2018年01月17日

逆境は恩寵である

実は、逆境は、反面教師以上の素晴らしいものなのです。

しかし逆境は作為的に作るわけにはいきません。

だから多少の不便や不遇が自然に発生した時に、私たちはそれを好機ととらえ、運命が与えてくれた贈り物と感謝し、むしろ最大限に利用することを考えるべきなのです。

願わしくないもののほうがどちらかというと人間を強めるものです。
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2018年01月16日

ボケないためにも、こまめに動き、頭をつかいましょう

「老化は足からやってくる」と言われているとおり、風邪をひいた老人が一週間寝込んだだけで立てなくなってしまった、というのはよくあることです。

家族が親切過ぎて、何でもしてくれるからといって甘えてしまうといけません。

二十五歳の青年と八十歳の老人の大腿の一部の筋の筋肉量を比較すると四十パーセントも減っているそうですから、一週間も足腰を使わなければ筋肉は益々細り、大変なことになります。

寝たきりの状態では脳の血流も少なくなりますから、頭の働きが悪くなります。

ボケないためには適度に動き、脳の血流をよくして、脳を若く保つことが大切です。

いま、ボケも生活習慣病の一つであると捉え日々の生活を見直していくことが大事です。
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2018年01月15日

病で死ぬな、枯れて死ね・・・

東京慈恵会医科大学整形外科の主任教授を退官され、現在も都内のクリニックで診療に当たっておられる九十五歳の伊丹康人先生は常々、ピンピンコロリでいきましょう。

「病で死ぬな、枯れて死ね」と言われています。

年をとって認知症や寝たきりになり、介護者の世話になって生きる、というのではなく、自分で自分の体に責任を持って、健康な状態で過ごしていくこと。

それが人間としての一つの義務である、と言われます。
その伊丹先生が「八つの心」をもって人に接するといわれます。それを以下に記しておきますので、私たちも参考にして先生のように健康で長寿でありたいと思います。

「八つの心」

一、おはようございますという明るい心
二、はいという素直な心
三、お元気ですかという気遣う心
四、すみませんという反省の心
五、わたしがしますという積極的な心
六、ありがとうという感謝の心
七、おかげさまでという謙虚な心
八、相手の立場を自分におきかえてみる心

以上
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2018年01月14日

名医フーカーの不老長寿法

一、だんだん年をとるという考えを頭の中から駆逐せよ
二、食糧を厳に節せよ
三、常に前途をたのしめ
四、困難に挫折することなく、かえって良き教訓として奮起せよ
五、憤怒するな
六、明日のことを思いわずらうな
七、過去をして過去を葬らしめよ
八、働いて遊び、遊んで働け
九、娯楽を持て
十、金銭目的の競争場裡に立つな
十一、常に善事を行え
十二、思慮は密なるをよしとし、食物は淡きをよしとす
十三、清潔なる食事と清潔なる思想
十四、新鮮なる理想と空気を多く吸え
十五、高尚なる目的と活動
十六、生活を複雑にするな
十七、笑って、若やぐべし
十八、猪突猛進の生活をするな
十九、後日のために貯蓄せよ
二十、自己のためにのみ生存せず、他人のために生きよ

以上、参考にして、心と体の両方が健康で長生きしましょう。
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2018年01月13日

自然な感じで健康を保つ

老人になると、いや老人でなく中年後期でも、健康保持を最大の仕事にしている人は昨今どこにでもいます。

健康ははた迷惑でないという点で素晴らしいものです。

しかしできれば片手間でそれができたらもっと素晴らしいものですね。
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2018年01月12日

あげるときには、「ただ」であげること

「自分が相手に与えたことは忘れずにいて、相手が自分に与えてくれたことは忘れる」というところから、人生の不幸が始まります。

「私は、これだけしてやったのに、相手は何もしてくれない」という思いが不幸の出発点なのです。

この「してやった」という気持ちのなかには、一種の人格的未熟さがあることに気づかなければなりません。あげるときには、「ただ」であげること、見返りを期待しないことが大切です。

特に心の問題はそうです。優しさや気遣いなど、人への愛は与えきりであり、一方通行だと思っていましょう。もし愛やお礼が返ってきたら、「得をした」と思えばいいのです。

世の中には恩知らずの数は尽きません。その恩知らずの中には、ほかならぬ自分自身も入っていることを忘れてはなりません。

「他人に何かをしてあげるときには、与えきりにして、それを忘れる。逆に、してもらったことは長く覚えておき、感謝していく」ということが大切です。
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2018年01月11日

みんな、皆、そんなもの

突然、老年や晩年になるのではありません。長い年月の末に、そこに到達するのです。

だとすれば、そうなる前に、人は種を蒔いておかねばなりません。
死の前に、自分はどのようなところ、どのような風景の中で生きるつもりだったのか、自分で決めておくのが自然でしょう。

が、しかし、思い通り、決めていた通りにはならず、その日をなんとか暮らしているうちに、どんどん歳ばかりとってる自分に気がつきます。

自分の人生は平凡でたいしたことはできなかったと思えたりします。

ところが、真実をじっくり見る時、自分だけでなく、世間にも自分と同じようないびつな人生があることを知って気が楽になり、解放された気分になります。

自分一人が不幸なのだ、と思い込むことがなくて、自分も皆の中の一人だと思えるのです。
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2018年01月10日

老年になるほど冒険ができます

たとえば、四十、五十の人だったら、まだ子供が大学を出ていないとか、大学は出たけど、なんとか結婚させるまでは生きてやらなきゃならないとか、いろいろある人が多いでしょう。

けれど、老年になったら、極端な話、いつ死んでもいいでしょう。

いつ死んでもいいのなら、冒険することができます。

だから冒険は老年のためのものです。

若い時に冒険できるのは選ばれた人でしょうが、老年はほとんどの人が冒険をしていいんです。

老年は素晴らしいんです。
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2018年01月09日

どの年齢も素晴らしい

六十になっても、八十になっても、その歳の人らしい人間のおもしろさが出ていれば、その人はただ古びていっているだけ、とはならずなかなか味のある人間であり続けられます。

人は中年になり老年になっていくものですが、どの年代でもいつも今ある年齢が素晴らしいと思っていられれば生涯をとおして穏かに幸せでいられるものです。

要するに、今を受け入れて満足するということでしょう。
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2018年01月08日

最後の任務・・・

老年や致命的な病を視野に入れなければならなくなった者は、一つの大きな任務があります。

それは内心はどうあろうとも、できるだけ残された時間を明るく過ごす、という使命です。

その理由は簡単です。第一には、周囲の人を不愉快にさせないためだし、第二には生き残る人々に死や病気はそれほど決定的な不幸ではない、ということを身をもって証明するためです。
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2018年01月07日

死に際に幸不幸が逆転する・・・?

希望を持って死を受け入れることができるには、いくつかの条件がいるでしょう。

望んだことをもう充分にやった、ということもその一つ。

愛し愛された、という自覚もそうです。

この世を、ろくでもないところだと思っている人には死ぬのは結構楽しみであるかもしれません。

いつも生きていて苦しい、辛いと感じていた人はこの世に執着しないので生きていて幸せを感じていた人より死ぬときはこの世に未練はなく幸せを感じるかもしれません。

幸せだった人には死はつらく、不幸せだった人には死は幸せなものになるでしょう。

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2018年01月06日

神仏と出会う

人は悲しみの中でほんとうに出会うものです。

人間が神仏と出会うのも、多くの場合そういう時なのです。

それは、悲しみの中でこそ、人は本来の人間の心に立ち帰るからなのでしょう。

だから、私たちは、もしかすると、悲しさ、苦しさ、寂しさの極みまで落ちなければならないのかもしれません。

その時初めて、私たちは傍らに立つ神仏と会うのです。それが成就というものでしょう。
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2018年01月05日

老後を楽しむ人生にするには・・・

老後を人と楽しむ人生にするには、健康に注意すること。特に、心の健康を心がけること。そして、明るい人柄になることです。

心の健康というのは、不足や腹立ちをしないことです。そのためには、人の言うことをいちいち気にしないことです。不足に思ったり、腹を立てたりすると、自分が損をします。

不足や腹立ちは小さく、喜びは大きくしていくことです。多少オーバーに喜ぶのです。

それから、何ごとも苦にしないで、あっけらかんと暮らすことです。

次に、明るい人柄になるためには、どうすればいいかというと、笑顔を忘れず愛想のいい人になることです。そして、人の陰口は言わないで、人に不足や腹立ちをさせないように気をつけることです。

心の健康を心がけること。明るい人柄になること、この二つが、人と楽しむ毎日の生き方ではないでしょうか。
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2018年01月04日

老いてもなお輝いて生きる

老いてもなおかつ、やるべき仕事をたくさん持つこと、自分自身で見つけることが、老いてなお輝いて生きる秘訣ではないでしょうか。

大げさに言うと、「なんとか自分が生きている間に、少しでも今後の日本が栄えていくように、いまの人たちに伝えておかなければならない。

昔の大切なもの、自分の習得したものを残しておかなければならない。

思い上がりかもしれないが、自分が生きていることによって、少しでも日本がいい方向に向きを変えていけるように、お手伝いしなければならない」 という使命感を持つことが、老いてなお輝いて生きることに繋がると思います。

また、やりたいことをたくさん持つこと、あるいは、会いたい人をたくさん持つこと、これも輝いて生きるための条件だと思います。
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2018年01月03日

ボケ7を防ぐ六つの心構え

まず、一番目は「感動する心」。たとえば「ああ、今日も素晴らしい天気だなぁ」と思えるような心です。

二番目は「感謝する心」。朝、目が覚めて「おはようございます。きょうも一日よろしくお願いします」と明るくあいさつができるように、生きている喜びを常に身に感じて感謝する心が大切です。

三番目は「頭の訓練」。幼児教育の必要性についてはよく言われますが、年を取ってからでも、読書などに努めることによって脳が活性化されるのです。

四番目は「働く心」。この「働く」とは、仕事をして賃金をもらう、いわゆる労働のことだけではありません。周囲の人、はたの人を楽にさせることで、周囲から頼りにされる人間になっていくことです。

五番目は「緊張感」。少しは緊張感のある環境に身を置いて、脳を活性化させることも大切です。豊かさに慣れて緊張感が薄くなると、ボケてくるそうです。

そして、最後は「よく笑うこと」。これが一番大切です。
「笑う門には福来る」というように、重い病の方でも、落語などを聞いて笑えば、免疫力が高まるそうです。明るく笑うことは、健康に効果があるだけでなく、認知症の予防にもつながるのです。
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2018年01月02日

「やってもらえる」とは考えないこと

老人といえども、強く生きなければなりません。歯を食い縛っても、自分のことは自分ですることが原則です。

それは別に特に虐待されていることでもなければ、惨めなことでもありません。

それは人間誰にも与えられた共通の運命です。

自分で自分のことをするようにしなさい、というのは、当然すぎるほど当然なことでしょう。
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2018年01月01日

後半生はすきなように、穏やかに

人生の半分を生きて、これから後半生にさしかかると思うと、好きでないことには、もう関わっていたくない、と思います。

一分でも一時間でも、キレイなこと、感動できること、尊敬と驚きをもって見られること、そして何より好きなことに関わっていたいですね。

人を、恐れたり、醜いと感じたり、時には蔑みたくなるような思いで、自分の人生の後半を使いたくはありません。

さわやかな風の中にいるように、いつも素直に、しなやかに、穏かに、時間の経過の中に、深く怨むことなく、生きて行きたいですね。
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2017年12月30日

普通に出来ることに感謝

病気が治りにくくなるということは、死に向かっているということです。
それは悲しい残酷なことかもしれませんが、誰の上にも一様に見舞う公平な運命です。

しかし、その時初めて人間はわかるんです。歩けることは何と素晴らしいことか。自分で食べ、自分で排泄できるというのは、何と偉大なことなのか。

更にまだ頭がしっかりしていて多少哲学的なことも考えられるというのは、十憶円の宝くじを当てたのにも匹敵する僥倖なのかもしれません。
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2017年12月29日

モノに執着せず、適量を見極めること

人間の体は一定の量しか、食べ物を必要としません。

しかも年を取るほど、量はいらなくなります。

人間は長寿になればなるほど、理性的に食事を適切に減らして行くことを覚えなければなりません。

食べ物だけではありません。

人間にはすべて必要とされる「物質」の限度があります。

一日に食べる食物の量、家の広さ、適切な衣服の枚数など、お金持ちであろうと貧乏な人であろうと、ほんとうはそう違いはないのです。

モノに執着せず、適量を見極めることは、穏やかに生きるためにとても大切なことです。
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2017年12月28日

別れに馴れる

別れに馴れることは容易なことではありません。

いつも別れは心が締め付けられます。

今まで歩けた人が歩けなくなる。今まで見えていた目が見えなくなる、今まで聞こえていた耳が聞こえなくなってくる。そして、若い時と違ってそれらの症状は、再び回復するというものではありません。

歳をとるとはそういうことで、誰のせいでも自分だけ特別なことでもありません、

歳をとるとは、そんなものでみんなが経験する自然なことです。
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