2017年02月28日

人間にも賞味期限がある

以前、賞味期限が問題になっていました。賞味期限は商品だけにあるものではありません。

人間にも当てはまります。期限は年齢によるものではなく、百歳を越えてもなお、まだ十分に余裕を残している人もいれば、二十代で期限の切れてしまった人もおります。

人間に与えられる期限の規準は、その人が他の人から信頼され、かつ社会に貢献しているかどうかにかかっています。

百歳を越えても、多くの人々に頼りにされ、お手本となる生き方は、期限を十分に余す人です。一方、「自分さえよければ、それでよし」とする生き方をしている人は、期限切れといえるでしょう。

私たちも多くの人々のお手本となれるよう努めなければなりません。

posted by 田村 季山 at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月27日

過去を今に生かす

人間の真の偉さというものは、その人が自分のすぎさった過去を、現在もどの程度忘れずにいて、これを生かしているか否かということによって、決まるとも言えましょう。

また、人間の真の強さというのは、人生のどん底からたちあがってくるところに、初めて得られるものです。人間もどん底からたち上がってきた人でなければ、真に偉大な人とは言えないでしょう。

posted by 田村 季山 at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

小さなことにも喜びを感じられる人になる

小さなことに喜びを感じられる人にはどういう特典があるでしょうか。

それは、苦しみに耐える力ができてくる、ということです。小さなことに喜びを感じない人は、すぐに苦しみがストレートに体に響いてきます。そういうふうにできているのです。

小さな一輪の花、人のちょっとした行為に喜びが感じられて感謝の心を持つ人ほど、大きな災難、苦難に対して耐える力があります。

そういう意味で、私たちも小さなことに喜べる人間になって、そして人をも喜ばせていくというふうになっていければと思います。

posted by 田村 季山 at 03:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

良寛和尚のようでありたい

良寛和尚は「わたしの口から出てくる言葉は、すべて贈り物でありたい」と考えていたそうです。

自分は貧しい僧侶であるから、人に贈り物をあげたいが、あげる物がない。だから、せめて言葉の贈り物を常に贈り物としよう。そして、自分の口から出て来る言葉は常に温かいもの、思いやりに満ちたもの、励ますもの、勇気付けるもの、心を安らげるものでありたい、と思っていたのだそうです。

そして、良寛和尚はそれを実践しました。どんなときでも、どんなひどいことをされても、良寛和尚の口から出てくる言葉は、そういう珠玉のような贈り物だったそうです。

私たちも良寛和尚のように、常に温かい、思いやりに満ちた言葉を出来る限り周りにいる人々に投げかけていきたいものですね。
posted by 田村 季山 at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

読書をしましょう・・・但し、良書をです

知識を増やすために本を読むのではなく、心を鍛え、人物を練り上げるために読書は欠かせません。真剣な読書に沈潜すると人間に大きな力をもたらします。

哲学者の森信三先生は、「読書は心の食物。肉体を養うために毎日の食事が欠かせないように、心を豊かに養う滋養分として読書は欠かせない」と常々言っていました。

また、「真の読書は、人がこれまで体験してきた人生体験の内容と意味を照らし出し、統一する光です。私たちは平生読書を怠らぬことによって、常に自分に対する問題を深め、それによって正しい実践のできる人間になることが何より肝要です。
 言い換えれば、読書、内観、実践という段階の繰り返しは、人間が進歩し、深められてゆくプロセスとも言えます」とも言っておりました。

読書力の低下はそのまま人間力の低下につながり、国の衰退にもなりかねないことを私たちは肝に銘じ、その復興に努めなければなりません。
posted by 田村 季山 at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月23日

病気をつぶやいてはなりません

いつも病気を人に吹聴して聞かせることが楽しいようでは病気は治りません。病気だと言うと、人から「ああ可哀そうだ」と思われる・・・そのことがうれしいようでは病気は治りません。

病気を恥だと思って決して人に自慢のように話してはいけません。病気というものは、人から可哀そうがられたいと思っていては治るものではありません。

意識を向けているもの、焦点を当てているものは、拡大し増幅していくのです。

posted by 田村 季山 at 03:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

食べ物と胃腸に感謝する

何でも有難いと思いなさい。すると、良いことがあってありがとうと思ったときと同じように、身体の血のめぐりがよくなり、頭がよくなり、胃腸が丈夫になり、元気になります。

胃腸の弱い人は特にお食事のたび毎に、食物に手を合わせてお礼をいいなさい。そして、胃腸にもお礼を言いなさい。そして本当に自分の胃腸は丈夫なのだと思いなさい。

それを心から信じなさい。人間を使っても信じなければよく働きません。胃腸だって同じことです。

posted by 田村 季山 at 03:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月21日

人間的な死にざまを自然に見せる・・・最期の仕事

老人になって最後に子供、あるいは若い世代に見せてやれるのは、いかに死ぬかというその姿です。

立派に端然として死ぬのは最高です。それは、人間にしかやれぬ勇気のある行動だし、それは生き残って、未来に死を迎える人々に勇気を与えてくれます。それにまた、当人にとっても、立派に死のうということが、かえって恐怖や苦しみから、自らを救う力にもなっているかもしれません。

しかし、死の恐怖をもろに受けて、死にたくない、死ぬのは怖い、と泣きわめくのも、それはそれなりにいいのです。

人間は子供たちの世代に、絶望も教えなければなりません。明るい希望ばかり伝えていこうとするのは片手落ちだからです。

一生、社会のため、妻子のために、立派に働いてきた人が、その報酬としてはまったく合わないような苦しい死をとげなければならなかったら、あるいは学者が、頭がおかしくなって、この人が、と思うような奇矯な行動をとったりしたら、惨憺たる人生の終末ではありますが、それもまた、一つの生き方には違いありません。要するに、どんな死に方でもいいのです。一生懸命に死ぬことです。それを見せてやることが、老人に残された、唯一の、そして誰にもできる最期の仕事です。

posted by 田村 季山 at 03:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

密度の高い生き方

人は生まれて刻一刻と死に近づくのが人生であり、時の流れであって、これを止めることはできません。

賢く悟った者が長生きするともかぎらず、悪事を重ねた者が短命とも限りません。

しかし、賢い者は、その一時を密度の高い生き方をし、愚かな者は、無為に時を過ごして貴重な人生の時間を失うことになるのです。

与えられた命の時間を無駄にすることなく、目的を持ち、精一杯の努力をし働いて生きること、これが自然の真理に従った生き方です。

自然の、真理から学び、自助努力による自立心で密度の高い生き方をすることが、理想的な人生です。

もしそれができなくても、人に親切にし楽しく生きていくように努めましょう。

posted by 田村 季山 at 03:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

現実に目を向ける

たまに訪ねて来るだけの血筋より、毎日大切に世話をしてくれる他人に感謝すること。

同居していない次男の嫁のほうがいい、と思い、同居している長男の嫁をうとんじたりしないこと。

ごくたまに老人ホームを訪ねて来る甥姪や、月に一度訪問してくれる次男の嫁のほうが毎日世話をしてくれる長男の嫁や病院や老人ホームの職員よりいい人物のように見えてくることがあります。

一日だけなら、どんないい人にもなれます。持続して見てくれる事がどれほど大事かを思うべきです。

毎日世話をし続けることは、なみなみならぬ苦労です。自然と、お互いにアラもみせます。毎日毎日、常に優しくしているなどということはなかなかできかねることです。

お小遣いをやるなら、たまにやって来る甥姪より、いつも世話になている職員、同居中の長男の嫁にやるべきです。
posted by 田村 季山 at 03:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月18日

置土産(おきみやげ)

私たち人間は一つの場所を去る場合に、後に残った人達に多少でもお役に立つような、何らかの置土産をしていくという心がけが平素から必要ではないでしょうか。

ところで、普通の品物としての置土産ですと、いざ去ろうとするにあたって、何か買い求めそれを贈ればすむわけです。すなわち品物の場合には、一応その場に臨んでからの用意でも、ことが足りるわけです。しかし今「心の置土産」ということになりますと、いざその場を去ることになったからといっても、急の間には合わないでしょう。

もちろんこれも形の上からは、別れの言葉とか挨拶とかいうものによって、一応できないわけではありません。

しかし人間の言葉が真に力を持つのは、必ずしもその言葉自身が立派だからというのではなくて、その言葉を支えている背後の生活によるのです。

われわれ人間は、その日頃の生活において、一面からは、それが自分としては、常に置土産を用意しつつあるんだという気持ちを忘れてはなりません。

われわれ人間として最大の置土産は、何と言っても、この世を去った後に残る置土産だということを忘れてはなりません。実際、人間というのは、この点に対して心の目が開けてこない限り、真実の生活は始まりません。

われわれが生涯をかけて、真に道を求めようとする態度は、実にこの一点に対して、心の目が開けかけて来てからのことだと言ってもいいでしょう。
posted by 田村 季山 at 03:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

真実はいつか輝きだす

ほんとうの真実というものは、必ずいつか輝きだすものです。それがいつ現われるか、三年、五年にして現われるか、それとも十年、二十年経ってはじめて輝き出すか、それとも生前において輝くか、ないしは死後に至って初めて輝くかの違いがあるだけです。

人間も自分の肉体が白骨と化し去った後、せめて多少でも生前の真実の余光の輝きだすことを念じるくらいでないと、現在眼前の一言一行についても、真に自己を磨こうという気持ちになりにくいものだと思います。

posted by 田村 季山 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

与える側に立つ

「受けるより与えるほうが幸いである」と聖書の言葉にあります。

与える側に立つと、ほんの少しでも楽しくなるし、相手が喜べば、さらに満たされます。与える方が、満足感がずっとあります。

大人になれば、与える側にまわらなければいけません。子供は、おっぱいをもらって、おむつを替えてもらって、ランドセルを買ってもらって、と全部してもらう。受けているだけでは、子供と同じです。したいことだけをするというのも幼児性でしょう。

どんな老人であろうと、体力に応じて働くべきだと思います。仕事でなくても、それこそ料理をしたり掃除をしたりして、誰かのお役に立つ。

与える側にいれば、死ぬまで壮年です。体が動かなくなっても、お茶を入れていただいた時に「ありがとう。おいしかったよ」と言えたら、喜びを与えられます。老い方や死に様を見せてあげるなど、いくらでもしてあげることはあります。

posted by 田村 季山 at 03:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

六十以後が勝負です

人間というものは、自分のかつての日の、同級生なんかが、どんな立派な地位につこうが少しもあわてず、悠々として、六十以後になってから、後悔しないような道を歩む心構えが大切です。

知事だの大学教授だのと言ってみたところで、六十五をすぎる頃になれば、多くはこれ恩給(年金)取りのご隠居さんにすぎません。

永く活躍できる工夫をしておくことも大事です。
posted by 田村 季山 at 03:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

今の状況を謹んで受ける

おおよそわが身に降りかかる事柄は、すべてこれを天の命として謹んでお受けするということが、私たちにとっては最善の人生態度です。

この根本の一点に心の腰のすわらない間は、人間も真に確立したとは言えません。

五十、六十にもなってまだ悩みが尽きないというのは、現にある状態をうまく受け入れられないところから起こっております。

すべてを受け入れる、過去を受け入れる、現在を受け入れる、未来を受け入れる。すると、毎日を穏やかに、不安も心配も悩みもなく送れます。
posted by 田村 季山 at 03:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

私たちは多くの恵みをいただいている

暗いところばかりを見つめている人間は、暗い運命を招き寄せることになります。

いつも明るく明るくと考えている人間はおそらく運命からも愛され、明るく幸せな人生を送ることができるでしょう。

九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言い続けます。

なぜ私たちは不満を後まわしにして、感謝すべきことを先に言わないのでしょう。

posted by 田村 季山 at 03:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

心の力

人間の力の中で、心の力ほど大切なものはありません。

心の力がないと、困難に立ち向かう勇気が湧いてきません。生きる元気さえ失ってしまいます。

この心の力は、ある日突然できたり、人から与えられるものでもありません。

毎日毎日、小さなことでもいいから自分の決めたことを守っていく中から培われていくものです。

posted by 田村 季山 at 03:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

まず健康であること

恋愛運も金運も仕事運もまとめて上昇させたいならば、まず体が健康であること。

どんなにすぐれた能力の持ち主も、お金儲けの上手な人も、人から賞賛を受けている人も、健康を損なったら、人生は劇的に変わってしまいます。

多少の病気はあっても、いま幸いにして日常生活を自分で営める健康状態にあるならば、その状態を維持するためには、他のどんなことよりも優先して努力したほうがいいでしょう。

健康であることは、どんな能力にも勝る強みです。だからその強みを失わないように努力をしなければなりません。

健康にこだわることを勧めるのは、体の健康状態が心に大きな影響を与え、それが人生を左右するからです。

「元気」は楽観主義と幸運をもたらします。元気であれば、何でも挑戦できるし、小さいことにクヨクヨしなくなる、人との関係もうまくいきます。よいことだらけです。
posted by 田村 季山 at 03:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月10日

何事にも感謝を表す

年寄りに限ったことではなく、若い世代でも、「ありがとう」と言える人が減ってきました。すべてのものを、自分ひとりで作っている、と過信するところから感謝の表現は消失していきます。

もしたった一つ、年寄りがほのぼのとした老後のために守るべきことは何かと言われたら、それは「ありがとう」ということでしょう。

感謝ができるかぎり、目も見えず、耳も聞こえず、体も動かず、垂れ流しであっても、その人は厳然として人間であり、美しい、みごとな老年と死を体験することができるでしょう。

苦しみの中から感謝することは容易ではないでしょう。しかし、感謝こそは、最後に残された高貴な人間の魂の表現です。そして感謝すべきことの一つもない人生はありません。
誰の力でここまで生かされてきたかを思えば、誰かに何かを感謝できると思います。

人に対してだけの感謝ではありません、周りの自然に対してもいつもいつも感謝の気持ちを表していくことも穏やかな人生には大切なことです。

posted by 田村 季山 at 03:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

自分を否定してはいけません

私たちは常に失敗し、もっとがんばろうと思っても、なかなかがんばれず、つい怠惰に流れてしまいます。

このような自分の性格、生き方を考えると、つい「自分のようなつまらない者」と言いたくなります。

しかし、そのような考えはいけません。もっと自分を大切にしましょう。「自分のようなつまらない者」などという自分は存在しないのです。

自己評価を高めるようにしましょう。決して自分を過小評価してはなりません。

人は、自分が思っている通りの人物になってゆき、思っている通りの人生をたどるからです。

posted by 田村 季山 at 03:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする