2017年11月30日

いい加減に・・・

流されることを愛してください。そして流されながら、しかし最後まで、小さな希望だけは明確にしているという生き方をしてください。

「いい加減」という言葉は実にいい言葉です。

塩味、お風呂の温度、花の咲き具合、それぞれにいい加減というものがあります。

同じ個人でも、日によって状態によって好みも変わります。

一杯目の茶はぬるく次は熱かったことを褒めた人もいますし、今日は少し辛い味で食べたい日もあれば、寒風の中を帰ってきた時には熱めのお風呂に入りたいものです。

とにかくのんきに、いい加減にやりましょう。
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2017年11月29日

この道に悔いはない

何十年かこの道をひたすら歩いてきた。自分の選んだ道だから、一つも悔いはない・・とする。

いきがかり上、そうせざるを得なかった人もいるでしょうが、自分から選んで積極的にそうしたという人もいます。どちらでも構いません。

この道を歩む以上は、これが最善だったと思う以外にありません。人生はUターンができません。「ああすればよかった、こうすればよかった」と思いわずらったところで、過ぎ去った日々は帰ってきません。

人生はそのつどリハーサルのない本番のドラマを演じているものなのです。

悔いなき瞬間を送りましょう。そうでなければ「時」に申し訳ありません。
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2017年11月28日

死にざまを見せる

立派に端然として死ぬのは最高です。それは、人間にしかできない勇気のある行動であり、生き残って、未来に死を迎える人々に勇気を与えてくれます。

それにまた、当人にとっても、立派に死のうということが、かえって恐怖や苦しみから、自らを救う力にもなっているかもしれません。

しかし、死の恐怖をもろに受けて、死にたくない、死ぬのは怖い、と泣きわめくのも、それはそれなりにいいのです。

人間は子供たちの世代に、絶望も教えなければなりません。明るい希望ばかり伝えていこうとするのは片手落ちだからです。

一生、社会のため、妻子のために、立派に働いてきた人が、その報酬としてはまったく合わないような苦しい死をとげなければならなかったら、あるいは学者が、頭がおかしくなって、この人が、と思うような奇矯な行動をとったりしたら、惨憺たる人生の終末でありますが、それもまた、一つの生き方には違いありません。要するに、どんな死に方でもいいのです。

一生懸命に死ぬことです。それを後に残る者たちに見せてやることが、老人に残された、唯一の、そして誰にでもできる最後の仕事なのです。
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2017年11月27日

饒舌の弊害・・・

沈黙の弊害よりも、饒舌の弊害のほうが大きいものです。

しゃべるほど味が薄くなり危険が増してきます。

話の効果は時間に反比例します。必要なときに、必要なことを、必要なだけ、そして必要な方法で、というのが原則です。

しゃべる量で相手を圧倒しようとするのは愚かなことです。

だいたい、しゃべりすぎるとしまりがなくなります。もっと危険なのは、だまっていればことを起こさないですむものを、いらないことまで口走るから、「キジも鳴かずば撃たれまい」という結果を招いてしまうのです。

ピリッと効(き)く、小粒の山椒のように、煮詰まったエキスを話したいものです。
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2017年11月26日

少欲と知足が幸せにつながる

凡人が一切の欲望を捨て去ることは、なかなかむずかしいことです。

だとすれば、少欲に甘んずることが現実的な解決法というべきでしょう。欲が深いと、いろいろなものに不満が出てきます。

不満をたらたら言うだけでは、この世はあまりに住みにくいもの。問題の解決にもなりません。

幸せは感謝の裏返し。少欲に甘んじ、足るを知る人こそ生きる幸せをつかむことができます。
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2017年11月25日

燃え尽きることは美しい

余白を残すのもいいでしょう。しかし、燃え尽きる美学もまたまばゆいほど美しいものです。

多くの人は燃え尽きていません。

余生を生きているなどという人がいますが、人生は一つしかありません。

その人生をどう精いっぱい生きるかが問題です。

出しゃばる必要はありませんが、せっかく与えられた人生、息をしているだけではもったいない。

燃え尽きれば自分も満足できるし、はた目にはとても美しいものです。
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2017年11月24日

命の火が燃えている

今日も苦悩の中に生きている。生への火がまだ絶えないで燃え続けている、ということです。

歯が痛いというのは、「ここがいたんでるよ」という神経の信号です。

人は肉体の痛みによってその患部を知り、それに対する適切な治療ができます。

若者が苦悩するのは、生きている証。命の火が燃えていることの信号です。

生きていることは苦悩することだと考えたらいいでしょう。悩むことは成長への起爆剤になり、生き方を示唆しています。

それがなくなったらおしまいで、あの世行きです。苦悩があるうちが花です。
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2017年11月23日

一日のトータルが人の一生です

人の一生は、今日一日のトータルです。

今日一日が生涯、密度の濃い一日を送りたいものです。

汗をかき、最善を尽くす。そうすれば、たとえ失敗しても腐らないで済みます。

多くの不満や反省は、全力を尽くさなかったから、だともいえます。

「思いわずらうのは、最善を尽くさないからだ」と、元京大総長の平沢興先生が言われました。

今日の一日、この瞬間、瞬間を密度の濃いものにしていければいいですね。
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2017年11月22日

生きることは苦しい?

子供がいなくて淋しい、子供がいれば苦しみが増える。いずれにしても、人は苦渋を背負って生きています。

第三者が見ているほど、他人は無風地帯に住んでいるのではありません。「隣の庭は広く見える」ものです。

生きるということは、それぞれの悩みと同居しているようなものです。他人はそれをあらわに見せてくれないだけのことです。

宗教の立場からいう、「人間は苦界に生きている」ということになるのでしょう。

そうであれば、それとつきあっていきる以外にありません。

人間生きるということは、運命が与えてくれる試練との根くらべみたいなものです。

そう考えるのも人生ですが、全く逆に人生を明るく楽しくとらえることも可能であることを認識しておいてください。
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2017年11月21日

「歳をとったな」ではなく「渋みが出たな」と思う

まだまだ定年前後の年齢にもかかわらず、自ら老け込んではなりません。
また、はじめから「ダメ」と考えない「精神の若さ」が必要です。
「年をとったなァ」と考えるのではなく、「渋みが出たなァ」と思えばいいのです。

大人の「渋み」は若者にはない味です。
現実に年をとったのだから、いまさら若さに憧れても仕方ありません。それより若者にはない魅力を十分に発揮したほうがいいのです。

あのゲーテもこう言っています。「人は年をとったら、若いときよりもそれだけ多く仕事をすることができるのが本当である」・・・と。

もちろん、肉体的にムリな仕事をしろと言っているわけではありません。
その豊かで深い自分の経験を生かせばいいのです。それを実践している人は、いくら年をとってもいつまでも若々しいものです。
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2017年11月20日

「人生二度なし」なんて思わないこと

自分の選んだ道は、危ないかもしれない。しかし、心配してもはじまりません。

実際、失敗したと思うことはよくあります。あのとき、もう一方の道を行っていたらと悔やむ。しかし、これがいけません。悔やむヒマがあるなら勉強だと思って、失敗までのプロセスをもう一度おさらいした方がいいのです。

失敗の原因をつかめば、次に役に立ちます。取り返しのつかない失敗、と思えることも長い人生で見たら、大したことではないということは間々あります。どんなことが起こっても「命まではとられない」と開き直って、平然としていればいいのです。

人生には思わぬ展開が開けてくるときがあるものです。
何事も悲観論で考えるから、ストレスばかり残って、いいアイデアが浮かばないのです。

人生二度ないなんて思って緊張せず楽観論で考えると、前向きにパワーを持ってものを見られます。これが大切なのです。

「まだこれだけある」と「もうこれだけしかない」の違いです。
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2017年11月19日

人生、トライしなければ後悔することに・・・

人生、トライしなければ意味がありません。

平均寿命九十年という長い人生を考えたとき、お金も大事でしょうが、もっと大事なのは自分が自分の存在理由を示せる場、すなわち自分が活躍できる場、自分を必要としてくれる場、そして自分が生き甲斐を感じられる場を確保することではないでしょうか。

実際、生き甲斐を持たないで、いつの間にか老後を迎えてしまったときの悲劇度は、お金がないよりずっとみじめなものです。年齢よりずっと老け込んでしまったそういう人がたくさん見られます。

だからこそ、一度は思った通りの生き方にトライしてみたほうがいいのです。多少ハメを外してもいいじゃないですか。

そのためには、まず固定観念を捨てることでしょう。いわゆる「常識」を疑ってみることです。空飛ぶ鳥のように自由に生きたいと思ったら、まず自分の気持ちを自由にしなければなりません。

人はとかく慣例とか常識といったものにとらわれ、その行動や判定を一定の枠にはめてしまいます。気持ちが縛られてしまうと簡単には自分を変えることができなくなります。

恥ずかしいと思うから、人生は小さくつまらなくなります。怖じ気づいたり恥ずかしいと思う気持ちを退散させましょう。

とにかく問われるのは「実践」です。その違いが大きくモノを言います。

「理屈より実践」モノは試し、自分の思ったことをとにかく行動に移せば、その先に思いもよらぬことが実現する可能性がある、ということです。
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2017年11月18日

周りを嫌な気分にさせないこと

いい気持ちでいたいのは、みんなの共通の願いです。

だから、まわりの人びとをけっして嫌な気持ちにさせてはいけません。

怒っている人がいたら、怒り返してはいけません。

その人の気持ちを和らげてあげることです。

機嫌が悪かったら、「まあ、そんなこともありますよね・・・」と、できるだけ気持ちを和らげてあげましょう。
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2017年11月17日

自分も人も喜ぶことをしましょう

自分には喜びであっても、他人に迷惑をかけるのは、よいことではありません。

また他人には喜びであっても、自分が苦しむのも、よいことではありません。

「よいこと」とは、「自分が喜び、他人も喜ぶ」行いです。そして、「あとで後悔しない」ことです。

「悪いこと」とは、「自分が苦しみ、他人も苦しむ」ことです。そして「あとで後悔する」のです。

だから行動を起こす前に、その行動によって、わずかでもあとで後悔することになると思うならば、そういう行動はやめましょう。

結果もよくて、あとで思い出したときもよかったと思える行動をすることです。

「よいこと」をすれば、「よい結果」がでます。これに例外はありません。

「そこそこの結果」しかないというのは、「そこそこのこと」しかしていないからです。
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2017年11月16日

心に良い癖をつける

ほんとうに自由な心とは、「どんなことがあっても波立たない、こだわらない心」です。しかし、人は長年にわたって形成されてきた心の癖のために、なかなか真の自由というものを得られません。

自由になる道は遠いものです。しかし、よいことを繰り返し行い、心によい癖をつけていけば、必ずそこにたどりつけます。

水が一滴ずつしたたり落ちて、やがて瓶を満たすように、少しずつ、ゆっくりでもよいのです。

道を歩いていて、落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に入れるとか、汚れていたらちょっと拭いてきれいにするとか、そんな小さなことからやればいいのです。それが習慣になって心によい癖がついていきます。

反対に「悪いこと」は、どんな些細なことでもやってはいけません。些細なことでも放置しておくと、やがて心に悪い癖がついてしまうからです。

心についた癖は、そう簡単には変えられません。いったん癖がつくと、またそのとおりに行動し、癖はさらに強化されていくのです。ですから、正しい癖をつけるようにしなければなりません。

いったん悪い癖がついたら、どんどんそれが強化されていくので、不幸になってしまいます。よい癖をつけた人びとは幸福になっていきます。
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2017年11月15日

些細なところから落ち着く

ゆっくりと丁寧に食事をしていると、最初はいらだちが出てくるかもしれません。

しかし諦めないで、実践してみましょう。

丁寧な食事ができるようになれば、人生のさまざまないらだちも、消えてしまいます。

日常の些細なことから、ひとつずつ落ち着きを体得していけば、人生はいつでも落ち着けるようになるのです。

人生は、落ち着いていられること、平安でいられることができていれば成功です。
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2017年11月14日

昨日の失敗をどうするか?  つかまない、気にしない。

昨日は大失敗したと思って悩むのは、「今日も失敗したい」という計画を組んでいるようなものです。

昨日の失敗は、どうなるものでもありません。

今日という日は新しい。その今日のことだけを、ただしっかりやればいいのです。
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2017年11月13日

「いいことは」生きているうちに

人は「いいこと」をしたくないわけではありません。

ただ、「今日は楽をして、明日から」という心が起きてしまうから、なかなか「いいこと」を実行できないのです。

けれども、人はいつ死ぬかわからないのです。

いいことは、生きているうちにやっておくべきなのです。

だから、「いま」いいことをして、悪いことをしない。悪いことをどうしてもしたいなら、「いつかそのうち」やればいいのです。
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2017年11月12日

人生は瞬間瞬間の連続です

人生とは、瞬間、瞬間の連続です。私たちは、瞬間、瞬間にしか生きられません。

いまの瞬間になすべきことは、つねに「具体的」です。

それは、話を聞くことであったり、ものを片付けることであったり、つねに「具体的」にあるものです。

いまこの瞬間になすべきことをよく知り、それをきちんとやる。

それで、何の問題もなく人生はうまくいくのです。
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2017年11月11日

「私は正しい」が問題を作る

「私は正しい」という心から、怒りも嫉妬も、落ち込みも傲慢も、舞い上がりも、あらゆる感情が生まれてきます。

その心が、いろいろな問題をつくるのです。

「私は正しい」というのは、客観的に成り立たないことなのです。それは、わがままな恐ろしい思考です。しかし、みんな、「私が正しい」病に感染しているようです。
posted by 田村 季山 at 03:31| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする