2018年03月07日

深める・・・

人が行き詰まるのは、いつも同じことを同じやり方でしているからです。

人と同じことをするのは何も考える必要がないぶん、楽ではありますが、必ず行き詰まります。

行き詰まらないためには、広げるのではなく、深めることです。

深めると、自然に広がるようになります。

いい物と深く接し、いい人と深く交わる。

心すべき生き方であると思います。
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2018年03月06日

ありのままの自分としっかり向き合い続ける

人はとかく表面だけ見て人を判断してしまいます。周りの自分への対応が変わると、自分が偉くなったような気がします。それ相応に扱ってくれと言い出したりもします。そうなると驕りがでてくるし、自分の心を磨かなくなります。

現実に今とらわれている世界だけで勝負しようとしてしまうから表面ばかりが気になりますが、人生は見えてる世界だけではありません。

自分の地金(じがね)は自分が一番よく分かっているもの。大事なのは、人から凄いと言われることではありません。人間は金持ちでも貧乏でも、頭が良くてもできが悪くても、誰でもいつかは死にます。死んだら終わり。誰も変わりません。

大事なのは、今の自分の姿を自然にありのままにとらえて、命の続く限り、本当の人生を生きることです。
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2018年03月05日

リタイヤ後は・・・恩は順送り

四十、五十と人生を生きてくると誰でも多少の経験を通して見聞きしたものが蓄積され知恵もついてくるものです。これまでに受けた恩返しが世間に対してできるようになるのもこの頃からかもしれません。

受け取ってばかりで自分一人の知識にしてそのまま世を去っていくのは何とも「もったいない」ことです。

与えれば与えられる。愛すれば愛される。

これまで受けた恩を返すチャンスが来たと感じたときはそれを逃さず、行動を起こした方がいいでしょう。

恩は順送りといいます。直接、恩を受けた人にはその時、また本人には、なかなか返せるものではありません。そうして受けた恩は忘れずに、いつか世間さまに別の形で返していくことが大切です。

そういう思いを持ち続け自分の得た知恵なり技術なりを後からくる者たちへ伝えていくことは世の中の役にも立ち、自身の生きがいにもなってとても良いことです。

時間をただ自分だけの楽しみ、自分の喜びだけのために使わず多少なりとも世の中のお役に立てるように使って悔いなく過ごして行きたいものです。
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2018年03月04日

心のありようは色々なものに作用される

人間のものの見方や心のありようは、いろいろなものでどうにでも左右されてしまいます。

だから自分から見て、どんなに正しいと思えることでも、もしかしたら色々なことにとらわれて、そう見えているのかもしれません。

自分がどんな立場でそれを見ているのかということをいつもいつも確かめないといけません。

物事は捉え方次第でどうにでも解釈できます。
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2018年03月03日

すべてのものに感謝を・・・

たとえば、自分に与えられた生活が自分の希望とかけ離れた三十点のものだとしたとき、残りの七十点を求めて「もっと欲しい、もっとこうなりたい、どうして自分は不幸なんだ」と苦しみの中に自分自身を追いやってしまうと、卑屈になってしまいます。

しかし、これが今の自分に授けられた最高のものなのだと思い、「三十点ももらってありがたい。0点よりいい。何にもないよりありがたい」と感謝の心を持つことにより、人生は大きく変わってくると思います。

自分を取り巻くありとあらゆるものが相互関係によって絆を結び合っています。

そこで大事なのは、空気に対する感謝の気持ち、水に対する感謝の気持ち、お天道さまに対する感謝の気持ち、あるいは自分のまわりにいる家族、会社の同僚、友人知人、すべてのものに対する感謝の気持ちを持つこと。

足ることを知って、すべてのものに対して感謝の気持ちを持ち、心を込めて日々を生きていければ穏かに平安に暮らして行けます。
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2018年03月02日

子供も財産も私さえも自分のものではない

子供が気に入らない相手と結婚するといい出し、その娘は結婚の条件として、ばば抜きの生活を主張したとしても、私が生んで育ててやったのに、こんなひどい目に遭わせてと怒り狂うことはありません。

子供は自分のものという気持ちさえ捨てれば、子供の自由を認め、こんな相手しか見つけられない息子なのだと、あきらめることができるでしょう。

老後を見てくれなくても、一時の預かりものだと思えば頼る気持ちも捨てられるでしょう。

何ひとつ自分のものでない人間が頼りにできるものは、子供や財産を一時的にせよ、貸して恵んでくれた「大いなるもの」だけなのではないでしょうか。

「大いなるもの」とは神や仏、宇宙の生命です。これらのものは、人の心と同じで、私たちの目には見えないのです。
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2018年03月01日

どんな目に遭ったとしても

どんなひどい目にあっても、時間がたてば必ず、色々なことがあったなあ、と思える時がきます。

後になってからその時の意味が分かることもあります。

無駄だと思ったことが無駄ではない。

その時は気づかなくても、結果的にはよかったって時がきます。

だから、あせることも、自分はダメだということもありません。

目の前のことをただ一生懸命やるだけです。

人生はその時だけではありません。

すべては善に向かっています。
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2018年02月28日

今日(毎瞬)を自分の最高に生きる

同じ一日でも、一月から十二月まで同じ一日はありません。

同じ一日でも、同じ気候の一日はありません。

同じ一日でも、同じ体調の一日はありません。

だから、同じことをするにしても、一日一日の工夫が必要です。

熱のある日は、熱のあるように、体調の良い日には、体調の良いように、一日一日を、最高に生きることです。
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2018年02月27日

他の人は自分の合わせ鏡です

人運は、人のお役に立つことから生まれるものです。

積極的に参加して、待ち人間になってはなりません。

人の長所の見える人は、必ず成長することができます。

嫌な人を生かすことは、自分の器を大きくします。

人に尽くすことを知らない人は、子孫を駄目にします。

損得よりも「縁」を大切にする人が本物です。

他の人は自分の合わせ鏡なのです。
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2018年02月26日

石川洋の言葉  ・・・「自戒」

「自戒」・・・・石川洋

つらいことが多いのは感謝をしないからだ
苦しいことが多いのは自分に甘えがあるからだ
悲しいことが多いのは自分のことしかわからないからだ
心配する事が多いのは今をけんめいに生きていないからだ
行きづまりが多いのは自分が裸になれないからだ

以上
人生の試練や苦しみを味わうことは不幸や不運なのではありません。

心豊かな人生、おだやかな老後のための貯蓄のようなものです。
最後の人生勉強は、「ありがとう」の一語に尽きます。
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2018年02月25日

陽気は美徳、陰気は罪悪

「陽気は美徳、陰気は罪悪」というのが私が作った格言ですと、宇野千代さんが言われてました。

美徳も罪悪も、そのままの姿ではとどまりません。

すぐそこで、となりの人に感染(うつ)るものなのです。

どんなに大きな美徳もどんなに小さな美徳も、すぐそばの人に感染る大きな力を持っています。

一方、陰気はどんなに小さな陰気であっても、すべての人に感染るものですから、夢にも、陰気の気持ちを持ってはなりません。

陽気な人が好かれるのは言うまでもありません。
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2018年02月24日

一筋に歩もう

どんな仕事でもいい、世のため人のために役立つことを自分の生きてきた証拠として遺すこと、これが生きるということかもしれません。

有名になるとか、財産を残すとかいうのじゃなく、人々の心の中に何か遺すということが生きるということでしょう。それが出来れば死んでいても生きているのと同じでしょう。

死は誰にでも訪れます。それまでは、たとえ小さな花であってもいい。人の目に触れない花であってもいい。

「よく咲いた」と神さまから誉められるように、この世に生きている限り一生懸命努力して花を咲かせたいものです。
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2018年02月23日

自分の身体に最高の敬意と感謝を持つ

私たちの体はたくさんの細胞からなっていますが、それは私たちの「従属物」ではありません。

自分の体で自分の意のままに動かせるのは「運動神経」だけで、脳や心臓、内臓を動かしてくれる「自律神経」は自分ではコントロールできません。

あなたは自由に脈拍数をかえられますか?もちろんできませんよね。
ところが普通に生活していると、自分の体を「従属物」だと勘違いして、ついつい無理じいをしたり、いい加減に扱ってしまいがちです。そうすると、必ず体はそれに反応して、病気を起こしてしまいます。

私たちの体は私たち自身の意志が動かしているのではなく、私たちのために動いてくれているんです。

それをちゃんと意識して、自分の体に「敬意」と「感謝」を持ち、サラブレットを扱うようにケアしてあげるべきです。

長生きで幸せな人生を送っている人は、それがきちんとできているのです。

大切なのは「体の声」に従って、メンテナンスを怠らないということです。「お腹がすいた」と体が訴えたら、食事をとってエネルギーを入れてあげる。「疲れたよ〜」と悲鳴をあげたら、仕事を断って休んであげることです。
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2018年02月22日

幾つになっても

人はいくつになっても、心持ちは変わりません。肉体は年を取っても、心が年を取ることはありません。

もし自分をおばあちゃん、おじいちゃんだと言う人がいれば、その人は、心でそう思っているだけのことです。

どうぞ思いを今すぐ変えてください。「私は若い」と。
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2018年02月21日

定年退職ニートも悪くない

仕事から離れて定年を迎えるようになると、誰もが何か他に生きがいをと求めるようになりますが、生きがいだか何だかしらないが、そんなものをわざわざ探す必要はありません。

仕事から離れれば離れたで、そのまま単純に生きていればいいではありませんか。

好きでもない絵画を無理して習う必要はないし、やることがなければ家でプラプラしていればいいでしょう。

定年退職ニートになるのもいいものです。

自分の気持ちに正直に、好きなように生きる。それが定年退職者に与えられた特権ではありませんか。

無理に生きがいをつくらなくても、ありのまま、愉しく生きればいいのです。
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2018年02月20日

「生きているからには」坂村真民の詩

生きているからには
しょぼしょぼとした
目なんかせず
生き生きした
魚の目のように
いつも光っていようではないか
生きているからには
くよくよした
泣きごとなんか言わず
春の鳥のように
空に向かって
明るい歌をうたおうではないか
生きているからには
できるだけ世のため人のため
体を使い
あの世へ行った時
後悔しないように
発奮努力しようではないか

以上、このように生きて行きたいと思いました。
posted by 田村 季山 at 02:56| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月19日

体験だけでは・・・・・

体験を積めばいい、というわけでもありません。

むしろ、体験だけで生きてきた人の中には、したたかになっている人のほうが多いようです。

「オレはこんな修羅場を経験してきたんだから怖いものはないんだ」というような人間になってはおしまいです。

どんな厳しい体験をしてきても、純粋で傷つきやすく瞳の曇らない人間になることをめざしたいですね。
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2018年02月18日

自分の置かれた環境に意義を見出す

起こってくる一つひとつの出来事には、良い面も悪い面もあって、たとえ今は美しいとは思えなくても、そこに何か意味のあることを信じて生きることが大事です。

聖書の中に「運命は苛酷だが、摂理は温かい」という言葉があります。

現実がどれほど苦しくても、神は大きな摂理の中で一人ひとりを大事にされていること、自分の考えが絶対ではないということを信じ続けていく。

そういうものが信仰ということです。

苦悩してこそ人は自らの内面を探究することになるし、優しくて人に安心感を与える人になれます。大切なのは、自分が置かれた環境にどれだけ大きな意義を見い出すかということなのかもしれません。
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2018年02月17日

自分の都合を捨ててみる・・・

私たちは、おおむね自分の都合で生きています。人のためになりきるということはなかなかできません。ですから、人のために何かをするということは、いかにして自分の都合を捨てるかということになってくるのでしょう。

私たちが時としてものごとに行きづまるのは、自分の都合だけで動いているからではないでしょうか。そんなとき、自分の都合を少しでも引っ込めていくと、ものごとは動き出していきます。

自分の都合で生きていれば、それはどうしても人に伝わります。したがって、自分の都合だけで動いている間は、人はまごごろを通わせてくれることはありません。

道は多くの人との縁によって開けていきます。だから、自分の都合を捨てることさえできれば、道は必ず開けていくものなのです。
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2018年02月16日

精神世界に誘う「死」

死ほど平等なものはありません。この世の中のことは、すべて偽りに満ちているのに、死は貧富、貴賎を問わず訪れ、決してごまかすことはできません。

「死ぬことのみぞ真なりける」と歌った方もおられます。

鉄舟会師家の大森曹玄老師は、「人は死について考えるようになると、精神が純化されてくる」と言っておられました。つまり、死を思うと、死の絶対性、ごまかしのなさを痛感します。

そして、その苦しみから逃れるために、精神の世界に関心を持つようになるというのです。
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