2018年03月27日

足るを知る者は富む

「金銭欲や物質欲は、生まれつき具わっている以上、仕方ないさ」、
「そういう欲があるからこそ、やる気も出てくる」という見方もあるでしょう。

しかし、欲望の本質をなす「際限のなさ」は、終局には人を悩まし苦しめるものです。光武帝も「人は足るを知らざるに苦しむ」と喝破しております。

苦しむという点に注目し、このことに深く思いを致すことが肝要でしょう。

壮年期、働き盛りの時期であれば、百歩譲って「致し方ない」と認めるとしても、現役引退の年代になれば、断乎、「足るを知る」べきでしょう。

これは、苦を避け幸いを招く必須の条件だからです。一生のうちの後半生は足るを知る生活をしましょう。

老子の「足るを知る者は富む」という言葉は有名で、よく引用されます。まことに至言で、満足することを知っている者は、たとえ金銭面・物質面で貧しくても、精神面に豊かで富んでいます。

言い換えれば、真に富める者は、富を計る物差しを金銭・物質の外面のものから精神の内面のものに完璧に切り替えて、内面世界の充実・汪溢(おういつ)に満足しているものです。

この切り替えを付け焼刃でなく、身についたものにするよう努めましょう。
posted by 田村 季山 at 02:26| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月26日

感動は心に瑞々しさと潤いを与える・・・

「ラジオやテレビ、インターネットで、どんなよいことを聴いたり見たりしても、聴きっぱなし、見っぱなしでは何にもなりません。高齢者になったら、ボケーッと漫然と聞き流し、見流しではいけません。

自然の姿、昇る朝日、夕焼け空、四季の移ろい、世の中の変わり方、人の話、出来事をよく聞き、よく見、よく読み、感動をもって受け取ること。

これが、高齢者の健康法となるのです」と百年近く元気はつらつと生きてきた加藤シズエさん(日本の女性解放運動家・政治家)が「美しく生きる百年のあゆみ」という講演で、感動は、心に瑞々しさと潤いを与えるという話をされてました。

「経験枠」を開放すると、さまざまな事柄がどんどん飛び込んできます。飛び込んでくるものを「漫然と」ではなく、「判然と」受けとめ、感動の素材とする感受性を育てて参りましょう。
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2018年03月25日

寿命の何倍も憂いを背負わない・・・

年をとって来ると、老人特有の鬱症状を呈する人がいます。

それほどでなくても、心配性、取り越し苦労の傾向をおびる人が少なくありません。

一人で十人分くらいの憂いを背負い込むのはやめましょう。

考えても、どうにもならないこと、埒が明かないことは、考えない。

考えるのは、しばらくお休みとする。

取るに足りないこと、どう転んでも大事でないことは、パッと放念する。

成り行き任せでも済むことは、任せる。

憂いごとの材料を自分の心の中で次々に生み出さない。

自分の心を憂いごとの生産工場にしない。
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2018年03月24日

一日暮らし

「一日暮らし」は「その日暮らし」と似ていますが、少し意味合いが違います。

「その日暮らし」は、蓄えも何もなくて、その日一日をどうにか暮らしていく乏しい生活のことです。

「一日暮らし」ということは、自分にとってきょうの一日はかけがえのない大切な一日である。

どんなにつらいことも、きょう一日と思えば我慢できる。

どんなに楽しいことでも、きょう一日限りと思えば、歓楽にふけることもないでしょう。

きょう一日は、一生涯の中の一日ではなく、「自分の全生涯がきょうの一日である」と考えます。

そういうことから、今日では「一日一生」という言葉も生まれてきたようです。

一日、一日を大切に大切にして生きたいですね。
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2018年03月23日

「過去」と「未来」の棚上げの勧め

将来の不安ばかりを気にしたり、過去の失敗や過ちばかりを引きずったりしていたのでは、決して幸せな老後は得られません。

将来や過去は、いったん横に置いて、今日をいかにして充実させるかを考え、実行する。また、人生の目標を明らかにして、そちらの方向へ向いて歩み出す。

老いというものは避けることができません。ならば、いかに受け入れるか。どのように考えるか。それが問われます。

老いていく自分を認めながら、少しでも世間のお役に立つことができないか、お返しすることができないか、と考えてみることです。

気のついたことがあれば、それを日課の中に組み入れるようにしてみます。

そうすることで、日々の生活が充実していると感じ取れるようになります。
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2018年03月22日

瞬間、瞬間をムダにしないこと

人間が生きているということは、この「瞬間」を生きていることであり、それ以外にはありません。

瞬間である現在に自己のすべてが現われています。

人の一生は一瞬、一瞬の連なりです。だから、自分の人生を大切に思うならば瞬間ごとの現在を大切にする以外にはないのです。

何よりも移りゆく時を虚しく無駄に過ごさないと決心して、無用なことをして無駄に時間を過ごさないで、有益なやりがいのある事をして時間を過ごせれば幸せです。
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2018年03月21日

上機嫌を保つように努めましょう

人間にとって最善とは、できるだけ上機嫌で人生を送ることです。

上機嫌は幸福の秘訣です。

これとは反対に不機嫌は、自分自身にも周りの人々にも害になる、れっきとした罪悪です。

不機嫌は怠惰から来て、気分というものは、成るがままに放置していると不機嫌に傾きます。

ですから、私たちはいつも自分の気分に関心を払い、怠惰をしりぞけ、上機嫌を保つように努力することが肝要です。
posted by 田村 季山 at 03:29| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月20日

沈黙は金・・・饒舌の弊害

沈黙の弊害よりも、饒舌の弊害のほうがが大きいものです。

しゃべるほど味が薄くなり危険が増してきます。

話の効果は時間に反比例します。必要なときに、必要なことを、必要なだけ、そして必要な方法で、というのが原則です。

しゃべる量で相手を圧倒しようとするのは愚かなことです。

だいたい、しゃべり過ぎるとしまりがなくなります。

もっと危険なのは、黙っていればことを起こさないで済むものを、いらないことまで口走るから、「キジも鳴かずば撃たれまい」という結果を招いてしまうのです。

ピリッと効く、小粒の山椒のように、煮詰まったエキスを話したいものです。
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2018年03月19日

あるものを活用する暮らし上手に

自分が持っているモノを大切にする人は、他人が持っているモノのことで心を乱したり、悩ませたりはしません。人生、思いどおりにいかないのが世の習い。

そんな場合には、自分が思いどおりにできること、たとえば、話すこと、黙ること、外出すること、在宅すること、食べること、寝ること等々、日常の卑近なことについて、もしこれができなかったら、と想像すると、できてありがたいと気持ちが明るくなります。

何かが失われたからといって、失われたものを残念がるばかりで、失われずに済んだものを喜ばないというのは、賢い人のすることではありません。現に今、手もとにあるものを最大限に気持ちよく活用する人こそが、暮らし上手というものです。

また、記憶にも快の色のものと不快の色のものがない交ぜになっていますが、不快のほうは、なるべく蔭に押し込んでおくのがいいのです。

さらに、将来のほうにばかり熱心に目を向け、何か良いものが今、目の前にあっても見過ごしてしまう人が多いものです。

これとは反対に賢い人は、過去にはあったが現在は既にないものまで、記憶をたぐり寄せて、彷彿(ほうふつ)とよみがえらせて懐かしみ、楽しみます。
posted by 田村 季山 at 03:36| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月18日

何を残しますか?

あの人、この人の訃報が目につきます。肉体は消え失せても、心に残してくれた余韻は決して消え去ることはありません。

「人は死を約束された動物である」と聖路加病院の日野原重明先生はおっしゃいました。人は一人で生まれ、やがて一人で黄泉の旅にでます。
生の帰結は死です。その前に一切は無力です。学歴も、名誉も、地位も、財産も、形のあるものはすべて壊れます。

でも、その人が残してくれた無形の教訓は、肉体とともに死滅するものではありません。人は死んでも、その人の影響は消えません。

あなたは何を残せますか。
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2018年03月17日

人生の節目ごとに目標を吟味・更新する

「空の巣症候群」も「燃え尽き症候群」も誘因はさまざまですが、根本の原因は、「目的の固着化」にあります。
ある目的・目標を唯一最善と信じ、ひたすら打ち込み、それが達成された時か、または消失した時に、その次の目的・目標が見当たらないことにあります。

ですから、男女を問わず、自分の加齢や家族構成・地位・役割・環境などの変化に応じて、目的・目標を改変していくならば、これらの症候を避けることができるわけです。そういう先見性と柔軟性、視野の広さを持つことが肝要です。

目的・目標の固執は、人生行路の暗礁となりかねません。

では、定年退職したシニアは、どのようなことを目的・目標にするのが賢明なのでしょうか?
それは、「その人が本来、潜在的にもっているものを実現させること」「その人の個性を活かし、能力や特性を十分に発揮させること」つまり、「自己実現」を目指すことがお勧めです。

平たく言えば、「本当の自分になる」「真の自分らしさを生きる」ということです。人生の後半に獲得した自由な時間を自己実現に傾注して、充実した第二の人生を送られますように。
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2018年03月16日

どんな人生にも必ず意味がある

経済的に困窮している人、挫折して再起できずにいる人、難病あるいは不治の病に臥している人、極度の鬱状態で自殺を念慮している人、心身のいずれか、または両方に重い障害を負っている人、身体の不断の痛みに呻吟している人、心の痛みや苦しみや悲しみに懊悩している人、人間関係や家族の中で疎外され孤独感に陥ってる人、その他さまざまな不条理、不運、逆境によって生きがいを喪失している人は、少なくないでしょう。

しかし、どんな人生にも必ず意味があります。

たとえ避けられず逃げられない事態に直面しても、その事態に対する態度のとり方によって、人生を意味に満ち、価値に輝くものとすることができるのです。

肯定的な意味をつければ必ず肯定的な結果につながっていくものです。
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2018年03月15日

生きている間に「生」を愉しむ

春夏秋冬の移り変わりは速いものですが、順序を踏んでいます。しかし、生老病死の変遷は、それ以上に速いものです。そのうえ、さらに順序どおりではありません。

シニアになり、やがて老人となり、そのうちに病に臥し、おしまいに死が来るとは限りません。シニアでいるあいだに、「死」は順番を飛び越えて襲ってくるかもしれません。

人はみな、死があることを知っており、いずれは死はくるものと観念的には知っております。しかし、自分自身の死についての覚悟が切実になっていないうちに、死は不意に、思いがけなくやって来ることもあります。

「死」から目をそらさず、「死」をしっかりと見つめてこそ、「生」を充実させることができるものです。

財産や地位の獲得にあくせくしたり、つまらない趣味・道楽、無駄話、噂話、長化粧、見栄を張るための宴会などなど、どうでもいいこと、取るに足りないことで多忙になり人生の持ち時間を浪費しないようにしたいものです。

自分の時間を自分の英知でしっかり統率し、自分のために時間を有意義に使いたいものです。
posted by 田村 季山 at 03:27| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月14日

変化を恐れない人に幸運はやって来る

やりたいことなんて、どんどん変わるものです。

仕事より趣味、恋愛よりも仕事、仕事よりも幸せな家庭を築くこと。

目標や夢が変わることは、当たり前のことなのです。

人生には、分岐点がたくさんあります。

そのうちひとつの道を選んで進んだら、新しい景色が目の前に広がる。

そしてまた分岐点にぶつかる。その連続です。

むしろ「やりたいこと」が変わったというのは、自分が新たなステージに立ったということです。

変化を恐れない人に、幸運はやってくるということを覚えておきましょう。
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2018年03月13日

取り越し苦労はしない

先のことを心配して待つか、安心して待つか。同じ待つのであれば、安心して気持ちよく待つのがお勧めです。

しかし、心配性の人は、安心していて、裏切られたときのショックが大きいのでしょう。そのため、ショックを和らげるように、前もって心配しているのでしょう。

思いは、それを現実に引き寄せてしまいます。

心配は人生が好転する可能性を減らしてしまいます。心が痛みます。

まだ来ぬ将来のことを、心配して待つということはなんとしても止めなければなりません。
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2018年03月12日

「あの世に持っていけるもの」が理想の希望です

私たちにとって、執着の種はとてもたくさんあります。しかし、それらはいつかは切り捨てなければなりません。切り捨てなくてもよいものは希望で、切り捨てるべきものは欲望です。

最終的にあの世に持っていけるものは自分の心だけ。

ですから、心を美しくするもの、心を磨くようにするものを探し、それを実行することが大事です。

この世を去るときは、ほとんどすべてのものは捨てていかなければなりません。

家も、財産も、貯金通帳も、車も、携帯電話も、親も、子も、趣味も、最終的にはすべて捨て去るのです。

厳しい話ですが、捨て去るものに未練を持つことが欲望ということになります。

極端な話、あの世へ行っても継続できるようなものが希望ということになります。

そのような意味で、自分の希望とは何かを真剣に考えてみることは大切です。
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2018年03月11日

酷なようでもなるべく自分で・・・・

お年寄の身の回りのお世話をするのは悪いことではありませんが、できるだけ自分のことは自分でしていただくようにして、あまり世話を焼き過ぎないということが必要です。

身の回りの自分でできることまで取り上げて世話を焼き過ぎると物忘れがひどくなったり、ボケを発生させる原因になるからです。

生きるための食事にしても、自分で食べることができる間は問題ありませんが、自分の力で食べることができなくなれば、それが寿命と受け入れることも大事なことです。

現在では、栄養チューブを鼻から入れたり、胃に穴をあけたりして、そこから栄養を注入することも可能です。

自分の将来の姿がどのようなものになるかを、元気なうちから考えたり、家族と話し合ったりしてみることも善く死ぬこと、善く生きることを考えるうえで大切なことです。
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2018年03月10日

既に与えられている恵みに感謝する

悩みや苦しみというのは、言ってみれば、自分が足りないものを挙げつらねて、「足りないものをよこせ」と言っているだけのようです。

結婚している人は「どうしてこんな人と結婚してしまったんだろう。もっといい人がいたかもしれないのに」と言い、結婚していない人は、「自分にふさわしい結婚相手が欲しい」と言います。太っている人は「やせたい」と言い、やせている人「太りたい」と言います。

夢と希望とは、ないものを欲しがること。

ないものを欲しがるのではなく、自分が持っているものを喜ぶと、自分がどれほど恵まれているかに気がつきます。

ないものをねだるのではなく、自分に与えられて、すでに恵まれているものに目を向けたら、人間はどれほど恵まれているかわかりません。

どれほど満たされ恵まれているか、ということに気がつくと、来る日も来る日も感謝になります。ありとあらゆるものに感謝していると、不思議なことにますます感謝したくなることが次々と起こってきます。
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2018年03月09日

「自分に起こることは全て正しい」と思って生きる

将来こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、過去に違う選択をすればよかった・・・そんなふうに思いわずらう人は多いようです。

それはまったく無意味なことです。私たちができることはたった一つ。

今、目の前にいる人、今、目の前にあることを大事にすること。目の前にあることを一生懸命することです。

「過去を追うな、終わってしまったことに縛られるな。まだ来てもいない未来にわずらわされるな。今というこの一瞬、今日というこの一日を大切にして生きよ」と、お釈迦さまもおっしゃっています。

私たちはいつも最高、最善の選択をして今ここにいるのです。「自分に起こることは、すべて正しい」と思って生きると人生が楽になります。
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2018年03月08日

「死なないようにすること」は出来ません

世間を見渡してみると、死ぬということはごくありふれたことです。
近所のおじさんも亡くなった、おばさんも亡くなった、祖父も祖母、父や母も亡くなった。そろそろ自分の番かな、そのような感覚は必要だと思います。

すると、死ぬということはどういうことかについて学んでみるのも大事なことだと思います。人間は知ることで安心をします。知らないと不安になります。知ることで対策を考えることができます。知らないと手の打ちようがありません。

多くの人は死を否定し、死は悲惨であると決めつけています。医療者の中には、死は医療の敗北だととらえている人もいます。でも、死は時間の流れの中での自然現象です。

戦争やテロ、殺人や自殺は別にして、病気や老衰で亡くなるのは、自然現象として受け入れることが大事です。
posted by 田村 季山 at 03:13| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする