自分が不愉快なら、不愉快な声を出してもいい、ということは少しもありません。
むしろ自分の内心がどのようであろうと、平静と礼儀とを失わないように取り繕えるのが大人というものです。
心と行動は違っても仕方ありません。せめて心と行動が裏腹でもいいから、相手に優しくしなさい、とキリストは教えています。
お愛想を言えというのではありません。誰にとっても、現世はうんざりすることだらけでしょう。せめて同じ時に生まれ合わせ、声だけでも交わす縁(えにし)を持った人とは、明るい声で、この一瞬をできるだけみじめでないよう共有したいものです。
2016年04月08日
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