耳が聞こえないことは、決してその人の知性が劣って来たことではありません。
しかし、会議とか、交渉とか、細かい音声が聞こえないとすばやく反応できない場には向かなくなったのです。
だから、そのような任務にいつまでもしがみつくべきではありません。
しかし、耳が遠いということは、その人が思考したり、書いたり、手作業したりすることには全く差し支えはないでしょう。
だから、自分にとって得手の分野で働き活動をすることを楽しみとすべきです。
その人に適った道というものはいつでもどこでも残されているのです。
補聴器やめがねは、乏しい予算でも、無理をしてもお金を出すべきです。
子供たちも、お菓子や座布団を贈るより、これらのものに心を配るとよろしいかと思います。
2016年08月15日
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