く生きすぎて一文無しになって余生を送らねばならぬと困る、という口実のもとに、爪に火をともすようにして、倹約して暮らし、ついに自分の貯えたお金の恩恵をまったくこうむらずに、何もしてくれなかった甥や姪に残して死んでいく老人がいかに多いことでしょうか。それは、ほんとに滑稽なことです。

九十まで生きるつもりで、それで使い切るように計算して、あとは、自分の知ったことではない。

それだけ生きれば、あとはどうされてもいいではありませんか。なんとかなります。世間はそんなに非情でもありませんよ。
posted by 田村 季山 at 03:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月14日

若い世代は自分より忙しいと考えておく

現役にある世代は雑用に忙しい。それを思いやることができなくなった時、私たちはかなり老化が進んでいる、と思うべきです。

老人が、自分が暇であることを中心に考えて、他人に簡単にものを頼むことは、ほんとうはかなり自戒しなければならないことなのです。

「ちょっとしたことだから」と老人は考えます。

もちろん誰もが、人にものを頼まずに生きることなどできません。だから頼む時は「ちょっと」のことだと思わずに頼むことです。

そういう自覚があれば、時には人の手間に対して、お金で報いようと思うかもしれないし、金銭で報いなくても、深い感謝を言葉に表すことになります。「普通ならして頂けないようなご好意を頂きました」
と礼を言えるのです。

その時初めて、年齢のうえの、若さと老いとの隔たりは取り払われ、そこにいるのは、感謝と世間の状況をよく知った賢い人たち、という間柄が成立するのです。
posted by 田村 季山 at 03:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

明るく振る舞う

愚痴を言って、いいことは一つもありません。

愚痴を言えば、それだけ自分がみじめになります。

「ひがむ」のもあまりに凡庸だから、意識してやめることです。

体が悪くなり、能力がおとろえ、友人が死んでしまったら、暗く悲しい思いになるのも当然でしょうが、当然だから、そのままそのような顔をしていていいということはありません。

明るくすること、心の中はそうでなくても、外見だけでも明るくすること。

明るく振る舞うことは、世間への礼儀です。
posted by 田村 季山 at 03:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

食物への感謝

ただ今私のお膳にすえられた一杯のご飯、これは私の今日の命の糧、活動の根元であります。

これが無ければ生きてゆけないとわかった時、食物に対してどんな心持ちでいるのが最も正しく、間違いない心構えであるかか、すぐわかります。

ここに食物に対する感謝感激の心持ちは自然とわいて来て、食物を通して天地の恩がしのばれ、やがて社会の恩、または生命の根元である父母・祖先・・・神仏のご恩まで、ひしひしと身にせまってまいります。

こうした美しい自然の愛情の上に立って生まれてきたのが、食事の礼儀であり作法なのです。
posted by 田村 季山 at 03:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする