2017年02月06日

幾つになっても努力をしましょう

「七十より八十、八十より九十、九十より百、百より死んでから」と山本玄峰老師はおっしゃっております。

人間の運は努力すればするだけ良くなります。ですから七十歳の人の業より八十歳の人の業のほうが良くなるのです。さらに、死んでから、その人が評価される時に、その業により来世も決まるわけですから、死んでからこそ、その人の真の値打ちがわかるというものなのです。

多くの人は定年になると時間をもてあまします。さらに体もしだいに病気がちになると、晩年は死に近づく日々のような気がします。「残り時間」が少ないのだから、良い行いをして善行を積んでも意味がないと思うかもしれません。

しかし、そうではありません。晩年はまだまだ向上を目指すべき時間であり、来世への準備の時期ととらえるべきなのです。年とともに肉体は衰えても、心は衰えません。ましてや業の貯金を減らさないだけでなく、増やすことさえできるのです。

ですから、日々、修行を怠ってはなりません。修行は誰のためでもなく、自分のためです。自分の善行を積むための行為です。そして心を磨き、あくまでも清らかにする、これこそ晩年の目標なのです。

あらゆる行為、努力が自分を向上させるものです。無意味なことは何一つありません。

今日より明日、明日より明後日、今年より来年、来年より再来年。

幾つになっても努力を・・・・。
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2017年02月05日

心の平安を保つ秘訣

優れた人間は、ふだんは何も考えていなくても、事が起こると必要な考えが浮かんでそれを処理し、それが終われば、いつまでも過去の行為などにとらわれずに忘れることができます。

将棋の大山康晴永世名人が、「強い棋士は負けた将棋のことはすぐに忘れて、その失敗で悩まない」と言っていました。また野球の選手などでも、負けた試合のことはすぐに忘れる能力を持っている人が活躍するともいわれます。つまり過去のことにとらわれると本当の心が働かないのです。

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2017年02月04日

心配と心痛

静岡県の龍沢寺の山本玄峰老師は口癖のように「心配は心配りだからいくらしてもよい。しかし心を苦しめるような心配はすべきではない」と言われておりました。

「考えても悩むな」ということでしょう。大切な心を傷つけてよいことは何一つありません。もし心を傷つけることなく考えることができるなら、その考えは妄想ではなく、本来の心の業(わざ)です。

玄峰老師も九十六歳まで生きられましたが、長寿を全うされた多くの方々が、その秘訣として「くよくよしないこと」と言っています。つまり心を傷つけなければ、体も脳も健康でいられ、長生きできるのです。

よく哲学の本や人生論の本に「悩みなさい。悩みを突き抜けてこそ立派な人間になれる」などと書いてあります。しかし本当はこれほど間違った教えはないかもしれません。

心を傷つけるような悩み方をして良いことはありません。悩んで立派にはなりません。むしろ悩まない生き方こそ立派な人間を作るのです。

人生について考える、自分の生き方について考える、これは少しも悪いことではありません。しかし、自分の生き方を恥ずべきものだとして自己批判したり、心を傷つけるようなことは決してすべきではありません。

常に明るい方を見て生きるようにしましょう。

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2017年02月03日

荒れた心を起こさないこと

今すでにある小さな恵みに対して感謝すれば次なる一層大いなる恵福がやって来ることになっています。

今、小さくとも既に現在与えられている恵みに対して、不平不満足で怨みの声を発し闘争して奪い合うような凄まじい荒れた心では、荒れた結果しかあらわれて来ません。

この世は、感謝の心を起こせば感謝すべき事物が集まって来、荒れた心を起こせば荒れた事物が集まってくるようになっております。

この法則を知らないために、幸福を求めながらかえって我武者羅に荒れた心を起こし、そしていろいろの荒れた災害を惹き起こしているのです。

荒れた心を起こさないように、いつも身の回りにある小さな恵みに感謝しましょう。
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2017年02月02日

心のあり方が大切

脳梗塞の回復には心のあり方がとても重要です。この病気にはリハビリがもっとも重要です。しかし、リハビリも治ると信じてするのと、不安や心配でいっぱいになりながらリハビリをするのとは大きく違います。

また人の心は奥のほうでつながっています。家族の思いは向こうに伝わるし、向こうの思いは家族に伝わります。だから決してだめだろうなどと悲観的な思いをもってはいけません。

こちらがちょっとでも弱気になると、向こうの心にすぐに伝わり、向こうを弱気にします。それにはもっと大きなものに抱かれその力によって治されていくという気持ちが大事です。
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2017年02月01日

念を継がない事・・・が安心を保つ

これは禅の言葉です。念というのはいろいろな思いということです。頭に浮かんできたあらゆる思い、考え、憎しみ、悲しみ、恐れなどを悪い方に、暗い方に発展させないということです。

禅では他人への憎しみの記憶、自分を批判するようなことを思い出すということ自体が病だ、心の病気だとします。その治療法は、念を継がないことだとするのです。

ですから禅では「念起こる、これ病なり、継がざる、これ薬なり」と言って、ふっと思い出すのも心の病なのだ、本当は思い出さないのがよい、しかし、思い出してしまったら、それを発展させないことが心の病を癒す方法なのだとしています。
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2017年01月31日

健康器具、薬などやたら他人にすすめない

何とか健康器とか、漢方薬とか、サプリメントとかを、折があれば試してみたいほうです。

医療には思わぬ抜け道があるもので、こんなものが、と思うような療法が、慢性病によく効くこともあります。

しかし親切のあまりとはいえ、これらのものを他人に強くすすめる、というのはあまりいいことではありません。相手が善意だけに、断る理由もなく、けっこう値の張る機械など買わされ、すぐに使わなくなって置き場にも困っているというケースをよく見かけます。

話をするのはいいでしょうが、決してしつこくむりじいしてはいけません。

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2017年01月30日

子供と親しく礼儀正しくつき合う

定年後、楽しい人生を送るためには親子関係はとても重要です。大人になった子供といかに親しくかつ礼儀正しくつきあうことができるか。

親子の関係というのは子供の成長にともなってその時々の段階で変わってきますが、その距離感をきちんとナビゲートすることが大事です。

離れて暮らしていてもたまには一緒に食事をしたり、時々は交流することは、親子のマナーだと思います。

親も子も、愛情があればそれでいいんじゃないかといわれる方がおられるかもしれませんが、カタチにあらわせなかったら、お互いの気持ちは伝わりません。

最近では、親子の交流が本当に希薄になってしまいました。年に一回、お盆かお正月に顔を見せれば上出来というような感じです。もう少しこまめに親に対する愛情表現を子供の側がすべきだと思います。できるだけそういう場をセットして吸引する仕掛けを作った方がいいと思います。

ところが、いくら親がそうしたことを望んだところで、これまで子供に対してたいした愛情もそそいでなかったとしたら、結局その原因は自分たちにあるのかもしれません。
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2017年01月29日

外の人たちと積極的に交わる

定年になって組織から離れたとしても、お声がかかるような手に職を持っていることと、健康でいることが最大の老後対策だと思われます。

でも、今さらスキル(技能・熟練)を身につけるなんて無理だと言われる方もおられるのではないでしょうか。特に会社人間だった人はそうなりがちかもしれません。しかし意識していろいろなサークルや交流の場に顔を出すことによって、人生後半の楽しみが広がっていくと思います。

日本人は共同体から孤立しすぎたのではないでしょうか。家族からも、親族からも、地域からも。男性の場合は唯一の拠り所が会社だったわけです。

でも、定年後は、メシ、風呂、寝るだけじゃなくて、もう少し心の壁を低くして、今日の核家族の中でもコミュニケーションができる、あるいは外の人達とも親しく交わることがとても重要になってきています。

まあ、今はネット社会ですから昔ほど本当に出て行かなくてもなんとかなるので、そんなにあわてることもありません・・・。
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2017年01月28日

いくつになっても

年齢に臆して引き下がるような生き方をしたくありません。私たちのなかに隠された無限の才能は、毎日、引き出されるチャンスを待っています。そのチャンスに気づかず行き違ってばかりいる人生で終わりたくはありません。

チャンスのなかには、喜びをもたらすものばかりではなく、試練と呼ぶほうがふさわしいものもあるでしょう。それでもなお、果敢に挑戦できるかどうか。

未知なる事へのチャレンジには、高みからダイビングするような勇気と決断がいります。

自分の体力や気力を思うと、若い時より、その高さは余計に高く感じられ、足がすくみそうになるかもしれません。

そうなると、自分を信じることだけが頼りです。たとえ老いていても、病んでいても、あるいは他人にそしられようとも、「私」が善いと思う方向に一歩を踏み出す「私」に、エールを送る強さが必要です。おそらくそれは頑迷さではなく、むしろ、生きるしなやかさだと思います。

自分を信じて挑んだ結果が失敗に終わることもあるでしょう。それでも、チャンスに賭けた勇気ある行動には、大きな意味があります。決して無駄でもなければ、後退でもありません。精一杯に生きた足跡は、意義深い「過去」となります。

「過去」は過ぎてなくなるわけではなく、「過去」としてあり続けるものだということを忘れないで下さい。

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2017年01月27日

どんなことも自分を益する

どんな悲しみも肉体的な苦痛も、それが何ごともなく解消されると、もう痛みは実感できません。体験した沢山の悲しみや苦しみは、いまになってみると、みな明るい悲しみ、明るい苦しみに変わっています。もう追憶でしかないのです。

そうして、むしろそんな悲しみを過ごしたから今がある、とか、あの苦しみのおかげでこんなに得るものがあった、とさえ言えるようになっているのです。

「そのとき」にはわからないけれど、「後」になると、なるほどあれが私をつくったんだ、と思えるわけです。それが年齢を重ねるよさでしょうか。

人生には無駄というものはないもので、しかし、後にならないと、その意味がわからないということがたくさんあります。つらいことでも苦しいことでも、「体験」したことは、まちがいなくその人の強みになります。
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2017年01月26日

自分の健康は自分で守る

いのちの「器」である「からだ」を守ること、つまり健やかに生きることは私たちの義務です。

動脈硬化などは二十歳ごろからはじまることがわかっています。誰が病気をつくっているのかと言えば、自分なのです。自分でつくる病気です。

食事、嗜好品、運動、仕事、睡眠、そうした日常生活のありかたを見直し改めれば、一生、発症せずにすむかもしれないのです。

かからなくてもすむ病気にまで医療費を使うのは、おおいなるロスです。

自分の健康は自分で守ること。医者まかせ、他人まかせにしないこと。これが基本です。

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2017年01月25日

明るい信仰を持ちましょう

疲れたり、病気になったりするのは、暗い心を持っている場合になり易いものです。

明るい心、喜ぶ心、感謝の心が、どんなにか、人の運命を好転させる役割を持っているかわかりません。

「この世の中はどんどん善くなっている」と信じていると、信じた通りによくなり、幸福になって来るものです。

実際に五百年前より百年前の方が良くなっているし、百年前より、今の方が良くなっています。

信仰というものは、ニガ虫をかみつぶしたような顔をして、つらい辛抱をすることではありません。今まで信心してもおかげがなかったというのは、その信仰が暗い信仰であるからです。

「きっと善いことが来る、善いことが来る」と、明るい楽しい心で信じて人々のために働いているのが本当の信心です。

こういう明るい信心を持っていますときっと善いことがやってくるのです。
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2017年01月24日

感謝に勝る能力なし

人は、感謝するから幸せになれます。幸せだから感謝するのではありません。

いつも不平不満ばかり持っているような人は、幸せになることはありません。

幸せになるためには、不平不満を言わず、現状に感謝の念を深くすることから始める以外にありません。具体的には、ないものねだりをせず、あるもの活かしをすることです。

できない理由を考えるよりも、いま自分にできることを一つでも多く考えてみること。そうしているうちに、小さなことにも感謝できる豊かな感受性が身につくようになります。

小さなことに感謝できる人は、自分の苦しみや悩みを小さく受け止めることができるようになります。その分、幸せになれるわけです。

生かされている自分に感謝できる。どんな小さなことにも感謝できる。幸せな人生を送っている人に共通した能力です。
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2017年01月23日

落ち込んだ時の対処法

落ち込んだ時の対処方

1、周囲のせいにしない。もちろん愚痴もいけません。身のまわりに起きていることは すべて必然。感謝して受けとめるというのが正しい姿勢だと思います。

2、苦しみはできるだけ自分一人で背負い込み、周囲の人まで巻き込まない。  喜びはともかく、苦しみは人に打ち明ければ、苦しむ人を増やすだけです。

3、苦難はいつまでも続かないということです。苦難は自分を鍛える貴重な試練。  「飛躍するための力を蓄えるチャンス」と受け止めることです。人が真剣に考えるのは、苦難に直面したときです。

以上、三つのことを自分自身に言い聞かせ、いま自分にできることから一つひとつ始めることです。「工夫次第」「努力次第」「自分次第」を受け入れたときから、不思議と人生は好転します。 

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2017年01月22日

「病感」や「老感」を持たないこと

「病感」を持たないこと。たとえば、ちょっと何かあると、あぁ自分は病気じゃなかろうかとか、ガンになったからもうダメだ、と気弱になること。・・・すぐ病気に結びつけ、悪い方に考える。

また、自分はもう六十過ぎて定年を迎えたからやめておこう、七十になったからやめとこう、というふうに、自分は何歳だからと消極的になることを「老感」と私は言っております。

こうした「病感」「老感」を持たないで、心を常に青年のごとく、若く保って頑張ること。こういうことが人間を動かしていくんです。

心身を健全に保つ上でとても効果のあることなのでみなさんにもお勧めします。
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2017年01月20日

ストレスを溜め込まない

ストレスを溜めない方法は、いやなことやつまらないことを持ち帰らない工夫をすることです。

忘れることはできなくても、いつまでもズルズル引きずって歩かない知恵です。

具体的には、「なんとつまらないことをしているのか」ということを自分で自分自身に言い聞かせるのです。

そういうことを繰り返しているうちに、引きずらないようになります
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2017年01月19日

年代ごとの心がけ

十 代  親の言うことを聞こう。

二十代  まず「やってみる」。
     よい配偶者を得る。

三十代  子育ての時代。
     親子で希望の星を求めよう。

四十代  最も花咲く時期。勝負せよ。

五十代  人生最高の時。

六十代  飛躍の時。自分の学問・実績を広げよう。

七十代  七十くらいで屈してはならない。自分を鍛えよう。

八十代  半分の四十代のつもりで頑張ると気力が出て来る。

九十代  いまからでも遅くはない。
      十五歳の意欲でいよう。

百歳   Go ahead!(ゴーアヘッド)前進、また前進。

     以上、これは確か百四歳まで生きた福岡教育大学名誉教授・しいのみ学園園長の昇地三郎先生の著書にあったものです。

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2017年01月18日

嬉しいことはたくさんある

前にあった悲しいことを考えるな。それはもう過ぎ去ってなくなったものです。自分を害した人を考えるな。それも、すでに済んだのです。

今、自分は幸福だと考えなさい。どんなに悲しいことがあっても、それは一つではありませんか。もうひとつ悲しいことがあるというのですか。それをあわせても二つではありませんか。しかも、それは、今ではないでしょう。それは昨日のことか、一時間前のことか、十分前のことか、ともかく、もう済んだことでしょう。

嬉しいことは一つや二つではないではありませんか。家があるし、服もあるし、お風呂にも入れるし、布団もあるし、ご飯も食べられるし・・・まだまだうれしいことはたくさんあるでしょう。

そんなに嬉しいことが、たくさんあるのに、一つや二つの悲しいことばかりを考える必要はありません。悲しいこと、暗いこと、腹の立つことは心の中から捨てましょう。

そして、良い事ばかり、うれしいことばかりを、心の花園で育てましょう。楽しい思い出だけを残しておきましょう。つねに、自分をうれしい者だ、幸福な者だと考えなさい。自分をかわいそうな者だと思ってはなりません。

人間は思った通りになるのですから、自分を幸福な者だと考えていたら幸福になります。
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2017年01月17日

習得した知恵を後から来る人に伝える

他人のために役に立てたということは、つまり自分という存在が生かされたということであり、生きている実感がこれほど強く感じられる瞬間はありません。

人生の後半は、自分に与えられた知恵やセンスや体力を、今度は社会にお返ししていく段階です。その自分を生かす場は、自分で探し求めるのです。

人生のぎりぎりまで考え、感じ、働ける人間でありたいものです。そのための努力を惜しまず、ときに耐えて、授かった知恵を若い人たちに与えたいものです。

それが生きがいになり、「私」という存在に意味を与えてくれるものです。

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