2016年12月11日

日々に新たに

名誉や地位や才能や世間の評判や、そうしたはっきりしない影のようなものにつかまり、失うまいとあせる。

それがかえって自分をそこにくぎづけにして、進歩も向上もさせないことになります。

一境に達すれば更に、また新しい次の一境、かくして月に進み、日に進み、時々刻々に新たなるこそ、不断の進行です。

進行は、捨てるのである。向上は、捨てるのです。

得ては捨てて、捨てては得る。こうして、その日々を、捨てて、捨てて、進んで行くのです。
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2016年12月10日

食の自由の境地

世の中には、同じものを食べる事をいやがったり、それがいけないことのように思ったりする風潮があります。これは考えようであります。

ことさらに同じ物ばかり食べる必要はありませんが、得られない時は、何日でも何ヶ月でも同じ物を食べて、少しも飽きません

それでも、少しも体にさわらないという食べ方が、本当なのです。お米のご飯はどうでしょう。ミソ汁は、お茶は、漬物は、年がら年中、同じものを同じ方法で煮炊きし、同じように食べる。

そして、いよいよおいしく、いよいよ栄養になります。

これが、食べ物に対する真の自由の境地と言えるのです。
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2016年12月09日

心を変える

物そのものを変え、相手の人を改めるということは、容易ではありません。

ことに天候、気候は、これを変えるということはできません。「どうすることもできない」ということがわかれば、我が心を変えるよりほか道がありません。

しかも我が心を変えること、これほど容易なことはありません。

人間ほど愚かな者はありません。できやすいことはせず、難しい道を無理に歩む。

すぐ変わることは変えようとせず、変らぬことをかえようとする。
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2016年12月08日

現在に生きる

人は常に、現在の一瞬に生きております。そのほかに我はなく、これを外にしては人生はありません。

過去はすぎさった現在であり、未来は来ようとする現在です。ただ今に生きる、これが人生です。

現在の一瞬を、最大に働きぬく、最高に楽しみぬくこと。

そしてその働きと楽しみとは、実は別物ではありません。働きこそ最高の楽しみであり、いわゆる娯楽は、働きを真の働きとするためであり、娯楽によって得た心境を働きに移すための娯楽なのです。
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2016年12月07日

不自由は心の迷い

これまで不自由は、時のせい、所のせい、人のせい、環境のせいと考えてきました。

しかし、そうではありません。たとえば、厳寒のなか、寒さにちぢみあがるのは、さもしい心の人間だけです。この時、動物の多くは、しずかに冬眠して、夏の働きに備え、秋の充実の準備をしております。

目前の対象に、時・処(ところ)に不自由を感じているのは、実は己のわがまま根性が映ってそうさせているものです。

いかなる環境にも事柄にも仕事にも、不自由は何一つないのです。
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2016年12月06日

玉のような心で

家庭に暗い影をなげるものは、不平であり、わがままであり、怒りです。これらがつのってくると、争いとなります。

争いは、自分一人を中心としてものごとを考えることから出発します。人をさげすみ、人を容れず、己一人を高しとする。

このような心を洗い去った、明るい、純一の心、これを持ち続け、養い高めていきましょう。

ついに、玲瓏(れいろう)玉のごとき心境に到達するでありましょう。そして、その家庭を理想の境に高めてゆきましょう。

ここに豊かな文化が育ち、うるわしい文化人がはぐくまれるのです。
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2016年12月05日

幸福の鍵

何事もいっこうに苦にしない人がいます。いつも朗らかで、その人がグループに入ると、皆朗らかになります。

それは、暗い所にともし火をもって行くようなもので、その人の行く所が明るくなります。

こうした人は、いつも幸福に暮らせます。人は幸福に暮らしているから朗らかなのではなく、朗らかにしているから、幸福な事情がつぎつぎにあらわれてくるのです。

車にヘッドライトがついているから、行く先々が明るいのです。

明るい所を選んで行くのではなくて、行く所が、どこでもすべて明るくなるのです。
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2016年12月04日

今こそ無二の時

人の自覚の第一歩は、今いるところをもっとも良いところであると自覚し、今の時間を最もよい無二の時なのだと認識するところに始まります。

人生は、一本勝負。やり直しが出来ません。

今をきらい、おそれる者は、人生を失います。
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2016年12月03日

若い人のモデルになるように生きる

「君たちは何歳まで生きたいですか」と聖路加看護大学の新入生に聞くと、学生たちの答えは、なんと「五十代まで」というのが大半で、「八十歳以上」と答えるのは毎年一人か二人だそうです。と日野原重明先生が著書のなかで言っておられました。

ほとんどの人が二十歳前の若い人たちですから、自分の老いた姿や死ぬときのイメージなどできないのも無理ないかもしれません。けれど、若い人があまり長生きしたくないと思うのは、彼女たちの目に老人が魅力的に映ってないから、とも言えそうでとても残念です。

彼女たちの輝く若さに負けないくらい、老人たちがいきいきとしていたら、おそらく答えはちがってくるでしょう。

「あんなふうに年齢(とし)を重ねられたら素敵だな」と、若い人のモデルになるような生き方をしたいものです。人生は若いことにだけ価値があるのではなく、老いて円熟するという価値もあるんだと、私たちは自らの生き方を持って若い人に伝えることができるはずです。

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2016年12月02日

病気が快復しないとは思わないこと

体の調子が悪いときは何より優先して治さなければなりません。

医者へも行かず、ひたすら体が悪いと訴える老人がいますが、それでは周囲が困ってしまいます。

老年の病気は、なかなか治りにくいものですが、それでもやってみるほかありません。病気に関して的確な療法が見つからないのは何も老人に限ったことではありません。

人間は治らなくても、治そうとする過程が大切なのです。

医者へも行かず、家の人に体の不調だけを訴え続けるようなことは、老人であろうがなかろうが、人間としての生き方からみても不遜であります。

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2016年12月01日

今この瞬間を大切に

年をとって気がつくと、もう先がありません。

過去は終わっておりますし、未来はあてになりません。

だからいま生きているこの瞬間を、一番大事にしないといけません。

いまこの瞬間を大切に。

いま目の前にいる人を、いま目の前のことを大事にすることです。

posted by 田村 季山 at 04:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする