2017年08月24日

老年期は自分の教養の為に

上手に歳をとる方法。それは老いを受け入れることです。最低なのは、自分を去っていくものに、まだしがみつこうとすることです。

退職が死につながる人間もいます。心の準備ができていない人間です。

旺盛な好奇心を持ち続けている人なら、それは人生の最も楽しい時なはずです。

退職が嬉しいことになるためには、何が必要でしょうか?

それは、栄光のむなしさを知り、無名の人である安らぎを求める気持ちです。

賢い人は、世間の仕事に時間を費やしたあとでは、自分自身のことと自分の教養のために時間を使うものです。
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2017年08月23日

感動の力・・・

純粋で深い感動をすると、肉体の疲れも心の痛手も、たちまち立ち直るものです。

ところが、感動できない人は疲れを溜めるだけで、なかなかエネルギーが再生されません。元気に生きるためには、感動することです。

感動するためには、自分の手と足と体を使って、身を低くして一生懸命やることです。

家でじっとしているだけではいけません。自分が感動できるものに積極的に近づく必要があります。

たとえ外に出られなくても、何か行動を起こしましょう。
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2017年08月22日

望むものについてだけ話すようにする(引き寄せの法則)

人は病気になると、必ずそればかりを話題にしてしまうものです。それは、その人が、自分の病気のことを絶えず考えているからです。自分の思いを言葉にしているだけなのです。少し具合が悪くても、悪化させたくなければ、病気のことを話してはいけません。

あなたの思いが病気の原因です。「とても気持ちがいい。今の気分は上々だ」と繰り返し唱え、本当にそう感じてください。

もしも、あなたが余り気分が良くないときでも、誰かが、「ご機嫌はいかがですか」と尋ねてきたら、その人が気分転換するよう言ってくれたと思い感謝しましょう。

あなたの望むものについてだけ話すようにして下さい。
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2017年08月21日

「感謝の心」を持つ

幸福を味わおうと思えば、ささいなこと、取るに足りないような小さなことにも感謝の心を持つことです。

「感謝したくても、感謝するタネがないよ。不満なら山ほどあるがね」と、天邪鬼(あまのじゃく)の方は、おっしゃるかもしれません。しかし、それは違います。感謝のタネは、ごく平凡な日常生活の中にいっぱい転がっています。

朝ご飯がおいしく食べられた。ウグイスの声が聞こえた。混んだバスに乗ったら、偶然、前の席の人が次のバス停で降りた。ラジオを聞いていたら、心に残る言葉に出会えた。

これらは、すべて感謝のタネになります。「バカバカしい、そんなことに、いちいち感謝していられるか」と注意をそらしてしまわず、些事に「喜び」または「楽しさ」を覚え、幸せだと感じる鋭敏な感受性を育てましょう。

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2017年08月20日

中身が濃く詰まった一日にする・・・

「もっとも長生きした人とは、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を体験した人だ」とフランスのジャン・ジャック・ルソーが言っています。

「よく人生を体験する」とは、「よく生きる」とは具体的にどのような生き方をすることなのかというと、視覚、聴覚、触覚、味覚、手足、頭等々を活発に働かせ、好奇心や積極性をもって活動し、感性も知性も磨き、自分が持っている能力のすべてを開花、発揮させ「俺は(私は)確実に生きている」と鮮明に実感する人生を送る、ということです。

きょうという日を、がらんどう、うつろ、空っぽの一日にしないで、できるだけ中身がぎっしり詰まった一日にしましょう。頭に霞や靄(もや)がかかったような起居ではなく、目をしっかり見開いた日常とする。感謝や感激や感嘆や感動、喜びや楽しみを味わう日、意義や価値を覚える日としたいものです。

まあ、これも一つの考え方、生き方に過ぎませんから、どんな生き方をしようと本人の自由です。

あまり深刻に受け止めないことです。
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2017年08月18日

楽しみの伴う努力を・・・

奮励努力、刻苦勉励、歯を食いしばり、克己心を奮い起こして頑張るのは、壮年期まででいいでしょう。シニアになったら、楽しみが伴う努力をする。楽しみが含まれている努力をする、楽しみながら努力する、楽しみの欠けた、または乏しい努力はしない、という基準を設けるといいでしょう。

もちろん、努力は必要です。しかし、全然努力なしの楽しみだけ、ということでは、当人の成長に役立たないし、ただの「暇つぶし」「気晴らし」「慰み」にすぎないもの、しがない「すさび事」に堕してしまいます。しかし、楽しみ抜きのガンバリズムは、感心できません。

努力は程合いの線に自己制御する、その線は「楽しみ」の有無に引く。これがシニアの知恵、賢い生き方でしょう。

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2017年08月17日

「生」を充実させましょう

春夏秋冬の移り変わりは速いけど、順序を踏んでいます。しかし、生・老・病・死の変遷は、それ以上に速いうえに、さらに順序どおりではありません。

シニアになり、やがて老人となり、そのうちに病に臥し、おしまいに死がくるとは限りません。シニアでいるあいだに、「死」は順番を飛び越えて襲ってくるかもしれません。

人生のはかなさを嘆き悲観的で厭世的になるのではなく、「死」から目をそらさず、「死」をしっかりと見つめてこそ、「生」を充実させることができるのです。
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2017年08月16日

「年相応の振る舞い」の逆をいく

常識的な人はよく年相応に振る舞えとか、年齢に応じた服装をしたほうがいいと考えたり、しゃべったりします。しかし、果たしてそうでしょうか?

たとえば、十代から二十代はじめの人がマンガを読み、携帯でメールをし、MDウォークマンで宇多田ヒカルやモーニング娘の歌を聴いているというのでは、何の特徴もない「普通の若者」でしかありません。

逆に、五十代後半、六十代近くになるから、定年後の趣味のために園芸をはじめたとか、俳句や短歌、碁や将棋をするというのでは、これもまた年齢相応ということでしょう。

そこで、若い人なら、周囲の同年齢の人たちがマンガを読んでいるのなら、自分はみんなが読まないような古典的な小説を読んでみる。テレビゲームではなく、将棋や碁をやるという生きかたをしてみましょう。

逆に、老いに向かうから将棋や碁でもやろうかではなく、若い人がやるようなこと、たとえばマンガを読んでみる、ギターを習ってみる、スマホゲームをやってみる、メル友をつくって、携帯・スマホで写メをしてみるというように、同年代の多数の逆をやってみましょう。格好だって、年をとればとるほど、派手でラジカルにしていけばいいのです。
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2017年08月15日

仕事だけに生きてませんか?

仕事だけが生きがいという真面目な人も、中高年には多い。しかし、こういう人ほどリストラに遭ったり、定年になると、落ち込んだり、生きがいをなくしてしまいます。

今の時代、真面目一筋、仕事一筋というのでは通用しません。趣味のない人、雑学のない人も、運から見放されてしまいます。

結局、仕事一筋といっても、だからこそなのですが、到底、役員などに出世することができない人たちなのです。

企業の中でも、トップになる人は、仕事はもちろんのことですが、趣味も幅広く、教養もあります。つまりは、何にでも好奇心旺盛で、楽しめる人なのです。そういう人とは、話していても楽しく、当然、人もついてきます。それが運を引き寄せることにもなります。

いい意味でのいい加減さが必要だということもいえるでしょう。仕事に乗っている時には、それに打ち込めばいいでしょう。しかし、それがうまくいかなくなった時は、別のことを楽しんで気分転換する余裕が必要になります。

時には仕事を忘れられる趣味などの世界をもっていることです。そのためには、自分をある程度、客観的に見る視点をもたなくてはなりません。周囲を見渡し、面白そうなことにはとりあえず手を出してみるといった、積極的な姿勢を持つといいでしょう。

そうすれば、自然と情報も集まり、仕事の方もうまくまわってくるようになります。時に厳しい状況に陥ることがあっても、いずれは運が向いてくるものです。

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2017年08月14日

その都度、その都度、気付く

よいことをするにしても、悪いことをするにしても、それを「する瞬間」というものがあります。怒るときも、嫉妬するときにも、その瞬間があります。だから、大切なことはそのつど、その瞬間に気づくことなのです。

怒りが起こりそうになったら、その瞬間に気づくのです。怒りが爆発しそうな瞬間に気づいて、その瞬間に釘を打っておくのです。そうすると、悪というものは繁殖しないのです。決して、人殺しや大きな悪事は起こさないのです。

おもしろいことに、瞬間の感情というものはとても簡単に完了できるのです。気づいた瞬間に、完了してしまうのです。しかし、怒りの感情が入り込んだ瞬間、それに気づかずに放っておくと、ウイルスのように瞬時に増殖してしまいます。爆発するまで増殖するのでどうにもなりません。

だから、そのつど、その瞬間に気をつければいいのです。それを続けていくと、やがて心は清らかになっているのです。鍛冶職人が汚れを落とすように、少しずつやればいいのです。それはどんな人でも、誰にでもできることです。
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2017年08月13日

話かける

精神面でいつまでも若々しさを保つためには、好奇心を持ち続けることが大切です。なにごとにも興味や関心を抱く。それは好きなものならなんでもいいのです。たとえば映画でもお芝居でも読書でも、釣りでもゴルフでも。それぞれ好きなことに興味をもって友達の幅を広げていく。

趣味は人それぞれですが、すべての人が興味を持つ対象、それは「異性」です。

男も女も、異性に興味がない人は、まずいません。異性には誰もが興味があり、恋愛することは誰にとっても、幾つになっても楽しいものです。

でも恋愛さえも、クセをつけておかないと億劫になってしまって、なかなか簡単にはできません。たとえば「好みのタイプだな」と思ったら、話かけてみて、親しくなる努力をしてみる。こうしたやりとりの過程だけでも、頭を使うので脳が衰えることはないし、なによりもその間、楽しい時間を過ごせます。

恋愛というと、妻や夫以外の誰かを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、夫婦のあいだでも恋愛は可能です。夫婦であっても、男と女とでは、日頃考えていることも、行きたい場所も、描いている夢も、まるで違います。お互いのそうした違いを再認識して、互いにいたわる気持ちが大切ですね。

ここで重要なことは、とにかく「言葉を発する」ことです。

ところで、これは一般的な話なので、根っから独りが好きな人もいらっしゃいますので、あくまで参考に。


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2017年08月12日

いつまでもいつまでも相手の問いかけに答えてあげましょう

歳を重ねていく毎に、夫婦の形は変わってくるでしょう。二人だけの世界に浸っていた時代、子供を中心に回っていた時代。そして再び二人だけの時代へと移ろいでいきます。

会話が途切れたり、気持ちがすれ違ったりすることもあるでしょう。それでも、相手の問いかけに答えようとする気持ちがある限り、二人の愛情は続いているのです。

もしも相手の問いかけに答える気持ちさえ失せたとしたら、それは一つの愛情が終わったことになるでしょう。そうならないためには、まず自らの悩みと真摯に向き合うことです。

自らの答えのない問いに対しても、答えを見つけようとしてみることです。自らに問いかけることができる人間は、きっと相手の問いかけにも耳を傾けることができるでしょう。

問いかけることをやめてしまってはいけません。
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2017年08月11日

慈しみの心

すべては心から出ています。心があって、考え、話し、行動しています。すべては心の表れですから、心が汚れていればすべては汚れたものになります。心がささくれだって荒れていれば、争いが起きます。心が苦しめば、どこにいても苦しい世界です。天国に行けたとしても苦しいでしょう。

逆に、心が安らかであれば、どこにいても安らかな世界になります。優しい慈しみの心があれば、すべては清らかになります。人間関係も円滑に進みます。平和な心があれば、平和な世界で暮らすことができます。

すべての発生源である心を清らかにすれば、自然に生きていけるようになります。誰と会話をしていても、その言葉は相手に対する憎しみや嫉妬、怒りの言葉にはなりません。相手を傷つける言葉ではなく、自然と他の生命に対して優しい言葉になっています。

まず優しい心を育てましょう。そうすれば、私たちの行動は優しい行動に変ります。慈しみの心さえあれば、生き方そのものが、そのまま正しい生き方になってしまうのです。

お釈迦さまは、「瞬時でも慈しみの心を育てなさい。それだけでも立派なことである」と説かれました。慈悲の心は何もせずに放っておいて生まれてくるものではありません。努力して育てていくものです。

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2017年08月10日

良いところとだけつき合う

すべてのものは、完全ではありません。探そうとすれば、不完全なところはいくらでもあります。

だから、そういう欠点だらけの人間同士が、相手の欠点をさがし合っていてもキリがありません。

間違いを指摘したり、相手を攻撃しても、相手の性格が直ることはまずありません。

お互いに争いの泥沼に陥るだけです。

相手のどうでもいいことや、不完全なことを探し出して争うのではなく、どこか仲良くできることはないか。どこか共通点はないか。と必死で探した方がいいのです。

本当に、本当に嫌いな人間であれば、つき合わなければいいのです。

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2017年08月09日

縁の深さに関係なく・・・誰に対しても

心の絆を一人でも多くの人と結ぶことが、人生を豊かにします。

ところが、ごく親しい人にだけものすごく優しくするだけで、見ず知らずの人に対しては冷たい態度で接しているのが、今の社会現象ではないでしょうか。

この差を縮めていかなければ世の中はよくなりません。人間一人が持つ縁というものはわずかなものですが、誰に対しても温かく穏かに接していくことが大事です。
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2017年08月08日

心配するだけなら・・・

ただ一人の人に正しいことをするよりも、幾千の人たちのことを心配することの方が楽です。たとえば、地震で被災した人のことがテレビに映しだされたとき、ただそれを見て、本当に気の毒だな〜と思ってるだけなら、相手が何万人でも簡単に心配してあげられます。

しかし、一人でも実際に救うとなると大変です。救済支援のための寄付でも何でも、少しでも行動を実際に起こしてあげられたらどんなにか素晴らしいでしょう。

人生も後半に入ってきた人たちがこういう時、まわりの若い人たちに少しでも、範を示すような行動をとっていると世の中は必ずよくなっていくでしょうね。

そういう意味で災害等も若い人を人道的な善に導くためのチャンスになります。
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2017年08月07日

苦労の痕(あと)を悟られないように人に接する

苦労したことをそのまま顔に出す。

誰にでも出来ることです。

反対に、苦労したことのない人が、いつも明朗な顔でいる。

これも、そんなに難しいことではありません。

しかし、さんざん苦労したにもかかわらず、まったく苦労の痕が感じられない顔で人に接するのは、なかなかできないことです。

できれば苦労の痕を悟られずに人と接する。

これは大事なことだと思います。
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2017年08月06日

逆境は最も偉大な教師である

勝利から学べるものは少ないが、追いつめられ、苦しめられ、打ち負かされている時、あなたは大いなる知恵を得ます。

なぜなら、その時あなたにへつらう者は去り、それによってついに真の自分自身を知るからです。

あなたの友とは誰か?逆境があなたを飲み込んでいる時こそ、真の友を数える最良の時なのです。

かつてなかったほどの暗闇に閉ざされている時こそ、思い出しましょう。

あらゆる失敗は成功への一歩であり、偽りを発見することが、真実への道を進むことであり、ひとつひとつの試練が、過ちにつながる誘惑の芽を摘んでいくことを。

すべての逆境は、平和と達成への道筋をほんの一瞬見えなくするものにすぎないことを。

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2017年08月05日

心配しないこと

心配は一種の自己暗示で、それはまったくムダな努力であり、何の役にも立ちません。

心身に害をおよぼす恐れすらあります。うまくいかない可能性があることを何度も心の中で繰り返して何の得になるでしょうか。自分を暗い暗示にかけてしまうようなものです。

心配はやめましょう。

この世は、意識を向けたものが拡大・発展していくようになっています。

今ある、豊かさ・恵みに意識を向け、いつも感謝して居ましょう。
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2017年08月04日

自分の話をしないこと

経歴など、どうしても自分の話をしなければならない時も、自慢したくて言っていると思われるような言葉は、直接的なものであれ間接的なものであれ、いっさい慎むように心がけるといいでしょう。人格などというものは、善悪にかかわらず、いずれ知れてしまうものです。わざわざ自分から言うには及びません。しかも、本人が自分の口から言えば、誰もそれを信じはしないでしょう。

自分の口から言えば、欠点を隠すことができるとか、長所が余計に光る、などとは、間違っても思わないことです。そんなことをすれば、欠点はなおさら目立ち、長所はかすんでしまいます。

自分からは何も言わずに黙っていれば、かえって長所があると思われるものです。少なくとも奥ゆかしいと思われることは確かです。

それに不必要なねたみやそしりや嘲笑を受けて、正当な評価を妨げられることはありません。しかし、どんなにうまく変装し得ているつもりでも、自分でそれを言ってしまえば、周りの人の反感を買い、思ってもみない結果に肩を落とすことになるでしょう。
そんなことにならないためには、自分の話をしないのが一番です。
posted by 田村 季山 at 03:30| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする