2017年11月05日

一瞬を充実させて「生」を愉しむ

雑事に忙殺されて慌しく過ごした時間も、反対に漫然と無為に送った時間も、共に永久に失われます。

内的に充実した、いわば「生けるしるし」を刻んだ時間は、永遠なるものにつながり、永遠の相をおびます。

時間は、一年も一日も瞬間、瞬間から成り立っています。過去は、既に去って今ここにないもの。未来は、まだ来なくて今ここにないもの。

ですから、時間を大切にする方法は、現在のこの一瞬を大事に扱う以外にありません。

内的充実を図るとは、具体的にどうすることか。自分にとって真に有意義なものにすること。自分の一生にとって意味と価値のあるものにすることです。

こういう生き方の継続、蓄積によってのみ、死は必然の有限なわが生涯に永遠性を宿らせることができます。

吉田兼好の有名な一文、「存命の喜び、日々に楽しまざらんや」で言う楽しみは、もとより、つまらない享楽ではなくて、実存的な「生」の充実の喜びをあざやかに実感し、ありがたく思い、満喫する楽しみです。

この喜び、この楽しみは、閑暇をみずからの意志で獲得し、確保し、その閑暇を自覚のもとに自由に使うことによって感得され、維持されるものです。
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2017年11月04日

短い人生に憂いをいだくことはない

人生は普通、百歳にも満たない、たいていの人が百歳までは生きられません。

それなのに、どうして人は千年分もの「憂い」を心にいだくのでしょう。どうして、楽しみを先に延ばして、まさに「今」という時を逃すのでしょう。

あてにならない未来を待っても何にもなりません。

シニアから老年期となるにつれ、心配性、取り越し苦労の傾向をおびる人が少なくありません。寿命の何倍もの年月の憂いを背負い込む、一人で十人分くらいの憂いを引き受けるようなことは、やめましょう。

考えてもどうにもならないこと、埒が明かないことは考えない。考えるのは、しばらくお休みとする。取るに足りないこと、どう転んでも大事でないことは、パッと放念する。成り行きに任せても済むことは、任せる。

憂いごとの材料を自分の心の中で次々に生み出さない。自分の心を憂いごとの生産工場にしないことです。
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2017年11月03日

足るを知る者は富む

仏教では「三垢(さんく)」(人間に生きている限りついて回る三大煩悩)の筆頭に「貪欲」を挙げています。

「金銭欲や物質欲は、生まれつき具わっている以上、致し方ないさ」「そういう欲があるからこそ、ヤル気も出てくるのだ」という見方もあるかもしれません。

しかし、欲望の本質をなす「際限のなさ」は、終局には人を悩まし苦しめることを仏教は熱心に説きます。

光武帝もまた、「人は足るを知らざるに苦しむ」と喝破しています。苦しむという点に注目し、この一事に深く思いを致すことが肝要でしょう。

壮年期、働き盛りの時期であれば、まあ、百歩譲って「致し方ない」と認めるとしても、現役引退の年代となったら、断乎、「足るを知る」べきでしょう。

これは、苦を避け幸いを招く必須の条件なのですから、一生のうちの後半生は足るを知る生活をしましょう。

満足することを知っている者は、たとえ金銭面・物質面で貧しくても、精神的に豊かで富んでいます。
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2017年11月02日

シニアになったら楽しみが伴う努力を

奮闘努力、刻苦勉励、歯を食いしばり、克己心を奮い起こして頑張るのは、壮年期まででいいんです。シニアになったら、楽しみが伴う努力をする。

楽しみが含まれている努力をする、楽しみながら努力をする、楽しみの欠けた、または楽しみの乏しい努力はしないという基準を設けておくといいでしょう。

もちろん、努力は必要です。全然努力なしの楽しみだけ、ということでは、当人の成長に役立たないし、ただの「暇つぶし」「気晴らし」「慰み」にすぎないもの、しがない「すさび事」に堕してしまうかもしれません。が、楽しみ抜きのガンバリズムは、感心できません。
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2017年11月01日

人生は完結させなくていい

何かしていないと落ち着かない。何もしないで、ぶらぶらと時を過ごしていると、罪悪感のようなものを覚える。前もってスケジュールを決めておかないと気がすまない。スケジュール通り取り運んでいる最中に、予期しない人が来るとか、何か邪魔が入るとイライラする。

どのくらい時間が経ったか、今、何時何分かが気になる。チラチラと視線が時計に行く。いつでも腕時計がはなせないし、腕時計をしていないと不安になる。

無駄な時間を空費してしまうと、そのあと、翌日とかには格別に頑張って、無駄の埋め合わせをしておかないと気がすまない。几帳面で、責任感が強い・・。

いかがでしょう。あなたの周りに、こういうタイプの人はいませんか。

ひょっとしてあなたご自身に、あてはまるところはないでしょうか。
もし該当するなら、どうしたらいいのでしょうか。

それは、人生というものは未完成の作業、仕事、出来事から成り立っているという真実を認識し、それを受容することなのです。

そうなのです。人生とは元来、未完成のもの、未完成のまま閉じるものなのです。
物事、特に時間の迅速さに動揺しないで、平然として、泰然自若さ、のどかさを心に養っていきましょう。
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2017年10月31日

夫婦間でも多角的な見方で偏見や思い込みをなくす

長年、連れ添ったシニアの夫婦では、「俺の女房は、こういう性格」、「私の亭主は、いつもこう」と決めてしまう傾向をおびます。

そうなると、相手が味気なく、つまらなく思えてきます。

そこで、パッと視点を転じ、いろいろな角度から伴侶を眺めてみましょう。

「おや、こんな一面もあったのか」と意外な発見をし、新鮮な驚きを覚えます。
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2017年10月30日

自分の考えに固執しないこと

自分の考えをしっかりと持つのは、いいでしょう。それを正しいと信じ、信念を持つのもいいでしょう。

しかし、自分の考えだけが絶対に正しいという確信を持つのはよくありません。これが不幸の発生源になるからです。

正しい考えは、ただ一つではなく、幾つかあります。

自分の考えは、幾つかの中の一つです。

どんな考え・意見・主義・主張も、絶対というものは、この世には存在しません。他の考えも傾聴する寛容の心を養いましょう。
posted by 田村 季山 at 03:29| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

既に手中にある楽しみを十分に味わうこと

定年退職しても、なお数年、非常勤とか嘱託でと向こうが懇請したのでなく、こちらから切願し、第二の人生の楽しみをあとに回す。

旧婚旅行や退職記念旅行は、株価が上がってから、預貯金が一定額に達してからと二の足を踏む。

古希または喜寿を迎えるまではと実務を手放さず、「生涯現役」と胸を張る。

老後の生活設計・行事は、孫が卒業・就職・結婚するまでお預けとし、差し控える。

いずれも立派ではあります。感心します。

が、「残りの持ち時間」と「先送り」「繰り延べ」との兼ね合いも、一考し、ほどほどに。

既に手中にある楽しみは味わっておいたほうがよろしいかと存じます。
posted by 田村 季山 at 03:30| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月28日

思い込みは、時として有難迷惑に

葬式の場で懐かしい人と出会って「まあ、お久しぶり。お元気そうね」と、はしゃいだ声を発する。

グループ旅行でのこと。参加者の中に頭髪がほとんどない人もいるのに、観光バス内で、「あの山はハゲ山だな。ひどいハゲようだ」と口走る。

車窓の景観が変わると、疲れて眠っている人を「これを見なくては来たかいがありませんよ」と、ゆり起こす。

晩食で自分が「これは美味だ」と思うと、相手の嗜好などお構いなしで無理強いする。

人の話を横取りして、自分の話ばかりする。

頼まれもしないのに、「素晴らしい記念品を見つけたんですよ。品切れになりそうなので、あなたの分も買っておきましたよ」と得意顔で差し出す。

お互い、時には本気で内省しなければなりません。「私の精神構造は、ほんものの大人の域に達しているだろうか」と。
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2017年10月27日

山ほどの幸せ

駅に行くまで五十人の人とすれ違ったとします。
一人目の人がどなったりしなかった。ものすごく幸せだった。これで一つ。

二人目の人がどなったりしなかった。これが二つ目。

三人目の人にもどなられなかった。そうして無事に駅に着くことができた。

このようにして幸せを数えていくと、この世の悩みはゼロになってしまいます。

悩み事をいちいちあげつらう時間があったら、今、幸せだ、と言って幸せを山ほど数えあげてみれば、膨大な数の幸せに囲まれていることに気がつくでしょう。

気がついたら、実は悩み苦しみをあーだ、こーだ言ってる自分の不遜さ、謙虚でない、ということもわかってきます。

「ああ、幸せ」と思ってしまえばいいのです。それを口に出して言ってしまうと、とても幸せだということに気づくでしょう。
posted by 田村 季山 at 03:35| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする