2018年02月20日

{生きているからには」坂村真民の詩

生きているからには
しょぼしょぼとした
目なんかせず
生き生きした
魚の目のように
いつも光っていようではないか
生きているからには
くよくよした
泣きごとなんか言わず
春の鳥のように
空に向かって
明るい歌をうたおうではないか
生きているからには
できるだけ世のため人のため
体を使い
あの世へ行った時
後悔しないように
発奮努力しようではないか

以上、このように生きて行きたいと思いました。
posted by 田村 季山 at 02:56| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月19日

体験だけでは・・・・・

体験を積めばいい、というわけでもありません。

むしろ、体験だけで生きてきた人の中には、したたかになっている人のほうが多いようです。

「オレはこんな修羅場を経験してきたんだから怖いものはないんだ」というような人間になってはおしまいです。

どんな厳しい体験をしてきても、純粋で傷つきやすく瞳の曇らない人間になることをめざしたいですね。
posted by 田村 季山 at 03:42| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

自分の置かれた環境に意義を見出す

起こってくる一つひとつの出来事には、良い面も悪い面もあって、たとえ今は美しいとは思えなくても、そこに何か意味のあることを信じて生きることが大事です。

聖書の中に「運命は苛酷だが、摂理は温かい」という言葉があります。

現実がどれほど苦しくても、神は大きな摂理の中で一人ひとりを大事にされていること、自分の考えが絶対ではないということを信じ続けていく。

そういうものが信仰ということです。

苦悩してこそ人は自らの内面を探究することになるし、優しくて人に安心感を与える人になれます。大切なのは、自分が置かれた環境にどれだけ大きな意義を見い出すかということなのかもしれません。
posted by 田村 季山 at 03:43| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

自分の都合を捨ててみる・・・

私たちは、おおむね自分の都合で生きています。人のためになりきるということはなかなかできません。ですから、人のために何かをするということは、いかにして自分の都合を捨てるかということになってくるのでしょう。

私たちが時としてものごとに行きづまるのは、自分の都合だけで動いているからではないでしょうか。そんなとき、自分の都合を少しでも引っ込めていくと、ものごとは動き出していきます。

自分の都合で生きていれば、それはどうしても人に伝わります。したがって、自分の都合だけで動いている間は、人はまごごろを通わせてくれることはありません。

道は多くの人との縁によって開けていきます。だから、自分の都合を捨てることさえできれば、道は必ず開けていくものなのです。
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2018年02月16日

精神世界に誘う「死」

死ほど平等なものはありません。この世の中のことは、すべて偽りに満ちているのに、死は貧富、貴賎を問わず訪れ、決してごまかすことはできません。

「死ぬことのみぞ真なりける」と歌った方もおられます。

鉄舟会師家の大森曹玄老師は、「人は死について考えるようになると、精神が純化されてくる」と言っておられました。つまり、死を思うと、死の絶対性、ごまかしのなさを痛感します。

そして、その苦しみから逃れるために、精神の世界に関心を持つようになるというのです。
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2018年02月15日

今日一日をどう充実させるか

長生きをしようと食べ物や健康法などに凝るのは、それ自体がストレスになりやすいものです。どんなに注意して生活していても、人間には寿命があります。

だから、明日死んでもいいくらいの気持ちで、今日一日を充実して過ごしていれば、いつ寿命がきても満足して旅立てます。

自分を成長させ、お金を稼いで子供を育てていく第一の人生には目標は必要ですが、第二の人生まで目標を立てて明日に期待するのはどうかと思います。

それよりも、今日一日をどう充実して過ごすかという覚悟を身につけていくほうが大切な気がします。そうすれば、明日もきっと楽しく過ごせるはずです。
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2018年02月14日

「今、ここに」生きていきましょう

昔から「放られたところで起きる小法師(こぼし)かな」と言われます。
小法師とは「起き上がりこぼし」のことで、どのように投げても最後は起き上がる達磨像です。

つまり、どこかに職を得たり、そこで働かざるを得ないというような場合にもそこで頑張り、起き上がれば必ず道が拓けるということを言ったものです。

運はどのように拓けるか誰にもわかりません。今起こっていることは、これから先の運命の始まりかも知れないのです。それを受け入れ、じたばたせずに生きていけば、思わぬ幸運も来るということを言った言葉です。

今与えられたことに全力をあげましょう。今、ここに生きていきましょう。

愚痴を言ったり、やる気を失って損をするのは自分だけです。

私たちは心により道を変えられ、思いの力によってどちらにも向くことが出来ます。

そのために本来幸福を目指す運で、今は一時的な出来事なのに、それを間違って解釈し、あわてふためいたり、じたばたしては人の信頼、尊敬を失い、道が拓けなくなってしまいます。
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2018年02月13日

明日言えることは今日言わない

怒りを抑えるために、数を十数えよとか深呼吸をせよとか言われます。つまり怒りを爆発させるなということです。

それより有効なのは、「明日できることを今日するな」という欧米の格言です。

怒りの言葉、相手に対する文句は明日でも言えます。

明日できることを今日するなということは、明日言えることを今日言うなということです。

怒りが起こって来た時はこの言葉を思い出し人間関係が険悪にならないよう気をつけましょう。
posted by 田村 季山 at 03:45| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月12日

人を許しましょう・・・

幸せに生きるには人を許し、自分も許してもらうという生き方が大事です。

自分に嫌な思いをさせた人を決して許さないという生き方をすれば、相手もそのような考えで対抗してきます。

非難された相手が「ごめんなさい、私が悪かったです」などと認めることはほとんどありません。

もし自分が悪いと認めれば自分が自信を失うからです。

人を許しましょう。そして自分も許してもらいましょう。
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2018年02月11日

陰徳を積めば必ず陽報有り

定年後にやることがないと嘆き、暇をもてあます人が多くいます。その一因は自分の今までの生き方にもあったのです。
自分の成功のみを追い、自分だけが目立とうとする生き方、陰徳を忘れた生活の仕方が、晩年になって結果として出てきているのです。

このように考えると、目立たないで人に尽くすということは、現代的な意味も持っていることになります。目立とう目立とうという生活は徳を損ない、業の借金を増やしてしまいます。

その結果、自分の意図するところとは別の人生を送らなくてはならなくなるのです。

目立つことのみを図って生きてきた人が、仲間もなく、家族にも恵まれず、孤独に人生を送ることが多いのはこのためです。

隠れて何か良いことをするというのは、決して無意味な行為ではなく、最後には自分と子孫のためになる行為だということを理解すべきでしょう。

まさに、「陰徳を積めば必ず陽報あり」なのです。
posted by 田村 季山 at 03:33| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月10日

間違ったらやり直せば事は必ず成就する・・・

「人間だから踏み外すこともある。じゃが、踏み直し、踏み直しすれば、事は必ず成就する」と龍沢寺の山本玄峰老師は言われました。

間違ったらやり直せばいい、人間だから失敗はするものだと。それを反省して自分の心を傷つけることほど無意味なことはないのだ、と言っておられるのです。

玄峰老師は「人間の心は仏からいただいたものだ。けっして傷つけるようなことをしてはいけない」とも言っておられます。自分の心を傷つけることは、自分が自分に犯す犯罪とも言えるのです。だから、そんな不遜なことをしてはいけないのです。

やり直し続けていれば、最後の目的に達することができる。成功を収めることができる。

心に決めて努力することは必ず叶うと言っておられるのです。

ここが普通の道徳の言葉と違う点です。反省して生きなさいというのではありません。

やり直しなさい、それだけでよい、と言っているのです。そして、その結果が目的を達成させるのだと言っているのです。
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2018年02月09日

身体も幸せもお借りしているもの

仏教では「自分というものは本来存在しない。それを存在すると思うから迷うのだ」といいます。

もちろん私たちには感情もあり、欲望もあり、「自己」と思われるものも存在します。しかし、それは仮の状態で、宇宙からお借りしているだけのものです。

自分を生存させようという本能があるから私たちは生きられ、ものごとを所有しようとするから、地位、名誉、金銭などが得られて楽な暮らしができるのですが、それは仮のものだから、いつかは返さなくてはなりません。

それが死ぬ時です。

所有する気持ちが強ければ強いほど、それを返すときは悲嘆にくれることになるのです。一方、所有する気持ちが弱ければ生存競争に勝てないことになり、これも不幸の原因になります。

ではどうするかということになります。

私たちはより良い生活をしたいと努力します。この点に問題はありません。
しかし、同時に「この幸福は、一時的なもので、いずれはお返ししなくてはならない時期が来る」と自覚していることも大事です。
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2018年02月08日

与えられた人生を素直に受け止める

人間の苦しみの一つの原因は、他との比較です。

私たち誰もが等しく生きられる最善の生き方は、与えられた人生を素直に受けとめて、自分を最高に生きることです。

障害や持病があっても、そのことを卑下したり恨んだりする生き方と、そこを人生の土台として、一つひとつ積み重ねて生きて行くかでは、天地雲泥の差が生じてきます。

人間の救いと生き甲斐はそれしかありません。

努力するなら他と争うのではなく、自分と闘うことが大切です。
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2018年02月07日

生きる覚悟・・・

「死にたい」という人がいます。本当は死にたいのではなく、死ぬほどの苦しみを持っているということなのでしょう。生きている人が死にたいなんてことはありません。

九十九歳になっても百歳になっても、死にたいなんて思ってる人は一人もいません。生き生きとして生きたいのです。命の尊さを知りたい、本当は生きたいのです。

よく「死ぬ覚悟」と言いますが、本当は「生きる覚悟」をしなければなりません。
生かしていただいている間は、生きる覚悟をしっかりすることです。

そのためには志を持って、一日一日、一時一時を生きる覚悟で生かしていただくことが大切です。
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2018年02月06日

頼らない生き方

人は依頼することに慣れてしまうと、どんどん底なし沼に沈んでいくものです。

人間は受け身の生き方をしていては、決して人生を楽しめません。

人生を充実したものにしたいなら、高齢になっても自主独立の精神を持ち続けなければなりません。
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2018年02月05日

胸を張って生きよう

中高年になって、自分自身が「年をとった」と自覚できる年齢まで生き延びてきたこと自体が、人生では一つの成功ではないでしょうか。

もっと自信を持ちましょう。

年をとったことに一種の負い目を感じることなく、もっと堂々としていましょう。

「どうだ、まいったか。お前たちも早くおれくらいの年齢になってみろよ。その時おれほどの元気さと見識がもてるか!」

「若いなんて自慢の種にもならん。ただ未熟なだけさ」

「もし若さが特権だというなら、人生はだんだん悪くなるだけじゃないか。そんなはずはない。私はいつだって、今の年齢が最高だと思っている」

年相応に・・・などという考え方は、ある種の敗北主義です。

年をとって体力が衰えるのを心配するのではなく、気持ちが衰えないよう自戒する必要があります。

中高年になったら、若さにこびることなく凛とした生き方をしたいものです。
posted by 田村 季山 at 03:29| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月04日

散歩を習慣化させよう

運動不足になると、血液の巡りが悪くなり、大脳の働きも落ちてきます。大脳はかなりたくさんの栄養を消費するので、栄養を運んでくれる血液の流れが良いということはとても大切なことです。

年を重ねてくると、運動するのがおっくうになってきます。特に、暑い日や寒い日、雨の日には散歩に出かけるのが憂うつになります。

そこで、毎日の生活の中で、散歩をすることを日課にする、習慣化することが大切です。これを実行するために、いくつかのお勧めメニューがあります。

一つは、犬を飼うことです。すると、朝夕の散歩は欠かせません。動物が好きでない方は、高価なスニーカーを購入するのです。履き心地がよいだけでなく、高い買い物をしていますので、元を取ろうと考えます。すると、歩かなければなりません。また、仲間を作るのも一つの方法です。ご近所の方と、時間を決めて散歩するのです。散歩することで、血液の流れはよくなりますし、実際には脳の活性化にもつながるのです。
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2018年02月03日

喜者皆美(きしゃかいび)

陶芸家河井寛次郎の言葉に「喜者皆美(きしゃかいび)」というものがあります。

喜ぶ者は、皆美しいという意味です。

たしかに、どんな人でも、喜んでいる時の顔は実に美しいものです。美しい人に接していると、自然に心も浄化されます。

いつも清らかな心でいたいと願うのであれば、どうすれば人を喜ばすことができるかを考えることです。
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2018年02月02日

感謝に勝る能力なし・・・

「感謝の気持ちが真の働きを生み出す」とか「感謝に勝る能力なし」といいます。

感謝の念を持つことは人生の大原則です。

生かされている自分に感謝できる、そして、どんな小さなことにも感謝できるのは、幸せな人生を送っている人に共通した資質です。

感謝こそ人生を潤す泉だと思います。
posted by 田村 季山 at 03:28| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月01日

理想的な最期・・・

自分が息を引き取る時、にこやかに、心落ち着いた状態で息を引き取りたいと、恐らく皆さんは思われているのではないかと思います。

そして、家族に見守られて死にたい、できることなら家族には迷惑をかけないように死にたい、また、できればボケずに死にたいと多くの人が思っているようです。

さて、日本人がどういう病気で亡くなっているかというと、一番がガンです。二番目は、心臓病、三番目が脳卒中です。

多くの人は三つのどれで亡くなりたいかという質問に一番人気は心臓病、二番人気が脳卒中、三番人気がガンだそうです。

ガンはこのように多くの人が忌み嫌っていますが、ガンに罹り死を迎えるまで時間が予め予想できますので、「家族に見守られて死にたい、できることなら家族には迷惑をかけないように死にたい、また、できればボケずにしにたい」という理想的な死に方ができるという点では、三つの中では一番であると言うことができます。

こうして考えるとガンになってもただただ恐れ忌み嫌い落ち込んでしまうこともありません。むしろ考え方を変えると他の病気でなくガンでよかったと感謝することもできるのです。
posted by 田村 季山 at 03:24| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする