2017年06月30日

微笑みで不機嫌を追い出しましょう

ほほ笑みは気分がおだやかな時、心にゆとりがある時などに生じます。気分がムシャクシャしたりクサクサしたりして、機嫌が悪い時には生じません。

ほほ笑みを無理してでも浮かべるように試していると、悪い機嫌が良くなってきます。

ほほ笑みは、人と人との間の潤滑油です。交わすと自然になごやかな雰囲気が醸し出されます。「感じの悪いイヤな人だな」と思っても、ほほ笑んで接すると、案外、いい人だったという場合も少なくありません。

ほほ笑みの習慣を、第二の天性のように身につけてみませんか。

「幸福論」を書いた十九世紀のフランスの哲学者アランはこう書いています。

攻撃的な態度の相手に対しては、「先手を打ってほほ笑むとよい。ほほ笑みかけるのが、あなたからでないならば、あなたは単なるおバカさんにすぎない」と。

お互い、お利口さんになりたいものですね。
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2017年06月29日

凛とした気骨を持って生きましょう

ちっぽけな智、稚拙な情、つまらない意地は超越して、もっと円熟した精神の高みに登りましょう。

事なかれ主義のような暮らし方はしないこと。平穏無事を最善とし、そのためなら何にでも妥協し同調し迎合する生活態度はとらないこと。

いつもニコニコ、ヘラヘラばかりしてはいない。本来の自己というシャンとした気骨をもった個体の生き方を貫きましょう。

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2017年06月28日

一生を多忙のうちに終わるのは幸せか?

シニア期は二度とやってきません。この時期には悠々閑々、清遊逸楽すべきではないでしょうか。

「いのち短し、恋せよ乙女」も実相でしょうが、「シニアも楽しめ」です。本当に働いて稼がないと食べていけないのか、生活を抜本的に検討・吟味すること。働くなら、その中に楽しい感じか、または社会や人の役に立っているなど満足感か、そのどちらかが含まれるものとすること。

とはいえ、働かなくても済むなら、シニアは、手遅れにならないうちに別の有意義な生き方を選ぶべきでしょう、それが本人の幸せにつながります。

セネカは、「一生、多忙の身でいることが、嬉しいことであろうか」と述べ、「ほんものの余生を自ら思い切って作らないと、なんの実りもなく、楽しみもなく、心の進歩もなに一つない人生となってしまう」と言ってます。

あなたは、どう思われるでしょうか。
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2017年06月27日

一升瓶には一升しか入らない

ほどほどに、ということです、すべて世の中、腹六分、せいぜい行っても腹八分。分相応という言葉もあるように、自分の器を知ることが大切。つまり、「一升瓶には一升しか入らない」ということです。

儲けることばかり、貯めることばかり考えて、社会に還元したり、人にプレゼントしたりすることを考えない人が多いようです。そんなに残しても残りの余った分はどうするのです。死んであの世には持っていけません。

一升瓶には一升のお酒を入れてしまうと、ちょっと動くだけでこぼれてしまいます。どうしてもそうなるのです。初めから八分目から九分目に入れておけばこぼれずにすみ、無駄になりません。

残りの二分はどうすればよいでしょうか?それは、人に初めからあげておけばいいのです。そうしておけば、人も喜ぶし、お酒も無駄になりません。
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2017年06月26日

認知症にならないために・・・

認知症になる人の共通項とは、「死ぬことを怖がっている人」のようです。今、日本人の四人に一人が認知症状態で死を迎えるそうです。死ぬことを怖がっている、死にたくないと思っている度合いの高い人から順に、認知症になっているようです。

死を恐れている人には、神が限りない優しさをもって、死を認識できないようにしてくださるようです。本人の希望どおりになっているのです。ですから、死ぬことが怖くないと思えた人は、年をとっても認知症になることはありません。

怒って怒鳴って声を荒げて威張って、というタイプだった人が、認知症になりやすい場合が多いそうです。そういう人からは定年後や年をとってからは、親、妻、兄弟もどんどん離れていき、その結果、話をする相手がいなくなります。

認知症とは、頭を使わないという状況から始まりますが、頭を使わない最大の原因は「会話をしないこと」にあります。

老後は脳を退化させて認知症になって死にたい人は、どうぞ怒って怒鳴って威張ってください、ということになるようです。

みなさんは、どう暮らしたいでしょうか、どういう死を迎えたいでしょうか、お好きにどうぞ。
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2017年06月25日

死の世界、死というものをそんなに怖がる必要はありません

家族間で、あまり厳しい言葉、冷たい言葉、否定的な言葉を使っていなかったり、本人が誰に対しても相手を非難したり攻撃的な言葉を使わないでいる人は、いよいよ最期となり死の淵にあっても、いろいろな心楽しめる現象が見えてきたり体験できたりして、穏かに、静かにあちらの世界に渡っていけるようです。

まだ生きている状態できれいなお花畑が見えたり、あきらかに観音様としか思われないような者が現われたり、苦しんだり恐怖に襲われたりしないまま穏かにあちらにすーっと移れるみたいです。

死の世界、死というものをそんなに怖がる必要はないのかもしれません。むしろ、死後の世界はどんな楽しいところなんだろうと楽しみの一つぐらいに思ってたほうがよさそうです。
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2017年06月24日

自分の見方を変えると状況が変わる

「イヤなこと・人・もの・現象」はそうだと自分が決め付けているだけかもしれません。その見方を変えれば、問題は一挙に解決します。「イヤな人」に囲まれている、という自分の「感覚」こそが「イヤ」と「嫌い」の源なのです。

この人にはこんな良いところがあった、こんな面もあった、素晴らしい、スゴイ、と思う訓練をしましょう。そうすると、周りがみんな「いい人」に見え「いい人」に囲まれている自分は、とても幸せに思えます。もしかしたら、「地獄」だと思っていた現状が瞬時に「天国」になるかもしれません。「地獄」も「天国」も自分が作り出しているということです。

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2017年06月23日

他人のことは構わずに、自分がどう生きるか

他人を変えようと思っても無駄です。何ひとつ解決しません。他人は他人で自分の人生を気に入って生きているのだから、自分の価値観で、こういう生き方が良い、正しい生き方だと言うのをやめましょう。

それをやめることができると、悩み、苦しみ、苦悩、煩悩がなくなります。

妻も夫も子供も舅も姑も上司も部下も先輩も後輩も、あらゆる自分の体の外の状況を自分の思い通りに作り変えようとするのを、やめましょう。

すべてをありのままに「受け入れる」。自分の思い通りにしようと思わないこと。もし、受け入れることが出来たなら、人生の中に悩み、苦しみは全くなくなります。

自分がどう生きるかだけに徹することです。



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2017年06月22日

すべてがあなたに調度いい

今のあなたに、今の夫がちょうどいい。
今のあなたに、今の妻がちょうどいい。
今のあなたに、今の親がちょうどいい。
今のあなたに、今の子供がちょうどいい。
今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。
今のあなたに、今の友人がちょうどいい。
今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。
今のあなたに、今の家がちょうどいい。
死ぬ日もあなたにちょうどいい。

これは大蔵経の中にある言葉です。

上司や同僚、親、妻や夫、子供などなどに対して文句や愚痴をいう人がいます。しかし、この言葉(すべてはあなたにちょうどいい)を知っている人から見れば、その人は愚痴を言った瞬間に自分の価値を全部さらけ出している、ということになります。

人の悪口を言わない人には、その悪口を言わないというあなたに対してちょうどいい、悪口を言わない友人が集まってきます。

「嬉しい、楽しい、幸せ」と言い続けている人には、「嬉しい、楽しい、幸せ」と言い続けている人が集まってきます。

すべてあなたにちょうどいいのです。これは、「引き寄せの法則」「類友の法則」です。常に、同じ程度のものがくっついているということです。

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2017年06月21日

頑張らなくてもいい(自分にも他人にも甘くする)

自分に対して厳しい人は、他人に対しても、常に同じレベルでその厳しさを求めがちです。でも、正義感や責任感は、持っている本人が一番苦しいのです。

人を糾弾し、批判し、自分に対しても厳しい人は、確かにしっかりとは生きているのですが、あまり楽しそうな人生には見えません。

反対に、自分にも他人にも優しく生きていると、すべての人の善意と好意の上に生きているということに気がつきますから、すごく楽しくなります。

人生は、「人に優しく、自分に甘く」くらいでいいのではないでしょうか。

これからは、自分にも他人にも甘く優しく生きてみませんか。そうすれば、自分も楽ですし、何よりまわりは、そういうあなたをきっと歓迎してくれることでしょう。
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2017年06月20日

いつもいつも上機嫌で居ること

常日頃、苦虫を噛みつぶしたような顔の老人がおりますが、老人は、酸いも甘いも噛み分けていて、上機嫌でいるのが最上です。

人間にとって最善とは、できるだけ上機嫌で人生を送ることです。上機嫌は幸福の秘訣。自分自身にも周りの人びとにも害になる不機嫌は、れっきとした罪悪です。

気分というものは、成るがままに放置していると不機嫌に傾きます。ですから、シニアは、自分の気分に関心をはらい、怠惰をしりぞけ、上機嫌を保つように努力することが肝要です。
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2017年06月19日

人生とは元来、未完成で終わるもの

大満足の完成状態に到達したいというあなたの夢は、実現不可能です。あなたにとっては堪え難いことかもしれませんが、人生は未完成の作業、仕事、出来事から成り立っているという真実を認識し、受容することが大切です。

人生とは元来、未完成のもの、未完成のまま閉じるものなのです。

自分の人生を、いつでも締め切りでいっぱいにして、人生の楽しみを締め出してしまうのは、愚かな自己懲罰と言えます。

生き急ぎせず、「せっかち」を捨て、「ゆったり」していましょう。

ものごとに、特に時間の迅速さに動じない平然さ、泰然自若さ、長閑(のどか)さを心に養っていきましょう。

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2017年06月18日

自己を受け入れる(自己受容)

生きやすくなる上に、さらに幸福になる、または幸福を増す根本は、自分を「あるがままに受け入れる」ことにあります。ひと口に言えば、完全な「自己受容」です。

まず第一に、自分を過大評価せず、反対に過小評価もせず、過不足なく、正しく客観的に評価することです。過大評価していると優越感を、過小評価していると劣等感をいだきがちですが、こういう固着した情念を捨てることです。

自分の欠点や弱点を指摘されたり、暴露されたりすると、怒ってしまう。苦痛で顔をゆがめる。ムキになって強弁する。これは、未熟な青年がやることです。

本物の大人であるはずのシニアは、笑顔で受け入れ、率直に認め、反省の糧としたいものです。指摘してくれた相手に感謝するとなれば、もはや達人です。

とにかく、困難な自己受容ではありますが、果敢に挑戦しましょう。

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2017年06月17日

善い生き方を先送りしない

壮年期には、カネを稼ぎたい、高く評価されたい、財産・地位・名誉が欲しいなどと願い事をするのは、仕方のないことかもしれません。

しかし、シニアになったら、それがいかに虚しく愚かなことであるかを悟り、ほんものの幸せへの道を、手遅れにならないうちに一日でも早く歩むべきです。

死ぬ直前に後悔しないような生き方に徐々にでもいいから変えていくようにしましょう。

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2017年06月16日

外の世界に対する無関心が老化を加速する・・・

「老い」の最大の危険は、心がひからびることです。老いとは、髪が白くなったり皺がふえたりすること以上に、もう遅すぎる、勝負は終わってしまった、舞台はすっかり次の世代に移った、といった気持ちになることです。老化に一番悪いことは、肉体が衰えることではなく、精神が無関心になることです。

「それが一体、何のためになる?」と老人は考える。そしてこの言葉が、おそらく老人にとっていちばん危険なのです。なぜなら、「がんばってみたって何になる」と言った人は、ある日、「家の外に出て何になる」と言い出すだろうし、そしてその次には「部屋の外に出て何になろう」「ベットの外に出て何になろう」と言うようになるからです。最後には、「生きていて何になろう」であり、この言葉を合図に、「死」が門を開けるのです。

精神の無関心に陥らないためには、心を訓練し、諦めないことです。昨日できたことは、今日もできます。しかし、一度やめたら、それは永久に駄目になります。

外の世界に良質の好奇心、興味・関心を持つこと。そして、生きる意義を自分で見い出すこと、自分に与えることが重要です。
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2017年06月15日

楽しみがあるところでもないところでも愉しむ

吉川英治記念館に「たのしみある所に愉しみ、たのしみなき所にも愉しむ」ということが書いてある書がありました。

現実に固執せず、今その時の幸福を噛みしめるように意識することが、人生を愉しむことです。

「楽しみのある所では楽しむが、楽しみのないところでは楽しまない。いや、仮に楽しもうと思っても、楽しめない。楽しめと言われても無理だ」と主張する人がいるかもしれません。これは筋が通った論理のように見えますが、実は現実に固執しているのだと思います。

楽しみのある場所か、無い場所かというその時々の現実にこちらの心が縛られ、支配され、左右されているわけです。束縛、あえて言えば呪縛をみずからの力で解き放ち、場所を超越すれば、どのような場所であろうと心にゆとりを持ち楽しむことができます。

「楽しきと思うが楽しきの基なり」これは、松平定信の言葉です。
これもまた、含蓄に富む一文でしょう。

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2017年06月14日

今の瞬間、瞬間を無駄にしないこと

人間が生きているということは、この「瞬間」を生きていることであり、それ以外ではありません。瞬間である現在に自己のすべてが現われています、人の一生は一瞬一瞬の連なりです、それゆえ、自分の人生を大切に思うならば瞬間ごとの現在を大切にする以外にはありません。

「余生はまだまだそうとうあるさ」と、なんとなく思って、あるいは残り時間のことは脳裡から追い出して考えないようにして、「現在」の連続を漫然と、または反対に慌しく多忙に送る。そのような暮らし方は、自分を幸せからどれほど遠ざけるでしょう。

サラリーマンなら定年退職前後、一般には六十代くらいの年齢になったら、「現在」を大切にして時間を惜しむことを、まじめに真剣に実行しましょう。

そうしないと、自分の生涯が、惜しんでも余りある残念至極のものになってしまうおそれがあります。
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2017年06月13日

小さな幸せを心に留める習慣を持つこと

幸福を味わおうと思うなら、ささいなこと、取るに足りないような小さなことにも感謝の心を持つことです。

朝ご飯がおいしく食べられた、ウグイスの鳴き声が聞こえた、混んだ電車に乗ったら、偶然、前の席の人が次の駅で降りた。テレビを見ていたら、また、本を読んでいたら、心に残る言葉に出会えた。

これらは、すべて感謝のタネになります。「バカバカしい。そんなことに、いちいち感謝していられるか」と注意をそらしてしまわず、些事に「喜び」または「楽しさ」を覚え、幸せだと感じる鋭敏な感受性を育てましょう。
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2017年06月12日

老後までスケジュールを組むな

老後は人生の余暇です。だからまず、のんびり暮らすこと、ゆっくり生きることを基本にすることです。

定年退職者に退職後の一日のスケジュールを書いてもらうと、睡眠と食事の時間しかうまらず、あとは真っ白ということがよくあるそうです。

そこで、カウンセラーはこれではいけないから趣味を持ちなさい、やることを見つけなさい、空白のスケジュールを黒くうめなさいと勧めます。本人も、そうかこのままでは無為無策のままボケてしまうと必死で生きがい探しに走り、趣味づくりに励む。

しかし、その「必死の思想」、一生懸命ガンバル生き方をまず捨てることから老後をスタートさせるべきだと思います。

必死は現役時代までで十分じゃないですか。
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2017年06月11日

自分のためにやるボランティア

人のために役立つ、社会につくすと構えてみても長続きはしません。人でなく自分のためにやる、まず自分が楽しくなくては人にも喜んでもらえません。

人のため社会のためと使命感に燃え、気負うから長続きしないし、面倒くさくなってきます。ボランティアを趣味の延長線上に考え、自分の人生や余暇を充実させる方法として個人主義的に考えれば、気軽にとっかかりやすいし、長続きもします。

自分の楽しみや時間つぶしでボランティアをしても、それはけっして不謹慎ではありません。自分が楽しく、かつ人のためになれば、これほどけっこうなことはないのではないでしょうか。
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