2018年04月03日

先人の遺してくれた英知に学ぶ・・・

権力にしろ、お金にしろ、名誉にしろ、手に入れたとたんに不安の種に変わるものは、所詮、運という偶然の産物でしかないのだから、そんなものに一喜一憂するよりも、運に支配されない生き方をしなさい、と古代ローマの哲学者セネカは言います。

自分の精神の力で何とかできることだけを拠り所とする。それが重要であると彼は考えたのです。

セネカはまた、哲学する人間だけが、過去から未来まであらゆる時間を自分のものとし、真に生きている人間なのだ、と言います。

自分自身と向き合うこと、時を越えて語り継がれてきた賢人たちの言葉に耳を傾けること、いかに生き、いかに死ぬかを知り、徳を実践すること、それが死すべき運命さえも超越し、絶対的な自由を手に入れる方法なのだと言います。
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2018年04月02日

穏やかに過ごすために・・・

心の平安を最大限に得るには、慈愛と慈悲を育てることが必要でしょう。

他の人の幸せを思いやれば思いやるほど、自分の幸福感も大きくなります。

他の人に対して親愛の情のこもった優しい気持ちを持てば、おのずから心が楽になります。

それが人生を穏かに成功裡に終わらせる秘訣です。
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2018年04月01日

無理にたくまないこと

人生の行路も樹木の枝の曲がりのように紆余曲折しているものです。

紆余曲折しているままで美しいのです。

そのままその自然のゆがみに任せて行けば美しく豊富な結果が得られるものです。

そのまま自然の、歪みに任せて行こうとしないで、我を出して一直線に引こうとしたり、また無理にたくんで美しい曲線に曲げて行こうとしたりするから、美しい結果が得られないで苦しまなければならないのです。

行雲の如く流水の如く、そのままに流れるとき何事も美しく成就するものです。
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2018年03月31日

明日に期待しないで、今ここを生きる

未来に確実なものは何もありません。

今、ここを生きましょう。

今、ここを真剣に生きましょう。

生きるのを最も妨げているのは、明日をよすがとしながら今日を台無しにしている、この期待というものです。
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2018年03月30日

人生は短くなどない

人生は短くなどありません。

与えられた時間の大半を、私たちが無駄遣いしているにすぎないのです。

私たちは時間を、何の役にも立てず湯水のごとく浪費した挙句、土壇場になってようやく気づくのです。

いつの間にか人生は過ぎ去ってしまった、と。

つまり、人は短い人生を与えられるのではなく、むしろ自分で短くしている。

足りないのではなく、浪費しているということです。

どんなに莫大な富でも、使い方の下手な者の手に渡ればたちまち食いつぶされますが、たとえわずかな富でも、上手な者の手に渡れば、使われながら豊かにもなります。

それと同じように、人生も大切に使う者にとっては十分に長いのです。

上手に使いさえすれば、偉業を成し遂げられるほどたっぷりと与えられているのです。
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2018年03月29日

愛の三原則・・・

一、ありがとうをためらわずに言おう。

二、ごめんなさいを恐れずに言おう。

三、愛してるを照れずに言おう。

これは、全国亭主関白協会の憲法ともいえる「愛の三原則」だそうです。

「全国亭主関白協会」・・・と聞くといかにも威勢がいいものですが、その実態は「いかに上手に妻の尻に敷かれるか」を研究、発表する団体だそうです。

「愛の三原則」は、妻が一番聞きたい言葉であり、亭主が言わなくてもわかっているはずという、家庭内からいつの間にか消えてしまった言葉です。

「愛の三原則」こそ、二十一世紀の夫婦円満の新方程式と信じて実行あるのみです。
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2018年03月28日

積み重ねてきた年月こそが信頼出来る

どうして夫婦喧嘩になるのでしょうか?それは相手の行動や言葉が気に食わないからでしょう。どうして気に食わないのでしょうか?それは相手に何かを期待しているからです。女房とはこういうもの。亭主ならばこうあって欲しいと。互いに勝手に作った理想像を思い描いています。

自分のことはさておき、相手にこうあって欲しいとばかり望みます。ほとんどのケンカはそれが原因です。
相手に何を期待しているのでしょうか?よく考えれば、別にどうということもないことばかりです。お互いに完璧な人間ではありません。大した人物でもない。そう思っていれば、余計なケンカなどしなくて済むものです。

