2016年11月27日

あるがままで十分

毎春、鯉が黄河上流の兎門にある三段の滝登りに挑戦します。ほとんどの鯉は登りきれませんが、なかに三段の滝をすべて登りきる鯉がおり、するとその鯉は龍に変じて天に昇って行くといいます。

これを禅では、困難を乗り越えて一心に修行を重ねれば、やがて龍のような素晴らしい悟りの境地にたどりつくという意味に使います。

ところが、唐代の僧・重顕禅師は、こう言いました。

「鯉は鯉で、なに不足」

「鯉が鯉のままであるのがなぜ不足なのか。なにも鯉が龍になる必要はない」と。

誰もかれもがまなじりを決して、出世しようとしたり、成功者を目ざしたりする必要はないということです。

「世の中は、駕籠に乗る人、かつぐ人、そのまたわらじつくる人」という言葉もあります。社会にはさまざまな仕事が必要で、それをになうさまざまな人で成り立っています。今の自分の仕事やポジションに不足を持つ必要はまったくないということです。

「乗る人」がいばることも、「かつぐ人」が卑下する必要もありません。

posted by 田村 季山 at 03:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック