2019年05月31日

気持ち良く年を取る

人間はこの世に生きている限り、楽しく過ごさなければなりません。

それも、まわりの人をも楽しませ、人を扶(たす)けたり扶けられたりして仲良くしつつ、みんなで気持ちよく歳をとる、ということに尽きるでしょう。
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2019年05月30日

老いを豊かに・・・

人は、子を持たぬとき、老いをおそれる。というのは、人は子の若さで、老いを忘れ、自分も若返るように思うからです。しかし、子は老いのスベリドメにはなりません。

本人は、やはり老いてゆきます。

子供で老いを忘れようとするより、充実して老いを豊かにすることです。つまり、老いても、楽しい何かを持っている。それなら、子を持たずとも楽しい日を多くみることもできるでしょう。
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2019年05月29日

死ぬまでは生きることを大事にしていく

「浜までは海女(あま)も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな」

これは芭蕉のお弟子さんの俳句です。
時雨が来た。海女さんは海に入るわけですから、浜まで濡れてもどうということはないけれども、やはり浜に行くまでは蓑を着て自分を雨から守っていかなければいけません。

死ぬ時は死ぬことに対して穏かに、そしてきれいに死んでいかなければならないけれども、死ぬまでは生きることを大事にしなさいということです。

それが大事な覚悟なのだということです。「生きる覚悟」です。
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2019年05月28日

ゆっくりして居ましょう


自分の人生を、いつでも締め切りでいっぱいにして、人生の楽しみを締め出してしまうのは、実に愚かな自己懲罰です。

時間の切迫感が、私たちのパーソナリティーをがんじがらめにしていることに気づかなければなりません。

「生き急ぎ」しないこと。「せっかち」を捨て「ゆっくり」していましょう。

迅速な時間に動じない平然さ、泰然自若さ、のどかさを心に養っていきましょう。
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2019年05月27日

心は常に楽しくしているように心がける

人間は怒ってはならない。

悲しんではならない。

心配してはならない。

暗い気持ちに沈んではならない。

怒りや、悲しみや、心配や、暗い気持ちは、自分を殺すものです。

自分の身体の中に毒素をつくります。

腹立ちや、心配や、嫉妬心や、不平や、悲しみは人間の命を殺すことになります。

心の悩みや、呪いや、神経質的なものはすべて人間を害するものです。

心は常に楽しくしているように心掛けなければなりません。
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2019年05月26日

全ては自分のためにやっている

問題解決するためには、まず自分のエゴに気づくところが出発点です。

「あなたのためにやっている」と思っているところに、問題があるのです。

「人のため」と言いながら、「自分のため」にやっていることが多いでしょう。

「やらせてもらって、ありがたいです。充実感が得られて幸せです」という気持ちがあれば、うまくいきます。

結局、すべては自分のためにやっていることなのですから。
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2019年05月25日

自分は完全ではないと考える

「私は不完全な人間だ」と知ることで、つねに自分に気をつけるようになります。

「自分は不完全だから、いつでも失敗する可能性がある。まちがいを起こす可能性がある」と知っていれば、つねに気をつけて生きるようになります。

「自分は不完全だ」と知っている人は、「完全」に至る道を歩むことができるのです。
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2019年05月24日

ことなかれ主義ではなく、凛とした気骨を・・・

近頃、些細なことでキレる感情暴発が高齢者の中にも増えたようですが、あれは元来、未熟者の特徴です。
シニアなら、本気で怒らなければならないことは、一生に二度か三度くらいで、ほかは大体どうでもよいことと悟りたいものです。

ちっぽけな智、稚拙な情、つまらない意地は超越して、もっと円熟した精神の高みにのぼりたいものです。これには努力する。

しかし、事なかれ主義のような暮らし方はしない。

平穏無事を最善とし、そのためなら何にでも妥協し同調し迎合する生活態度はとらないようにする。いつもニコニコ、ヘラヘラばかりしていない。

軟体動物ではなく、本来の自己というシャンとした気骨を持った個体の生き方を貫ければいいですね。
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2019年05月23日

上機嫌でいること・・・

老人は、酸いも甘いも噛み分けていて、上機嫌でいることが最上です。

気分というものは、成るがままに放置していると不機嫌に傾きやすいものです。

ですから、いつも私たちは、自分の気分に関心をはらい、怠惰をしりぞけ、上機嫌を保つように努力することが肝要です。

不機嫌は自分自身にも周りの人びとにも害になるので、れっきとした罪悪です。
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2019年05月22日