ところで、誕生日や結婚記念日などに食事に行ったり贈り物をしたりすることも、世間がどうのとか、みんながやってるからとか、そういうものに引っ張られないほうがいいようです。夫婦なんて百組いれば百通りの考えがあるんですから、他人に合わせる必要はないんです。
とにかく、あまり世間の波に流されないことです。夫とはこうあるべきだ、妻とはこうあるべきだ、幸せな夫婦とはこういうものだ、そんなものは幻想です。

ないものを追いかけても不幸なだけです。テレビなどでもそういう特集が組まれていますが、そんなものに惑わされてはいけません。テレビでいう夫婦像なんてほとんど嘘の世界です。

ならばほんとうのものは何なのでしょうか?それは積み重ねてきた時間だけです。
愛し合ったり、ぶつかり合ったりしながら二人で積み重ねてきた年月。それこそが一番信頼できるものです。時間をかけて作り上げてきたものは強固です。

他の夫婦や世間とは違っていても、二人で作ってきたもの。そこに心を寄せることが、幸せというものではないでしょうか。
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2018年03月27日

足るを知る者は富む

「金銭欲や物質欲は、生まれつき具わっている以上、仕方ないさ」、
「そういう欲があるからこそ、やる気も出てくる」という見方もあるでしょう。

しかし、欲望の本質をなす「際限のなさ」は、終局には人を悩まし苦しめるものです。光武帝も「人は足るを知らざるに苦しむ」と喝破しております。

苦しむという点に注目し、このことに深く思いを致すことが肝要でしょう。

壮年期、働き盛りの時期であれば、百歩譲って「致し方ない」と認めるとしても、現役引退の年代になれば、断乎、「足るを知る」べきでしょう。

これは、苦を避け幸いを招く必須の条件だからです。一生のうちの後半生は足るを知る生活をしましょう。

老子の「足るを知る者は富む」という言葉は有名で、よく引用されます。まことに至言で、満足することを知っている者は、たとえ金銭面・物質面で貧しくても、精神面に豊かで富んでいます。

言い換えれば、真に富める者は、富を計る物差しを金銭・物質の外面のものから精神の内面のものに完璧に切り替えて、内面世界の充実・汪溢(おういつ)に満足しているものです。

この切り替えを付け焼刃でなく、身についたものにするよう努めましょう。
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2018年03月26日

感動は心に瑞々しさと潤いを与える・・・

「ラジオやテレビ、インターネットで、どんなよいことを聴いたり見たりしても、聴きっぱなし、見っぱなしでは何にもなりません。高齢者になったら、ボケーッと漫然と聞き流し、見流しではいけません。

自然の姿、昇る朝日、夕焼け空、四季の移ろい、世の中の変わり方、人の話、出来事をよく聞き、よく見、よく読み、感動をもって受け取ること。

これが、高齢者の健康法となるのです」と百年近く元気はつらつと生きてきた加藤シズエさん(日本の女性解放運動家・政治家)が「美しく生きる百年のあゆみ」という講演で、感動は、心に瑞々しさと潤いを与えるという話をされてました。

「経験枠」を開放すると、さまざまな事柄がどんどん飛び込んできます。飛び込んでくるものを「漫然と」ではなく、「判然と」受けとめ、感動の素材とする感受性を育てて参りましょう。
posted by 田村 季山 at 03:33| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

寿命の何倍も憂いを背負わない・・・

年をとって来ると、老人特有の鬱症状を呈する人がいます。

それほどでなくても、心配性、取り越し苦労の傾向をおびる人が少なくありません。

一人で十人分くらいの憂いを背負い込むのはやめましょう。

考えても、どうにもならないこと、埒が明かないことは、考えない。

考えるのは、しばらくお休みとする。

取るに足りないこと、どう転んでも大事でないことは、パッと放念する。

成り行き任せでも済むことは、任せる。

憂いごとの材料を自分の心の中で次々に生み出さない。

自分の心を憂いごとの生産工場にしない。
posted by 田村 季山 at 03:26| Comment(0) | 健康・老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする