2020年01月07日

老いに向かう者のたしなみ


「浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」
江戸時代中期の俳人、瓢水(ひょうすい)の句です。

時雨(しぐれ)のなか、海女が蓑を着けて海岸まで歩いていく。どうせ海に入るのだから、蓑など着けなくてもいいのにと思うけれども、さすがに身だしなみだけは忘れない、その心に瓢水は動かされたのでしょう。

死に向かっていく自分も、あのように美しくありたいと瓢水も願っていたのでしょう。命はやがて消えるときが来ますが、それまでは美しく生きる努力をしたいものです。
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2020年01月06日

謙虚に生きて品性を高めましょう

物質的に豊かになったからこそ、恵まれないところを振り返って謙虚に生きる。

「ありがたい」「うれしい」「おいしくいただける」という謙虚な気持ちを持ち続けることが大切です。

品性は、食べ物を贅沢にし、高級なものを身につけたからといって、備わるものではありません。また、高い学歴や社会的地位、肩書によって身につくものでもありません。

謙虚な生き方が、言葉やしぐさや人相としてそのまま表れ、その人の品性を高めます。
私たちは衣食の豊富さに見合った品性の向上に努めなければなりません。
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2020年01月05日

尊敬される高齢者を目指そう


「老」の字は、中国では「尊敬する」という意味で使われています。日本では、ただ「年をとった」というふうに捉えられています。だから、イメージがあまりよくありません。

中国流に、老人、イコール尊敬できる人、と思われたいものです。

一人ひとりがそういう「老人」になることを目指して、いくつになっても衰えないクリエイティブな能力を発揮できるように努めましょう。それが、「老人を尊敬する社会」を醸成することにつながります。

八十、九十になってもなお、冒険心を持っていろんなことにチャレンジして、社会の「老人観」を変えていきましょう。

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2020年01月04日

「加齢とともに老ける」という思い込みを捨てる

意識の持ち方で老化のプロセスは大きく変わります。比較的高度な生物はすべて老いますが、人間だけは自分の身に起きることを意識でき、それを利用して老化のプロセスそのものを変えられます。

老いてゆくことに絶望すれば早く老け込みますが、ゆとりをもって老いを受け入れれば、精神的にも肉体的にも、数々の惨めな兆候を遠ざけることができます。

「人の年は自分が何歳と思っているかで決まる」ということわざには深い意味があったのです。

人間のライフサイクルは不変ではありません。私たちの意識をとおして、体内に生起するすべての反応に影響をおよぼせます。

老化に対する恐怖が、老化のプロセスそのものを加速させます。この牢獄から逃げ出すには、恐怖にいろどられた思い込みを打ち崩さねばなりません。

加齢にともなって体は衰弱するという思い込みを捨て、自分の体は刻一刻と新しく生まれ変わるという信念をはぐくみましょう。
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2020年01月03日

老いた親、成熟した子供・・・


子どもはせめて月に一度、それが無理なら春夏秋冬それぞれの季節に一度ずつ、それさえ無理なら年に一度は、義務としてでも親を訪ねること。その時、親もできるだけ家をきれいに片付け、こざっぱりした衣服を着て、自分の体力と収入の範囲で、心のこもった食事を用意するといいでしょう。そして、楽しい話をしましょう。間違っても、愚痴をこぼしたり文句を言ったりするチャンスだと思ってはいけません。

親子にも、やはり慎みと、いたわりと、折り目正しさがいると思います。だからといって、まともな親子ならよそよそしい関係にはなりません。お互いに「忙しい中を訪ねてくるのは、大変だったろう」「年老いても明るい顔をして頑張ってくれているんだ」という感謝と尊敬に変わるのが、成熟した子供と親の関係ですから。

親子だからと気を許して、親はほうっておいてもいい、というものでもありません。子供にはどんな弱みを見せてもいい、というものでもないのではと思います。

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2020年01月02日

「分相応」身の丈に合った生活を・・・すると安穏に暮らせます


若い時は、見栄を張りたいこともあるでしょう。しかし長い間生きてくると、いくら隠しても所詮、その人がどんな生活をしているのか、大体のところはバレるものですから、見栄を張っても仕方ない、と気づきます。晩年が近づけば、何もかも望み通りにできる人など、一人もいないことが体験的にわかってきます。

「分相応」を知るということは、長く生きてきた者の知恵の一つでしょう。

お金はあっても、なくても、人を縛るものです。「小金のある小市民がいちばん幸せだ」と誰かが言っていましたが、名言だと思います。

そこそこの生活ができて、今日はお寿司が食べたいとか、ちょっと温泉旅行でもしたいとか、それが叶うくらいの程度が最高でしょう。

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2020年01月01日

老年の仕事は孤独に耐え、人生の意味を考えること・・・・

結局のところ、人は一人で生まれてきて、一人で死にます。家族がいても、生まれてくる時も死ぬ時も同じ一人旅です。

人生の過程の一つとして、「老年は孤独と徹底して付き合って死ぬことになっている」と思っていたほうがいいようです。

ひと口で言えば、老年の仕事は孤独に耐えること。そして、孤独だけがもたらす時間の中で自分を発見すること。

自分はどういう人間で、どういうふうに生きて、それにどういう意味があったのか。それを発見して死ぬのが、人生の目的の一つである気もします。

ほとんどの人は、「ささやかな人生」を生きます。その凡庸さの偉大な意味を見つけられるかどうか。

それが人生を成功させられるかどうかの分かれ目なのでしょう。

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2019年12月31日

病気(病人)になっても明るく振る舞う

病人は、老人と同じように「労わってもらって当たり前」という精神構造に陥りやすいので、自己中心になりがちです。体が辛い時はやはり不機嫌にもなるし、「なんで自分の辛さがわからないんだ」と腹も立つでしょう。それは仕方ないことだと思います。

しかし、当然だからといって、そのまま、そのような顔をしていていいということはありません。
長く生きてきた者としての強みがあれば、そこで少しばかり、周囲の人達が不愉快にならないように、内心はどうあろうと、明るく振る舞うという配慮をしなければなりません。

たとえガンなどの死病になっても、できる限り明るく振舞いたいものです。たとえ心は不安でいっぱいであろうと、うなだれずに背筋を伸ばして歩き、見知らぬ人に会えば微笑する。そういう風にできればいいですね。

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2019年12月30日

受けるより与える側に立つと必ず幸せになります


「受けるより与えるほうが幸いである」と聖書にあります。これは信仰の問題ではなく、心理学的実感としても正しいでしょう。

ただ受けているだけの人は、もっと多く、もっといいものをもらいたいと際限がなくて、夫が(妻が)「してくれない」、嫁が「してくれない」と不満が募ります。しかし、与える側に立つと、ほんの少しのものでも些細なことでも楽しくなり、相手が喜んでくれれば、さらに満たされます。与えるほうが、ずっと満足感があるわけです。

大人になれば与える側にまわらなければなりません。

人は受けもし、与えもしますが、年齢を重ねるにつれて与えることが増えて、壮年になると、ほとんど与える立場になります。そしてやがて、年寄りになってまた受けることが多くなってきます。

しかし、その時、人によって受け方の技術に差が出てきます。
ただ黙って受けるだけなら、子供と同じです。もし、「ほんとうに、ありがとう」と感謝して受けたなら、与えた側は嬉しいでしょう。お茶を一杯いれてもらって、何も言わずに当然のように飲むのと、「あなたのおかげで、今日はおいしいお茶が飲めました」と言うのとでは、相手の気持ちが全然違うでしょう。

与える側でいれば、死ぬまで壮年でいられます。おむつをあてた寝たきりの老人になっても、介護してくれる人に「ありがとう」と言えたら、喜びを与えられるのです。

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2019年12月29日

人生が充実していれば最期の瞬間も恐れることなく迎えられる

人を愛し、人に対して思いやりの気持ちを持ち、自らさまざまなことを学び、知識を増やし、信じることができるように努力し、さらに、折々に心を見直しながら反省していくことを繰り返すことによって、明るく生きていくこと。そうして知り得た知識なり経験を、後半生には惜しみなく若い人々に伝え、社会に還元していことく。

これこそが、充実した素晴らしい毎日、満ち足りた素晴らしい人生につながる秘訣ではないでしょうか。

そして、充実した素晴らしい毎日を送ることによって、最期の時を迎えても必要以上に死を怖れることもなくなり、微笑みながらその瞬間を受け入れることができるようになるのです。

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