いい加減・・・

流されることを愛してください。そして流されながら、しかし最後まで、小さな希望だけは明確にしているという生き方をしてください。

「いい加減」という言葉は実にいい言葉です。

塩味、お風呂の温度、花の咲き具合、それぞれにいい加減というものがあります。

同じ個人でも、日によって状態によって好みも変わります。一杯目の茶はぬるく次は熱かったことを褒めた人もいますし、今日は少し辛い味で食べたい日もあれば、寒風の中を帰ってきた時には熱めのお風呂に入りたいものです。

とにかくのんきに、いい加減にやりましょう。
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2019年05月21日

「この道に悔いはない」と思えるように生きる


何十年かこの道をひたすら歩いてきた。自分の選んだ道だから、一つも悔いはない・・とする。
いきがかり上、そうせざるを得なかった人もいるでしょうが、自分から選んで積極的にそうしたという人もいます。どちらでも構いません。

この道を歩む以上は、これが最善だったと思う以外にありません。人生はUターンができません。「ああすればよかった、こうすればよかった」と思いわずらったところで、過ぎ去った日々は帰ってきません。

人生はそのつどリハーサルのない本番のドラマを演じているものなのです。

悔いなき瞬間を送りましょう。そうでなければ「時」に申し訳ありません。
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2019年05月20日

死にざまを見せる・・・

立派に端然として死ぬのは最高です。それは、人間にしかできない勇気のある行動であり、生き残って、未来に死を迎える人々に勇気を与えてくれます。それにまた、当人にとっても、立派に死のうということが、かえって恐怖や苦しみから、自らを救う力にもなっているかもしれません。

しかし、死の恐怖をもろに受けて、死にたくない、死ぬのは怖い、と泣きわめくのも、それはそれなりにいいのです。

人間は子供たちの世代に、絶望も教えなければなりません。明るい希望ばかり伝えていこうとするのは片手落ちだからです。
一生、社会のため、妻子のために、立派に働いてきた人が、その報酬としてはまったく合わないような苦しい死をとげなければならなかったら、あるいは学者が、頭がおかしくなって、この人が、と思うような奇矯な行動をとったりしたら、惨憺たる人生の終末でありますが、それもまた、一つの生き方には違いありません。要するに、どんな死に方でもいいのです。

一生懸命に死ぬことです。それを後に残る者たちに見せてやることが、老人に残された、唯一の、そして誰にでもできる最後の仕事なのです。
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2019年05月19日

饒舌の弊害(沈黙は金)

沈黙の弊害よりも、饒舌の弊害のほうが大きいものです。しゃべるほど味が薄くなり危険が増してきます。

話の効果は時間に反比例します。必要なときに、必要なことを、必要なだけ、そして必要な方法で、というのが原則です。

しゃべる量で相手を圧倒しようとするのは愚かなことです。だいたい、しゃべりすぎるとしまりがなくなります。もっと危険なのは、だまっていればことを起こさないですむものを、いらないことまで口走るから、「キジも鳴かずば撃たれまい」という結果を招いてしまうのです。

ピリッと効(き)く、小粒の山椒のように、煮詰まったエキスを話したいものです。
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2019年05月18日

少欲知足で生きる・・・

凡人が一切の欲望を捨て去ることは、なかなかむずかしいことです。
だとすれば、少欲に甘んずることが現実的な解決法というべきでしょう。欲が深いと、いろいろなものに不満が出てきます。

不満をたらたら言うだけでは、この世はあまりに住みにくいもの。問題の解決にもなりません。

幸せは感謝の裏返し。少欲に甘んじ、足るを知る人こそ生きる幸せをつかむことができます。

今既にある身近な多くの恵みに感謝して生きていきましょう。
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2019年05月17日

燃え尽きることは美しい・・・

余白を残すのもいいでしょう。しかし、燃え尽きる美学もまたまばゆいほど美しいものです。
多くの人は燃え尽きていません。

余生を生きているなどという人がいますが、人生は一つしかありません。その人生をどう精いっぱい生きるかが問題です。

出しゃばる必要はありませんが、せっかく与えられた人生、息をしているだけではもったいない。燃え尽きれば自分も満足できるし、はた目にはとても美しいものです。
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2019年05月16日

命の火が燃える・・・

今日も苦悩の中に生きている。生への火がまだ絶えないで燃え続けている、ということです。
歯が痛いというのは、「ここがいたんでるよ」という神経の信号です。人は肉体の痛みによってその患部を知り、それに対する適切な治療ができます。

若者が苦悩するのは、生きている証。命の火が燃えていることの信号です。

生きていることは苦悩することだと考えたらいいでしょう。悩むことは成長への起爆剤になり、生き方を示唆しています。
それがなくなったらおしまいで、あの世行きです。苦悩があるうちが花です。
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2019年05月15日

一日のトータルが人の一生である

人の一生は、今日一日のトータルです。

今日一日が生涯、密度の濃い一日を送りたいものです。

汗をかき、最善を尽くす。そうすれば、たとえ失敗しても腐らないで済みます。

多くの不満や反省は、全力を尽くさなかったから、だともいえます。

「思いわずらうのは、最善を尽くさないからだ」と、元京大総長の平沢興先生が言われました。

今日の一日、この瞬間、瞬間を密度の濃いものにしていければいいですね。
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2019年05月14日

「歳をとったな」ではなく「渋みが出たな」と言おう

まだまだ定年前後の年齢にもかかわらず、自ら老け込んではなりません。また、はじめから「ダメ」と考えない「精神の若さ」が必要です。
「年をとったなァ」と考えるのではなく、「渋みが出たなァ」と思えばいいのです。

大人の「渋み」は若者にはない味です。現実に年をとったのだから、いまさら若さに憧れても仕方ありません。それより若者にはない魅力を十分に発揮したほうがいいのです。

あのゲーテもこう言っています。「人は年をとったら、若いときよりもそれだけ多く仕事をすることができるのが本当である」・・・と。

もちろん、肉体的にムリな仕事をしろと言っているわけではありません。
その豊かで深い自分の経験を生かせばいいのです。それを実践している人は、いくら年をとってもいつまでも若々しいものです。
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2019年05月13日

「人生二度ない」なんて思わないこと

自分の選んだ道は、危ないかもしれない。しかし、心配してもはじまりません。
実際、失敗したと思うことはよくあります。あのとき、もう一方の道を行っていたらと悔やむ。しかし、これがいけません。悔やむヒマがあるなら勉強だと思って、失敗までのプロセスをもう一度おさらいした方がいいのです。

失敗の原因をつかめば、次に役に立ちます。取り返しのつかない失敗、と思えることも長い人生で見たら、大したことではないということは間々あります。どんなことが起こっても「命まではとられない」と開き直って、平然としていればいいのです。

人生には思わぬ展開が開けてくるときがあるものです。
何事も悲観論で考えるから、ストレスばかり残って、いいアイデアが浮かばないのです。

人生二度ないなんて思って緊張せず楽観論で考えると、前向きにパワーを持ってものを見られます。これが大切なのです。

「まだこれだけある」と「もうこれだけしかない」の違いです。
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2019年05月12日

人生、トライしなければ意味がない

人生、トライしなければ意味がありません。
平均寿命八十年という長い人生を考えたとき、お金も大事でしょうが、もっと大事なのは自分が自分の存在理由を示せる場、すなわち自分が活躍できる場、自分を必要としてくれる場、そして自分が生き甲斐を感じられる場を確保することではないでしょうか。
実際、生き甲斐を持たないで、いつの間にか老後を迎えてしまったときの悲劇度は、お金がないよりずっとみじめなものです。年齢よりずっと老け込んでしまったそういう人がたくさん見られます。

だからこそ、一度は思った通りの生き方にトライしてみたほうがいいのです。多少ハメを外してもいいじゃないですか。

そのためには、まず固定観念を捨てることでしょう。いわゆる「常識」を疑ってみることです。空飛ぶ鳥のように自由に生きたいと思ったら、まず自分の気持ちを自由にしなければなりません。

人はとかく慣例とか常識といったものにとらわれ、その行動や判定を一定の枠にはめてしまいます。気持ちが縛られてしまうと簡単には自分を変えることができなくなります。

恥ずかしいと思うから、人生は小さくつまらなくなります。怖じ気づいたり恥ずかしいと思う気持ちを退散させましょう。
とにかく問われるのは「実践」です。その違いが大きくモノを言います。

「理屈より実践」モノは試し、自分の思ったことをとにかく行動に移せば、その先に思いもよらぬことが実現する可能性がある、ということです。
posted by 田村 季山 at 03:15| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする