2018年02月28日

今日(毎瞬)を自分の最高に生きる

同じ一日でも、一月から十二月まで同じ一日はありません。

同じ一日でも、同じ気候の一日はありません。

同じ一日でも、同じ体調の一日はありません。

だから、同じことをするにしても、一日一日の工夫が必要です。

熱のある日は、熱のあるように、体調の良い日には、体調の良いように、一日一日を、最高に生きることです。
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2018年02月27日

他の人は自分の合わせ鏡です

人運は、人のお役に立つことから生まれるものです。

積極的に参加して、待ち人間になってはなりません。

人の長所の見える人は、必ず成長することができます。

嫌な人を生かすことは、自分の器を大きくします。

人に尽くすことを知らない人は、子孫を駄目にします。

損得よりも「縁」を大切にする人が本物です。

他の人は自分の合わせ鏡なのです。
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2018年02月26日

石川洋の言葉  ・・・「自戒」

「自戒」・・・・石川洋

つらいことが多いのは感謝をしないからだ
苦しいことが多いのは自分に甘えがあるからだ
悲しいことが多いのは自分のことしかわからないからだ
心配する事が多いのは今をけんめいに生きていないからだ
行きづまりが多いのは自分が裸になれないからだ

以上
人生の試練や苦しみを味わうことは不幸や不運なのではありません。

心豊かな人生、おだやかな老後のための貯蓄のようなものです。
最後の人生勉強は、「ありがとう」の一語に尽きます。
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2018年02月25日

陽気は美徳、陰気は罪悪

「陽気は美徳、陰気は罪悪」というのが私が作った格言ですと、宇野千代さんが言われてました。

美徳も罪悪も、そのままの姿ではとどまりません。

すぐそこで、となりの人に感染(うつ)るものなのです。

どんなに大きな美徳もどんなに小さな美徳も、すぐそばの人に感染る大きな力を持っています。

一方、陰気はどんなに小さな陰気であっても、すべての人に感染るものですから、夢にも、陰気の気持ちを持ってはなりません。

陽気な人が好かれるのは言うまでもありません。
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2018年02月24日

一筋に歩もう

どんな仕事でもいい、世のため人のために役立つことを自分の生きてきた証拠として遺すこと、これが生きるということかもしれません。

有名になるとか、財産を残すとかいうのじゃなく、人々の心の中に何か遺すということが生きるということでしょう。それが出来れば死んでいても生きているのと同じでしょう。

死は誰にでも訪れます。それまでは、たとえ小さな花であってもいい。人の目に触れない花であってもいい。

「よく咲いた」と神さまから誉められるように、この世に生きている限り一生懸命努力して花を咲かせたいものです。
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2018年02月23日

自分の身体に最高の敬意と感謝を持つ

私たちの体はたくさんの細胞からなっていますが、それは私たちの「従属物」ではありません。

自分の体で自分の意のままに動かせるのは「運動神経」だけで、脳や心臓、内臓を動かしてくれる「自律神経」は自分ではコントロールできません。

あなたは自由に脈拍数をかえられますか?もちろんできませんよね。
ところが普通に生活していると、自分の体を「従属物」だと勘違いして、ついつい無理じいをしたり、いい加減に扱ってしまいがちです。そうすると、必ず体はそれに反応して、病気を起こしてしまいます。

私たちの体は私たち自身の意志が動かしているのではなく、私たちのために動いてくれているんです。

それをちゃんと意識して、自分の体に「敬意」と「感謝」を持ち、サラブレットを扱うようにケアしてあげるべきです。

長生きで幸せな人生を送っている人は、それがきちんとできているのです。

大切なのは「体の声」に従って、メンテナンスを怠らないということです。「お腹がすいた」と体が訴えたら、食事をとってエネルギーを入れてあげる。「疲れたよ〜」と悲鳴をあげたら、仕事を断って休んであげることです。
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2018年02月22日

幾つになっても

人はいくつになっても、心持ちは変わりません。肉体は年を取っても、心が年を取ることはありません。

もし自分をおばあちゃん、おじいちゃんだと言う人がいれば、その人は、心でそう思っているだけのことです。

どうぞ思いを今すぐ変えてください。「私は若い」と。
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2018年02月21日

定年退職ニートも悪くない

仕事から離れて定年を迎えるようになると、誰もが何か他に生きがいをと求めるようになりますが、生きがいだか何だかしらないが、そんなものをわざわざ探す必要はありません。

仕事から離れれば離れたで、そのまま単純に生きていればいいではありませんか。

好きでもない絵画を無理して習う必要はないし、やることがなければ家でプラプラしていればいいでしょう。

定年退職ニートになるのもいいものです。

自分の気持ちに正直に、好きなように生きる。それが定年退職者に与えられた特権ではありませんか。

無理に生きがいをつくらなくても、ありのまま、愉しく生きればいいのです。
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2018年02月20日

「生きているからには」坂村真民の詩

生きているからには
しょぼしょぼとした
目なんかせず
生き生きした
魚の目のように
いつも光っていようではないか
生きているからには
くよくよした
泣きごとなんか言わず
春の鳥のように
空に向かって
明るい歌をうたおうではないか
生きているからには
できるだけ世のため人のため
体を使い
あの世へ行った時
後悔しないように
発奮努力しようではないか

以上、このように生きて行きたいと思いました。
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2018年02月19日

体験だけでは・・・・・

体験を積めばいい、というわけでもありません。

むしろ、体験だけで生きてきた人の中には、したたかになっている人のほうが多いようです。

「オレはこんな修羅場を経験してきたんだから怖いものはないんだ」というような人間になってはおしまいです。

どんな厳しい体験をしてきても、純粋で傷つきやすく瞳の曇らない人間になることをめざしたいですね。
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2018年02月18日

自分の置かれた環境に意義を見出す

起こってくる一つひとつの出来事には、良い面も悪い面もあって、たとえ今は美しいとは思えなくても、そこに何か意味のあることを信じて生きることが大事です。

聖書の中に「運命は苛酷だが、摂理は温かい」という言葉があります。

現実がどれほど苦しくても、神は大きな摂理の中で一人ひとりを大事にされていること、自分の考えが絶対ではないということを信じ続けていく。

そういうものが信仰ということです。

苦悩してこそ人は自らの内面を探究することになるし、優しくて人に安心感を与える人になれます。大切なのは、自分が置かれた環境にどれだけ大きな意義を見い出すかということなのかもしれません。
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2018年02月17日

自分の都合を捨ててみる・・・

私たちは、おおむね自分の都合で生きています。人のためになりきるということはなかなかできません。ですから、人のために何かをするということは、いかにして自分の都合を捨てるかということになってくるのでしょう。

私たちが時としてものごとに行きづまるのは、自分の都合だけで動いているからではないでしょうか。そんなとき、自分の都合を少しでも引っ込めていくと、ものごとは動き出していきます。

自分の都合で生きていれば、それはどうしても人に伝わります。したがって、自分の都合だけで動いている間は、人はまごごろを通わせてくれることはありません。

道は多くの人との縁によって開けていきます。だから、自分の都合を捨てることさえできれば、道は必ず開けていくものなのです。
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2018年02月16日

精神世界に誘う「死」

死ほど平等なものはありません。この世の中のことは、すべて偽りに満ちているのに、死は貧富、貴賎を問わず訪れ、決してごまかすことはできません。

「死ぬことのみぞ真なりける」と歌った方もおられます。

鉄舟会師家の大森曹玄老師は、「人は死について考えるようになると、精神が純化されてくる」と言っておられました。つまり、死を思うと、死の絶対性、ごまかしのなさを痛感します。

そして、その苦しみから逃れるために、精神の世界に関心を持つようになるというのです。
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2018年02月15日

今日一日をどう充実させるか

長生きをしようと食べ物や健康法などに凝るのは、それ自体がストレスになりやすいものです。どんなに注意して生活していても、人間には寿命があります。

だから、明日死んでもいいくらいの気持ちで、今日一日を充実して過ごしていれば、いつ寿命がきても満足して旅立てます。

自分を成長させ、お金を稼いで子供を育てていく第一の人生には目標は必要ですが、第二の人生まで目標を立てて明日に期待するのはどうかと思います。

それよりも、今日一日をどう充実して過ごすかという覚悟を身につけていくほうが大切な気がします。そうすれば、明日もきっと楽しく過ごせるはずです。
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2018年02月14日

「今、ここに」生きていきましょう

昔から「放られたところで起きる小法師(こぼし)かな」と言われます。
小法師とは「起き上がりこぼし」のことで、どのように投げても最後は起き上がる達磨像です。

つまり、どこかに職を得たり、そこで働かざるを得ないというような場合にもそこで頑張り、起き上がれば必ず道が拓けるということを言ったものです。

運はどのように拓けるか誰にもわかりません。今起こっていることは、これから先の運命の始まりかも知れないのです。それを受け入れ、じたばたせずに生きていけば、思わぬ幸運も来るということを言った言葉です。

今与えられたことに全力をあげましょう。今、ここに生きていきましょう。

愚痴を言ったり、やる気を失って損をするのは自分だけです。

私たちは心により道を変えられ、思いの力によってどちらにも向くことが出来ます。

そのために本来幸福を目指す運で、今は一時的な出来事なのに、それを間違って解釈し、あわてふためいたり、じたばたしては人の信頼、尊敬を失い、道が拓けなくなってしまいます。
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2018年02月13日

明日言えることは今日言わない

怒りを抑えるために、数を十数えよとか深呼吸をせよとか言われます。つまり怒りを爆発させるなということです。

それより有効なのは、「明日できることを今日するな」という欧米の格言です。

怒りの言葉、相手に対する文句は明日でも言えます。

明日できることを今日するなということは、明日言えることを今日言うなということです。

怒りが起こって来た時はこの言葉を思い出し人間関係が険悪にならないよう気をつけましょう。
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2018年02月12日

人を許しましょう・・・

幸せに生きるには人を許し、自分も許してもらうという生き方が大事です。

自分に嫌な思いをさせた人を決して許さないという生き方をすれば、相手もそのような考えで対抗してきます。

非難された相手が「ごめんなさい、私が悪かったです」などと認めることはほとんどありません。

もし自分が悪いと認めれば自分が自信を失うからです。

人を許しましょう。そして自分も許してもらいましょう。
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2018年02月11日

陰徳を積めば必ず陽報有り

定年後にやることがないと嘆き、暇をもてあます人が多くいます。その一因は自分の今までの生き方にもあったのです。
自分の成功のみを追い、自分だけが目立とうとする生き方、陰徳を忘れた生活の仕方が、晩年になって結果として出てきているのです。

このように考えると、目立たないで人に尽くすということは、現代的な意味も持っていることになります。目立とう目立とうという生活は徳を損ない、業の借金を増やしてしまいます。

その結果、自分の意図するところとは別の人生を送らなくてはならなくなるのです。

目立つことのみを図って生きてきた人が、仲間もなく、家族にも恵まれず、孤独に人生を送ることが多いのはこのためです。

隠れて何か良いことをするというのは、決して無意味な行為ではなく、最後には自分と子孫のためになる行為だということを理解すべきでしょう。

まさに、「陰徳を積めば必ず陽報あり」なのです。
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2018年02月10日

間違ったらやり直せば事は必ず成就する・・・

「人間だから踏み外すこともある。じゃが、踏み直し、踏み直しすれば、事は必ず成就する」と龍沢寺の山本玄峰老師は言われました。

間違ったらやり直せばいい、人間だから失敗はするものだと。それを反省して自分の心を傷つけることほど無意味なことはないのだ、と言っておられるのです。

玄峰老師は「人間の心は仏からいただいたものだ。けっして傷つけるようなことをしてはいけない」とも言っておられます。自分の心を傷つけることは、自分が自分に犯す犯罪とも言えるのです。だから、そんな不遜なことをしてはいけないのです。

やり直し続けていれば、最後の目的に達することができる。成功を収めることができる。

心に決めて努力することは必ず叶うと言っておられるのです。

ここが普通の道徳の言葉と違う点です。反省して生きなさいというのではありません。

やり直しなさい、それだけでよい、と言っているのです。そして、その結果が目的を達成させるのだと言っているのです。
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2018年02月09日

身体も幸せもお借りしているもの

仏教では「自分というものは本来存在しない。それを存在すると思うから迷うのだ」といいます。

もちろん私たちには感情もあり、欲望もあり、「自己」と思われるものも存在します。しかし、それは仮の状態で、宇宙からお借りしているだけのものです。

自分を生存させようという本能があるから私たちは生きられ、ものごとを所有しようとするから、地位、名誉、金銭などが得られて楽な暮らしができるのですが、それは仮のものだから、いつかは返さなくてはなりません。

それが死ぬ時です。

所有する気持ちが強ければ強いほど、それを返すときは悲嘆にくれることになるのです。一方、所有する気持ちが弱ければ生存競争に勝てないことになり、これも不幸の原因になります。

ではどうするかということになります。

私たちはより良い生活をしたいと努力します。この点に問題はありません。
しかし、同時に「この幸福は、一時的なもので、いずれはお返ししなくてはならない時期が来る」と自覚していることも大事です。
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