2017年09月30日

いつも心に喜びを持つように

いつでも心の中で喜びを感じるように、自分を励ますよう気をつけましょう。喜ぶというのは、心の中に、常にニコニコと喜びの状態があることなのです。

ちょっとでも憂い悲しみが生まれたならば、放っておかず、それを消さなくてはなりません。憂い、悲しみ、悩み、落ち込みなどの暗さを消すことも善行為です。憂いや悲しみを消して喜びに入れ替えると、そのこと自体が善行為になります。

心の喜びである充実感は善行為から生まれますから、「私は常に喜びを感じるようにして幸福になる」と決めてしまえば、その人は「常にいつでも善行為をしよう」と決めたことと同じことなのです。

人は常に、瞬間、瞬間、喜んで楽しく生きるべきです。一瞬でも悩まないことです。

「これは悩みのタネになることだ」と思ったら、「これは悪行為だ」と思ってやめなければいけません。

いつでも、いつでも心のなかに喜びを育て、喜びが心に住み着いたら、心は常に喜びを感じることができるようになるのです。
常に努力して明るい心、楽しい心をつくろう、いつでも充実感を感じて幸福に生きよう、と決める。そのように簡単に単純に理解して、実行するようにしましょう。
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2017年09月29日

善行為

何かどんな小さなことでも自分にできることを、社会のため、人のためにして、自分が人の役に立つようにしましょう。

それは何でもいいのです。決して「自分に貢献できるものはホンのわずかでつまらない」などと軽視しないでください。

逆に、色々な能力のある人がホンのわずかなことしか貢献しないこともよくないのです。

とにかくできるだけ自分の行為を善行為にして、外に向けて行動しましょう。

そうすればいい結果が、自分から望まなくても、好き勝手にやってくるものです。

それで充実感のある幸福な生き方ができます。
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2017年09月28日

人間の最大の罪は不機嫌・・・

ドイツの文豪ゲーテは、「人間の最大の罪は、不機嫌である」という言葉を残しています。

人間の最大の罪は、人を殺すことであるとか、物を盗むことであるとか、裏切ることであるとか、優しさに欠けていることであるとは言わなかったのです。

不機嫌は一人や二人に影響を及ぼすのではなく、その人が接する全ての人を不機嫌にする、不愉快をふりまいて歩いている、と言いました。

皆さんは、隣の人に対して、家族に対して、同じ職場の人に対して、自分ひとりが不機嫌であっても、大した影響は与えないと思うかもしれません。

けれども、それは不機嫌という名の音叉(おんさ)をビィーンと撒き散らしているのです。すると、周りの多くの人がそれに共鳴し影響され不愉快な思いをします。

でも、その不機嫌のビィーンという音叉の波動は、明るく楽しく幸せに笑っている波動にかき消されてしまいます。だから、できるだけ、いつも機嫌よくしていることは大切なことです。
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2017年09月27日

一生、退屈しない

朝から晩までやっている日々のシンプルな作業は、みなさん退屈なことだと思っています。

けれども、それが退屈なことだと決めてしまうと、一生、退屈な人生を送るはめになります。

何事も「雑」にすると雑用になってしまいます。

単純なことでも、見事にこなせば、とても気分がいいものです。そして、いとも簡単に、充実感にあふれた生き方ができるのです。
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2017年09月26日

人生とは、瞬間瞬間の連続です

人生とは、瞬間瞬間の連続です。

私たちは、瞬間瞬間にしか生きられません。

いまの瞬間になすべきことは、つねに「具体的」です。

それは、話を聞くことであったり、ものを片付けることであったり、つねに「具体的」にあるものです。

いまこの瞬間になすべきことをよく知り、それをきちんとやる。

それで、何の問題もなく人生はうまくいくものです。
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2017年09月25日

何かを手に入れようとすれば代価が必要になる

多くの場合、人は手に入れようとするものの代価を払わなければなりません。

健康には節制を、金儲けには努力を、遊びにも労力と金が必要です。もちろん世の中には、食事毎に歯をみがいていても、三十代で総入れ歯になる人と、歯なんか手入れしなくても丈夫だという人がいます。

しかし、私の見る限り、金儲けは・・・いかなる手段と方法で達成しようとも、それなりにすさまじい努力がいるように見えます。何もしないでお金が入ることは、非常に稀です。
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2017年09月24日

こだわらないこと

「菜食主義なので、肉は絶対に食べない」とか、「OOを食べれば絶対健康になる」とか、食に異様にこだわる人がいます。

それらの考えは、客観的な事実というより、単なる自分の思い込みであり、いわば妄想概念です。主義や観念に引っ張られると、食事のたびに、体に大きな負担がかかります。

食べ物に対して、OO主義をつくったりグルメに走ったりすると、執着や嫌悪が生じて、心が汚れてしまいます。体を維持するために心まで汚すなんて、無知で愚かなことではないでしょうか。

これは、食べ物だけのことではありません。すべての事柄に関しても言えることで、執拗にこだわると自分が苦しくなるだけです。
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2017年09月23日

死にそうな人に対して・・・

死にそうな人に対して、どのようにお見舞いしたらいいのでしょうか。

死にそうだからといって、深刻な顔をする必要はありません。

その人が元気な時のように、普通に会えばいいのです。

「いろいろ楽しかったね」「あちこちに行ったよね」と、世間話をするのもいいでしょう。

そして、「あなたはよくやってきたね、ほんとうに親切にしてくれた」と感謝し、ほめればいいのです。

人は、感謝されると、「自分なりにこの人生をがんばってきたのだ」と満足するのです。
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2017年09月22日

最期は感謝の気持ちを伝えるように言ってあげる

末期の人を見舞うとき、その人がしゃべったり考えたりすることができる場合は、いまの自分の体の状態や調子を語ってもらいます。

それを聞きながら、「あなたにはもうやることはないのですから、看護師さんにひとこと感謝を伝えましょう。

お医者さんにも感謝しましょう。

お世話になってきた多くの人たちに、感謝の気持ちを抱きましょう。

怒りや憎しみがあったら、そんなものはもう意味がないのだから、なくして心をきれいさっぱりにしましょう」と、語りかけましょう。
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2017年09月21日

依存しない・・・悪いことにもいいことにも

私たちは、みな何かの「依存症」にかかっていると言えます。今は依存症でなくても、次の瞬間に依存症にかかることもあります。いわば依存症のキャリア(保菌者)なのです。

お酒や賭け事に依存するのは悪いと決まっていますが、「いいこと」に依存していることがあります。それはどうでしょうか。

例えば、ボランティア活動、平和活動、地域活動などはいいことです。

しかし、いかに「いいこと」でも、それに依存すれば、やはり自分を見失っていくのです。

いいことでも、依存して行えば、いい結果にはなりません。
posted by 田村 季山 at 03:37| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする