2018年06月18日

親に自らを厄介者だと思わせてはならない・・・

子供としては、どんな親であれ、やはり最期の瞬間まで、親が生きていてよかったという喜び、生き甲斐を持つことができるように仕向けるのが、子供としての務めではないでしょうか。

親に、自分は子供にとって厄介者だ、生きていて申し訳ない、という心を抱かせるそのこと自体が誤りです。

そういったことをいっさい感じさせないで老後を送らせることが、子供の責任ではないでしょうか。
posted by 田村 季山 at 03:24| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月17日

肉体を大切に扱いましょう

私たちは自分の肉体を大切に取り扱わなければいけません。

その人がどういう人か、肉体を眺めれば、大体の判断はつくのではないでしょうか。

中に入っている魂とか性格を考えなくとも、その人の体つきを眺めただけで、この人は大らかな人だとか、この人はだらしない人だとか、この人は真面目な人だとか、嫉妬深い人だとか、機敏な人だとか、緊張感の強い人だとか・・・、おおよその見当はつくものです。

常に髪をボサボサにして手入れをしないで、汚れたままのだらしない人を見ると、その人の生き方は大体その外見に現われているような生き方をしてきたに違いないと想像がつくものです。

私たちは、精神の手入れと共に肉体の手入れもしなければなりません。肉体も大事にしなければならないのです。

肉体は軽蔑すべきものではなく、自分自身の肉体を尊敬し大切にし、自分の精神を表現する器として扱わなければなりません。

心さえ良ければ、魂さえ磨けば、肉体はどうあっても構わないというのは間違いです。

肉体の状態をみれば、その人の心がけがわかります。

肉体というものはその人の生きる姿勢、精神の現われの一種の姿なのです。

だから肉体の状態を一見して、ああこの人はこういう程度の人だ、こういう生き方をした人だと見当がおおよそつくわけです。
posted by 田村 季山 at 03:26| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

全ての原因は自分にある・・・

人間は真実を知らなければなりません。

自分の上に起こってくる悲しみや苦しみや痛み、病、不幸のすべての原因は、他人にあるのではなく、すべて自分自身にあるのだということを。

すべての原因は自分にある、自分こそがすべての原因であると、この真理をはっきりと認識しなければなりません。

自分の夫や、妻や、子供や、姑や、自分を取り巻く友人知人との間が調和せず、いつも怒りや不平不満や嫉妬に充ち溢れているとしたならば、その原因はあなた自身にあります。

あなたの心がいつも不平不満のみで感謝の心を忘れたり、他の人の幸せを羨み、他の人が自分のためにこうあって欲しいと望むからです。

けれどもどんな状況であれ、自分自身がその苦しい悲しい不調和、不幸、病を引き付けているのだということに気づかなければなりません。

不幸も不幸自体があなたの上に飛び込んでくるのではありません。苦しみ自体があなたに向かって飛び込んでくるのではありません。

あなた自身の心がその不幸や不調和や不健康を引き付けているのです。
posted by 田村 季山 at 03:28| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

すべてのものに感謝できる心

人間はあらゆるものの犠牲の上に成り立っています。

しかしそれも、ああこの魚によって私は生かされている、「ありがとうございます」。この肉によって生かされている、「ありがとうございます」。この野菜によって生かされている、「ありがとうございます」。ああ天地の恩恵が有難いなと、そういうように有難うございますって感謝して食べれば生きてきます。

ところがなんだこんなのまずい、なんでぇ、なんていいながら食べています。

ちっとも感謝しないで食べていれば、これは殺していることになるんです。悪いことしてることになります。

あらゆることに感謝して生きられて、しかも日常茶飯イイコトをしていれば本当に悪いことしていない。そういう人は滅多にいませんが、そういうふうにすべてのものに感謝できる心を持って生きていきたいですね。
posted by 田村 季山 at 03:31| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

子供はいつか・・・


一生の間には、子供と別れることもありますし、子供が先に死ぬこともあります。

いろいろのことが人生には起きてくるでしょう。

しかし、世の中は、そんなものなのです。

自分の子供が生まれたら、「一生、一緒に住めたらいいなあ」と誰もが思いますが、いつか必ず子供は「反乱」を起こして独立していきます。

しかし、「それでいいのだ」と思わなければなりません。

「子供は親に反乱を起こして独立するものなのだ。それを親が押さえ込もうとするのは、やはり間違っているのだ。世の中は、そういうものなのだ。

これが真理であり、前提なのだ」そう思って、不必要に苦しんだり悲しんだりしないことです。

人間関係においては、愛というものを梃子(てこ)として、苦しみや悲しみを増大させないことが大事なのです。

まぁ、しかし、これも一つの思い込みで、人生何があるかわかりません。

子供も自分の体もすべて借り物と考え大切にしてゆくことが肝心です。
posted by 田村 季山 at 03:23| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

泥水が汚いほど蓮の花は美しく咲く・・・

私たちはいろいろな悲しみ・つらさ・大変なことなどを経ない限り、美しい悟りの花を咲かせることはできないのかもしれません。

逆に花を咲かせるために、そういうものが必要であるということがわかれば、そういうものが来たときに、「ああ、私は美しい花を咲かせることが出来る」と思えるのではないでしょうか。

つまり、それを辛いこと・不幸なこと・悲劇的なこと、というふうにとらえるのではなく、「ああ、この結果として私は大きな悟りに、美しい世界に導かれていくのだな」と思うことができれば、そのときの辛さをまともに受けることなく未来を明るくとらえられ気持ちをいくぶん平静に保てるでしょう。

美しい蓮の花を咲かせるためにどうしても泥水が必要なように、私たちの人生にも泥水が必要なのかもしれません。

その泥水が濃ければ濃いほど、汚ければ汚いほど、美しく大きな花を咲かせることができます。そのことに気がつけば、一般に不幸や悲劇・悲しい出来事と言われていることが、実は自分自身にとって、とてもうれしく楽しく、幸せで素晴らしいこと、そして、ありがたいことだと思えるかもしれません。
posted by 田村 季山 at 03:35| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月12日

意識の密度が現象の密度・・・意識は具現化される

鏡を見るとき、自分の顔を見ながら、「ここもシワが寄っている、ここも老化している」と、老化しているところばかりを見い出していると、そこに意識が集まるので、老化という意識が現実を引き寄せ、結果として老化の進行度合いが早まります。

「ここも若々しい、あそこも若々しい」と言っていると、若々しいところに意識が集まり、そういう現象を引き寄せ、本当に体全体が若々しくなっていきます。

意識の密度が現象の密度です。
posted by 田村 季山 at 03:29| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

親のエゴで子供に重荷を負わせないこと

「世間では、オトナのいいなりになる子や、オトナの考え方の枠から飛躍しようとしない子がいい子であり、自分の意志を堂々と主張したり、個性的な考え方や行動をする子を悪い子というレッテルを貼りがちである。けれども逆だ」本田宗一郎氏はこう言っています。

世間で悪い子と言われるような子どもこそ、個性にあふれ、可能性に満ちた本当の意味での「いい子」だというのです。

とすれば、親の言いつけをよく守り一生懸命に勉強するからと喜んでいる親は、実は「悪い子」を育てているのかもしれません。それだけでなく「いい子」になるはずの子を「悪い子」として扱い、その成長の芽を摘んでいるのです。こんな教育をしていれば、今日のように、子どもがどんどん劣化していくのは当たり前です。

子どもの幸せを願わない親はいません。だったら、もう少し子ども自身の立場で考えてあげたらどうでしょうか。変化の激しい時代は価値観が急速に変わっていきます。自分の時代に通用しても、次の世代には通用しないこともあります。

親が自分の考えを述べるのはかまいません。「こうあって欲しい」と親の願望を伝えるのもいいでしょう。しかし、決して無理強いしてはいけません。それは、子どもに価値のない重荷を背負わせるようなものだからです。
posted by 田村 季山 at 03:24| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月10日

自己向上を怠らないこと・・・悪い面に意識を向けない

孫ができて、ひ孫でも出来ると、すっかりおじいさん、おばあさんになってしまって、何の意欲もなくなり、「ただもう、お寺参りでもするのが楽しみで・・・」とかいう。

何を言ってるんでしょう。いくつになっても、いかなる場合も、自己向上を怠らないようにすること、これが自分の生命の本来の理想的な生き方なのです。

そういう気持ちを持っていると、いつまで年老いても、極めて壮健で元気よく、人並み以上の若さと溌剌さに満たされ、その生命というものは、活躍してくれるのです。

どんなに齢をとろうと、私たちは進化向上の自然法則の中で生きています。特に、現在、病気のある人、あるいは運命のよくない人も、決して、その病気や、運命に、心をこだわらせないことです。
posted by 田村 季山 at 03:37| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月09日

「がんばろう」と思わない・・・

何事も、あまり気負わないでするほうが結果はよいようです。
私たちは「がんばること」に何の疑問も感じていませんが、下手にがんばらないほうがいいことだってあります。

「がんばれ」はプレッシャーを与える言葉かもしれません。プレッシャーがよい結果を引き出すこともありますが、逆効果のほうが大きいような気がします。

身軽に生きようと思うなら、ガンバリズムとはなるべくつき合わないほうがいいでしょう。
posted by 田村 季山 at 03:48| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする